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Kwaidan/八雲(やくも)とセツが紡いだ怪談

日本の怪談を怪しくも美しい文学作品に仕立て上げ、
世界に広めたラフカディオ・ハーンこと小泉八雲。
異国からきた八雲に日本の昔話を語り聞かせ、
妻となって創作活動を支えたのは、
城下町松江で生まれ育った小泉セツでした。
夜ごと暴れまわる巨大な亀の石像、
小豆を研ぐ音が響く橋…。
二人を結びつけた怪談が、
今も松江で語り継がれています。


八重垣神社の鏡の池の写真
八重垣神社の鏡の池。硬貨を載せて浮かべた占い用紙に池のイモリが触れると吉兆という


小泉八雲が松江を訪れたのは、今から約130年前。まだ鉄道も電気も通っていない明治23年のことでした。

アイルランド人の父とギリシャ人の母を持つ小泉八雲は、文筆家として世界各地で活躍していました。英訳で読んだ「古事記」に心揺さぶられて来日すると、幸運にもその神話の舞台「Izumo」での仕事が舞い込んだのです。

八雲が英語教師としてやって来た松江の旧城下町は、古き良き日本の面影に満ちていました。八雲はカラコロと響くげたの音や野菜を売り歩く声に耳を傾け、家では和服を着て日本風の生活を送りました。この時、身の回りの世話役をしたのが松江藩士の娘、小泉セツだったのです。

セツは幼い頃にも西洋人に出会ったことがあり、プレゼントされた虫眼鏡を宝物にしていました。その記憶が異文化への親しみを育んだのでしょう。二人は心を通わせ、やがて夫婦となりました。八雲が松江に伝わる不思議な話や日本の民話を聞きたがると、セツは聞き覚えている話だけでなく、新たに集めては繰り返し語り聞かせたといいます。これが八雲の創作の源となったのです。

八雲が来日後初めて発表した著書「知られぬ日本の面影」には、松江で見聞きしたエピソードが数多くつづられています。中でも夫婦の縁を結ぶ神として、祈願の効き目を「大いに有望」と紹介した「八重垣(やえがき)神社」は、少女時代にセツも縁占いをした所。その結果は「遠くに住む人と縁がある」だったと伝えられています。


八重垣神社の鏡の池と奥の院の写真
八重垣神社の鏡の池(手前)と奥の院


小泉八雲の旧居の写真
小泉八雲とセツが暮らした旧居


八雲の椅子に腰掛ける凡さんの写真
八雲の椅子に腰掛けるひ孫・凡(ぼん)さん。八雲専用の机は天板の位置が高い


八雲とセツ夫妻の写真
八雲とセツ夫妻の写真。左目を失明している八雲は、いつも左向きで写った


日本のキセルの写真
日本のキセルを愛用した八雲。小泉八雲旧居と隣接する記念館には、ゆかりの品々が残る


松江に伝わる怪談の舞台

「耳なし芳一」「雪女」「むじな」などの怪談で知られる小泉八雲。夫妻が暮らした松江にも怪談の舞台が残っています。

小豆研ぎ橋(普門院〔ふもんいん〕)

謡曲「杜若(かきつばた)」を歌うと厄災が起こるという橋が普門院のそばにあり、剛胆な侍が大声で歌ったところ恐ろしい出来事に見舞われた、という怪談。この言い伝えを聞いた八雲は、普門院の住職を招いて懇談したという。

(『知られぬ日本の面影』(第7章「神々の国の首都」)


普門院の写真


狐(城山稲荷神社)

松江藩松平初代藩主の直政が松江に入城した際、「稲荷新左衛門」と名乗る一人の美少年が現れ、住まいを設ければ火難を防ぐと約束して姿をかき消した、という伝説がある。それに応えて建てられたといわれる城山稲荷神社には数多くの狐像があり、八雲も好んでよく訪れていた。

(『知られぬ日本の面影』(第7章「神々の国の首都」)


城山稲荷神社の写真


芸者松風の幽霊(清光院)

恋人のいる芸者・松風が、横恋慕した侍に襲われ、清光院へ逃げ込んだものの途中で力尽きた、という怪談。石段には松風の足跡が消えずに残り、幽霊が現れるようになったと町人が噂したといわれている。


清光院の写真


盆踊り(松江城)

八雲が「封建時代の兜(かぶと)」のようだと表現した松江城。築城のとき、踊りの好きだった少女が人身御供として埋められたという伝説がある。以降、女の子が盆踊りを踊ると礎から城が揺れるため、禁令が出されたといわれている。

(『知られぬ日本の面影』(第7章「神々の国の首都」)


松江城の写真


夜歩く大亀(月照寺)

出雲大社の唐銅(からがね)の馬や龍の彫刻など、夜中に動き回ると言い伝えられるもののうち、「いちばんぞっとする」と八雲が表現したのが月照寺にある亀の石像。松江藩松平7代藩主の治郷(不昧)が父の長寿を祈願して作らせたものだが、夜ごと町を徘徊したと伝えられる。

(『知られぬ日本の面影』(第11章「杵築(きづき)雑記」)


月照寺にある亀の石像の写真


飴〔あめ〕を買う女(大雄寺〔だいおうじ〕)

顔色が悪くやせた女が毎夜、水飴を買いに来るのを不審に思い、女の後をついて行くと寺の墓場で赤ん坊を見つけた、という怪談。幼い頃に母親と別れた八雲は、「母の愛は、死よりも強いのである」とこの文章を結んだ。

(『知られぬ日本の面影』(第7章「神々の国の首都」)


大雄寺の写真


松江の地図


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