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C.戦後

【質問1-a】日韓基本条約の密約で、竹島問題を棚上げにして現状維持…


日韓基本条約の密約で、竹島問題を棚上げにして現状維持で韓国の占領を認める合意があるとの報道がありましたが、この棚上げ密約は本当でしょうか。


 

【質問1-b】県内男性:今月の文芸春秋には、竹島密約という1文が掲載…


県内男性:今月の文芸春秋には、竹島密約という1文が掲載されていました。韓国の朴大統領と、日本政府の紳士協定みたいなものだったということですが、真偽は不明ですが、関係者の方々は読まれたのでしょうか。


 

【回答】


県としてお答えする立場にありませんが、第166回国会における衆議院議員提出「竹島密約に関する質問主意書」(平成19年3月26日質問第144号)に対する答弁書(同4月3日)で、政府は、「お尋ねの「合意」が行われたとの事実はない。」としています。

 

『文芸春秋』2007年9月号の記事は、県でも見ています。関連記事が『論座』2007年9月号にもあります。また、『正論』平成19年7月号と『山陰中央新報』2007年3月22日2面にWeb竹島研究所関係者のコメントが掲載されています。

(事務局:総務課)(2007年9、10月)

 

【質問2】歴史的な背景から日本固有の島であることは日本人…


歴史的な背景から日本固有の島であることは日本人としては確信できるが、相手国にとっては自分たちの主張を信じているのでどんな理由があるにせよ聞く耳を持たないだろう。日本は現在武力で立ち退かすことは難しいと思うので、国際的に公平な仲介をしてくれる機関に依頼することはできないか?早く白黒をつけて仲良く付き合っていける隣の国になりたいものである。(他に同様な意見あり)


 

【回答】


国際紛争を平和的に解決すべきことは当然です。国際紛争の平和的解決方法として、まず当事国による外交交渉がありますが、それに加えて、一般に、周旋(good office)と仲介(mediation)--第三者(国)が紛争当事国に交渉を促し会場を提供するなどして当事国の交渉を助ける、調停(conciliation)--当事国国民でない者を含む独立した委員会を設け委員会が紛争解決の条件を当事国に勧告する、仲裁裁判(arbitration)--当事国が裁判官を選任するとともに裁判の準則(法、衡平・善など)も合意により定める、それに、司法裁判--国際司法裁判所(ICJ)による司法的解決(judicial settlement)があるとされます。

しかし、他国間の領土紛争について当事国の間に入って周旋・仲介をする国は少ないでしょう。調停、仲裁裁判、司法裁判は、そのような方法で紛争を解決しようという当事国の合意がなければ開始されません。(このほか国際連合の総会や安全保障理事会が平和を脅かすような国際紛争を取り上げ一種の調停を行う場合もあり、日本も1950年代には竹島問題を国連に付託する可能性を探った記録がありますが、竹島の領有権紛争が国連で取り上げられることはまずないでしょう。)

今日、韓国は領有権紛争の存在それ自体を否定しているようなので、まずは、紛争が客観的に存在することを説き、改めて外交交渉による解決、そして外交交渉により解決しえない場合には、上記のような公の紛争処理によることの合意を図るということであろうと思います。

(事務局:総務課)(2008年7月)

 

【質問3】ラスク書簡なども公開して良いと思う。竹島を1日も…


ラスク書簡なども公開して良いと思う。竹島を1日も早く返せ!と外国のメディア(新聞広告等含め)に色々な証拠を提示しながら、定期的に配信したほうが良いと思う。日本固有の領土に間違いないのに、政府が弱すぎる。北方4島、竹島、尖閣諸島、日本人が簡単に行くことが出来ないのは異常だ。


 

【回答】


ご意見は、全体として、国民に対する啓発活動だけでなく世界に向けた広報を強化し、わが国の主張の正当性を訴えるべきだということであろうと存じます。Web竹島問題研究所のホームページにも英語と韓国語のパンフレットを掲載していますが、この分野で県にできることには限界があります。外国のメディアへの配信など本格的な海外広報は国に期待したいと思います。いわゆるラスク書簡は、竹島問題研究会最終報告書の研究レポートにも説明があるとおり、平和条約によって竹島が日本領土であることが確認された事実を裏付ける重要な資料です。ラスク書簡は外務省のホームページに掲載されています。

梁駐米韓国大使からアチソン米国務長官に宛てた書簡(PDF)(外部サイト)

ラスク極東担当国務次官補から梁駐米韓国大使に宛てた書簡(PDF)(外部サイト)

なお、尖閣諸島は、周辺海域における石油資源の存在が話題になったことを契機として1970年、1971年ごろから中国が領有権を主張していますが、現在も日本によって実効的に統治されているので、自国の領土が他国に占拠されているという意味での領土問題は存在しない(北方領土、竹島とは異なる)ことを念のため付言いたします。

(事務局:総務課)(2008年7月)

 

【質問4】日本側の国際法上の理由となっているサンフランシスコ条…


日本側の国際法上の理由となっているサンフランシスコ条約とラスク書簡について韓国の政府や研究者はどういった反論をしているのか。特に韓国ではラスク書簡がネットで規制されて一般人が見ることができないという噂は本当か。


 

【回答】


韓国大使館のホームページ(日本語)に掲載された東北アジア歴史財団「日本外務省の独島領有権主張に対する反駁文」は、「当初、米国は独島を韓国の領土として認めたが、米国の一時的な態度の変化は、日本のロビーによるものである」、「日本が、南クリル列島(北方四島)をロシアの領土として認めた対日講和条約の条項を拒否し、明示的規定のない独島が自国の領土として確定されたというのは、論理的な一貫性のない主張である」、「1951年10月、日本政府は対日講和条約に基づいて日本の領域を表示した「日本領域図」を国会衆議院に提出したものの、その地図にはっきりと線を引いて独島を韓国の領域として記した」としています。

研究者の議論として、愼●廈(シンヨンハ)は、日本側が「日本政府の顧問シーボルドを前面に打ち出して猛烈なロビーを展開」し、「対日本講和条約で独島を韓国の領土から除外して日本の領土に含ませるよう明文規定を入れてくれるように」努めたが、「独島を日本領土に入れて表記しようとする米国(及び日本)の企図は、阻止された」(『独島問題100問100答』問92-93、弘益斎2007.12発行の日本語版p.112-115、日本での取扱所:新幹社)としています。また金柄烈は、「講和条約の草案作成過程において、韓国も日本もそれぞれ独島を自国の領土として明記するように働きかけたが、結局両方とも失敗した」、「ラスクが署名した公翰によれば、彼が当時、独島を日本の残存領土として判断、規定するようになった根拠は、"我々の情報"だった」、「反面日本は、1947年6月、独島をタケシマと称し、日本の領土として規定した『太平洋上の諸島嶼、日本海の諸島嶼』という本を刊行し、9月23日付で連合軍総司令部外交局を通じてアメリカ国務省に送った」、「結論的に、韓国がサンフランシスコ講和条約の当事者ではなく、アメリカが当時入手したという情報が日本側の一方的な情報だったという点から判断すれば、日本が韓国を併合する以前、つまり独島を編入した1905年以前に、独島が韓国領であったことが立証されればラスクの公翰もその意味を喪失することになるだろう」(内藤正中・金柄烈『史的検証竹島・独島』岩波書店2007.4pp.205-207)としています。

上記の主張の当否を検証することはこのQ&Aの目的ではありませんが、三点だけ指摘しておきたいと思います。(1)1951年に日本政府が平和条約に基づいて日本の領域を表示した「日本領域図」を国会に提出し、その地図に独島を韓国の領域として記したというのは、事実ではありません。東北アジア歴史財団の当該反駁資料のp.16に「日本領域図」が掲載されています。これは毎日新聞社が編集刊行した『対日平和条約』(1952)という本の扉にある図です。平和条約が国会で審議された際に衆議院の特別委員会に提出されたのは「日本領域参考図」という全く別の地図です。この地図に破線で、当時のマッカーサーライン(占領下で日本漁船が個別の許可を得なくても赴くことのできた海域を示す線)が図示されていました。国会では「日本領域参考図」というタイトルの図でそのような線を引くのは誤解を生むという議論がありましたが(12衆・平和特6[1951.10.22]p.4-5)、地図上にはきちんと「漁業操業許可区域」と書いてありました。(2)竹島を日本領土として平和条約に明記しようとしたが失敗したといった議論は、平和条約の構造に対する無知からくるものです。米国国務省が内部的に準備していた初期の草案では日本に残す島を列挙していました。しかし、ダレスが国務長官顧問として条約草案の対外的とりまとめに入る1950年夏以降は、草案は国務省草案よりもずっと短いものになり、領域の規定についても日本が保持する島を列挙することは、そもそもなくなりました。(3)日本がロビー活動をした云々の議論は、(上記の各種資料では事実の証明がなされていませんが仮にそのような事実があったとしても、)平和条約で竹島の日本保持が確定したという法的な結論にはなんら影響を与えるものではありません。一般的に重要な外交案件に関し各国が自己の利益の確保に努めることは当然でしょうし、竹島の日本保持が確定したことは(外交努力の結果であってもなくても)正しいことです。

ラスク書簡へのネット上のアクセスが韓国で制限されているかどうかは、承知していません。

(事務局:総務課)(2008年8月)

※●は金へんに庸

 

【質問5】ヴァン・フリート報告書を確認したことはあるか?…


ヴァン・フリート報告書を確認したことはあるか?ヴァン・フリート大統領特命大使が、アイゼンハワーアメリカ大統領に送ったとされる文書で、李承晩ラインや竹島の領有権に関してサンフランシスコ講和条約後の同条約に対する米国政府公式見解としてラスク書簡を踏まえ、以下の点が確認されている。○一方的な領海宣言(李承晩ライン)は違法である。○米国政府はサンフランシスコ講和条約において竹島は日本領土であると結論している。○この領土問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれる。


 

【回答】


貴重なご意見をありがとうございます。ヴァン・フリート大使の報告書は、外務省のパンフレット「竹島--竹島問題を理解するための10のポイント」(外部サイト)にも国際司法裁判所への付託問題に関連して言及されています(p.14)。1954年にアジア諸国を訪問した同大使の報告書で、「対日平和条約起草中に韓国がドク島の領有を主張した。しかし合衆国は日本の主権下に残ると結論し、この島は平和条約で日本が領有権を放棄する島嶼中には含まれなかった。この島をめぐる合衆国の立場は内密に韓国に伝達されたが、公表されなかった」、「合衆国はこの島が日本の領土だと考えるものの、論争に口出しすることはしないできた。我々の立場は、紛争が国際司法裁判所に付託されるのが適当だろうというものであり、この示唆は非公式に韓国に伝えられた」とあります。報告書のオリジナルは米国カンザス州のアイゼンハワー大統領図書館にあり、国内の機関にもマイクロフィルムの所蔵があるようなので、県竹島資料室でコピーを取り寄せておきたいと思います。なお、上記の報告書の内容は、この時期における米国国務省内での議論とおおむね軌を一にしています。竹島問題研究会の最終報告書p.83-85の「竹島領有権紛争に関連する米国国務省文書(追補)」資料3、資料4をご参照ください。また、米国の竹島領有権紛争に対する1954年当時、あるいは現在の立場がどうであるかということもさることながら、(韓国の条約草案修正要求と米国政府によるその否定などの出来事を通じて)1951年の平和条約で竹島の日本保持が確定したことが法的には一番重要であることを、確認しておきたいと思います。

(事務局:総務課)(2008年8月)

 

【質問6】韓国政府や韓国民がいくら竹島が韓国の領有権を主張…


韓国政府や韓国民がいくら竹島が韓国の領有権を主張しても、日本が異議を唱えている以上、国際的な論争として国際司法裁判所で裁定を仰ぐのが、問題解決の公平な手段である。我が国は、1954(昭和29)年9月、口上書をもって竹島の領有権問題につき国際司法裁判所に提訴することを韓国側に提案したが、韓国はこれに応じない理由は何か?


 

【回答】


日本の国際司法裁判所への付託提議(1954.9.25)に対し、韓国は、1954年10月28日付けの大韓民国駐日代表部から外務省にあてた公文の中で、次のような見解を示しました(『獨島問題概論』英文附録p.117-/韓国語訳p.208-)。

「2.紛争を国際司法裁判所に付託するという日本政府の提案は、司法的な仮装で虚偽の主張をするまた一つの企てに過ぎない。韓国は、独島に対して始めから領土権を持っており、この権利に対する確認を国際司法裁判所に求めなければならない理由は認められない。いかなる紛争もありえないのに擬似領土紛争を作り上げるのは、まさに日本である。日本は、独島問題の国際司法裁判所への提起を提案することによって、いわゆる独島領有権紛争に関して、ただ一時的にせよ自国を韓国と同等な立場に置こうとし、独島に対する韓国の完全で議論する余地のない領土権と、妥協、紛争の余地がないところに、日本のために架空の主張を出そうと企てている。」

この「紛争がない」という主張は、現在も韓国の立場であるようです。しかし、一方当事者が「ない」といえば紛争がなくなるというものではなく、紛争の存在は客観的に定まるというのが国際判例を通じて示された国際法の通則です。1965年の日韓国交正常化に際して締結された「紛争の解決に関する交換公文」をめぐって韓国で竹島問題は紛争でないからこの条約の対象でないという議論が行われたとき、外務省は国際司法裁判所の勧告的意見と常設国際司法裁判所の二件の判決を引用してこのことを明らかにする資料を作成配布したことがあります。最近の国際司法裁判所の判決でも、「カメルーンとナイジェリアとの間の陸地及び海の境界に関する事件」の先決的抗弁に関する判決(1998.6.11、先決的抗弁5)で、国際紛争の存否は客観的に判断されるべきことが再確認されています。竹島の領有権紛争は、1952年に韓国が李承晩ライン内に竹島を取り込み、日本が抗議した時点で発生していますし、その後多数の応酬が両国政府間でなされていることをみても、紛争の存在は客観的に明らかです。

(事務局:総務課)(2008年8月)

 

【質問7】竹島問題は、二国間で言い争っても決着がつかない。…


竹島問題は、二国間で言い争っても決着がつかない。現在の国際司法裁判所は一方が拒否できるので問題解決にはならない。国連に領土問題を検討する委員会を設けてはどうか。委員会には中立的な国から交代で専門的経験のある委員を出す。紛争当事国の一方が申請すれば、他方の国は逃げることができない規則にする。


 

【回答】


当事国の合意がないと国際司法裁判所が裁判できないのは、国際社会が「主権国家」の集まりだからです。国内だと国民を超えた「国」があり、裁判所は国の権威によって裁判します。国際社会には、国家を超える権威(世界政府)がありません。国連も、国連憲章で安全保障理事会に国際の平和と安全の維持に対する権限が与えられているなどのことはありますが、御構想に係る「当事国が逃げられない領土問題委員会」の仕組みを作ることは、国際社会の現在の発達状態では困難だと思われます。

(事務局:総務課)(2008年9月)

 

【質問8】竹島は本当に日本の領土か。日本の中にも、明治政府は…


竹島は本当に日本の領土か。日本の中にも、明治政府は竹島を韓国領だと見ていながら軍事的な思惑などで島根県に編入したとみる研究者も少なくない。島根県告示当時の状況を見れば、朝鮮半島の支配権をめぐり日清、日露戦争を行い、その勝利に伴って1905年韓国の外交権を奪い、1910年韓国併合を行った。太平洋戦争敗戦直後の連合国総司令部覚書では、政治上、行政上の権力の行使を日本4島及び隣接諸島に限定し、竹島は隣接諸島に含まれないとされた。また、日本の船舶は竹島から12マイル以内に近づいてはならず、またこの島との一切の接触は許されないとされた。ヨーロッパ列強諸国によって植民地化されたアジア諸国の多くも戦後独立した。もし日本が植民地支配の過程で竹島を占拠したものであれば、それはそもそも日本の領土ではないというべきである。


 

【回答】


編入経緯と当時の国際政治状況のこと、植民地支配のことについては、意見-B.明治〜第二次世界大戦末の質問10の回答をご参照ください。ここでは、終戦後のGHQの覚書について説明します。ご指摘に係る「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(SCAPIN 677)には、第6項として、「この指令中の条項はいずれもポツダム宣言第8項にある諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈してはならない」との規定がありました。同じくご指摘の「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」(SCAPIN 1033)には、第5項として、「関係地域その他いずれの地域に関しても、日本国の管轄権、国際境界線又は漁業権についての最終決定に関する連合国の政策の表明ではない」との規定がありました。領土の決定は平和条約によるのが国際法の通則です。その平和条約では竹島の日本保持が確定しました。竹島問題研究会最終報告書の研究レポートをご参照ください。

(事務局:総務課)(2008年9月)

 

【質問9】日本は戦前も戦後も朝鮮半島に大きな援助をし、…


日本は戦前も戦後も朝鮮半島に大きな援助をし、1997年に韓国が破綻しかけた時も助けたのに、最近は対馬までよこせと言っている。歴史上、お互いに領有権を主張している国同士が話し合いで解決した事例が有るだろうか?武力対応でないと解決しないのではないか。


 

【回答】


領土紛争は外交交渉による解決が困難だとしても、武力解決しかないということはありません。国際紛争の平和的な解決の一つの仕組みとして国際司法裁判所があり、外交交渉が行き詰ったとき、紛争を裁判で解決する方法もあります。戦後の分だけでも、1953年の「マンキエ・エクレオ諸島事件」(イギリス・フランス)から本年の「ペドラブランカ、中央岩及び南暗礁に対する主権」(マレーシア・シンガポール)まで国際司法裁判所で決着した領土紛争は十指を超えます。話し合いで解決した事例があるだろうかとのことですが、紛争を司法的に解決することで両国が合意すれば、それも「話し合い」で解決の道筋をつけたことに違いありません。

(事務局:総務課)(2008年9月)

 

【質問10】竹島の韓国占領部隊のヘリポートに対して国連の専門…


竹島の韓国占領部隊のヘリポートに対して国連の専門機関である国際民間航空機関(ICAO)によりRKDDというコードが割り振られたとの情報がある。国連の一部機関が竹島は韓国領を認めたということをどのように認識するか。これからの交渉が極めて難しくなるのではないか。このことをもって、国際司法裁判所に韓国も出てくるかもしれない。


 

【回答】


「中央日報」等でICAOコード付与の報道があったことを承知しています。ICAOのコードは航空管制などの便宜のため各国の通報に基づき付与されるものです。4文字コードの二文字目が国・地域を指し、三文字四文字目が飛行場を特定するので、RKDDの「K」が韓国、「DD」が独島(竹島)のヘリポートを意味するということのようです。ちなみに成田はRJAA、羽田はRJTTです。

さて、4文字コードの一覧表(追加、本文、削除)は、ロケーション・インジケータ(Location indicators, ICAO Doc.7910/-)という冊子で刊行されます。この冊子の表紙裏には、次のような断り書きがあります。「この刊行物中で用いられた名称や資料表示は、国、属領、都市、地区もしくはその当局の法的地位に関する、又はその国境もしくは境界線の画定に関するICAOとしてのいかなる見解の表現をも暗示するものではない。( The designations employed and the presentation of the material in this publication do not imply the expression of any opinion whatsoever on the part of ICAO concerning the legal status of any country,territory,city or area or of its authorities, or concerning the delimitation of its frontiers or boundaries.)」

もとよりICAOに領土や国境線を認定する権限があるわけではありませんが、万が一にも誤解のないように、ICAOの刊行物では領土の法的地位とは無関係であること、ICAOの見解を示すものでないことを断っているわけです。したがって、ご質問にあるように国連の専門機関が竹島を韓国領と認めたとか、これからの交渉が難しくなるということではありません。また、韓国がヘリポートのコードを通報した行為は、領土紛争が発生した後に自己の法的地位を改善するためにことさら採った措置であることが明らかですから、国際司法裁判所で紛争を解決することになったときには、実効的な占有の証拠とされません。ただし、そうであっても、韓国の不法占拠を決して認めない(黙認もしない)という意味で、この種の行為にはその都度政府において適切に反応しておくことが必要だろうと思われます。

(事務局:総務課)(2008年10月)

 

【質問11】「仮保全措置」について説明をお願いしたい。あるサイト…


「仮保全措置」について説明をお願いしたい。あるサイトによると、自国の権利が回復不能の事態に陥る切迫かつ重大な危機にある場合、一方の当事国は、仮保全措置を国際司法裁判所に求めることができるそうである。これを日本政府が申請するよう、早急に運動を盛り上げてほしい。


 

【回答】


仮保全措置というのは、国際司法裁判所規程第41条「1.裁判所は、事情によって必要と認めるときは、各当事者のそれぞれの権利を保全するためにとられるべき暫定措置を指示する権限を有する。2.終結判決があるまでは、指示される措置は、直ちに当事者及び安全保障理事会に通告される。」ならびに国際司法裁判所規則D節「付随手続」第一款「仮保全」に基づく措置をいいます。これは、当事者、終結判決、付随手続といった言葉からもわかるように、すでに国際司法裁判所に係属している事件について、最終的な判決が下されるまでの間において、権利の保全、紛争の悪化・拡大防止のために裁判所が指示するものです。

国家間の紛争は、当事国が合意してはじめて国際司法裁判所に裁判管轄権が生じます。(イ)付託協定(特別の合意)を締結して付託する場合のほか、(ロ)「自国は国際司法裁判所の管轄権を受諾します」という宣言をしている国同士の間で紛争が生じた場合、(ハ)条約の中で「この条約の解釈・適用について争いが起きたら国際司法裁判所で解決するものとする」と定めていた場合などに裁判管轄権が成立しますが、いずれもその都度または事前に両国が国際司法裁判所の管轄権を認めた場合です。1979年の「テヘランにおけるアメリカの外交職員及び領事職員に関する事件」の仮保全措置は上記ハを根拠にして始まった訴訟で出されたもの、1986年の「国境紛争事件」(ブルキナファソ・マリ)の仮保全措置は上記イによる訴訟中に武力衝突が生じて指示されたもの、1996年の「カメルーンとナイジェリアとの間の陸地及び海の境界に関する事件」の仮保全措置は上記ロに基づくカメルーンの提訴後に同じく武力衝突が発生したため出されたものでした。竹島領有権紛争に関しては、日韓間にイの合意は未だ締結されておらず、韓国はロの宣言を行っておらず(日本は1958年に強制管轄権受諾を宣言)、ハの両国間の条約の問題でもないので目下のところ国際司法裁判所の管轄権が成立せず、したがって、仮保全措置を申請することもできません。

(事務局:総務課)(2008年10月)

 

【質問12】東大名誉教授(和田春樹氏)が26日に韓国の聨合ニュー…


東大名誉教授(和田春樹氏)が26日に韓国の聨合ニュース記者のインタビューに答えて以下のように発言しているが、竹島問題研究所としてはどのように考えるか?東大あるいは当該教授に対して抗議すべきだと思うがどうか?「近代以前の歴史を見れば韓日どちらも独島領有権を主張する根拠があるが、重要なことは領土観念が定立される近代以後の文献や決定だ。鬱陵島と独島は日本と関係がないという1877年日本太政官指令、1905年日本が朝鮮を占領した状態で独島を編入した事実、独島を日本主権から除いた1946年連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号などによって独島を韓国の領土と見ることが正しい。」


 

【回答】


個々の研究者がご自身の見解を述べられるのは全く自由です。多様な見解を持つことやそれを発表することが憚られるような社会であってはいけないでしょう。ただし、ご質問に引用されている三つの論点-太政官指令については杉原通信第8回平成20年度「竹島問題を学ぶ」講座第5回の講義録の3.8を、編入時の国際政治情勢(日韓協約等)については意見-B.質問10の回答を、SCAPIN 677については《このページの質問10の回答》を、それぞれご参照ください。

(事務局:総務課)(2008年11月)

 

【質問13】最終報告書の「日本側作製の絵図の分析II」において日本…


最終報告書の「日本側作製の絵図の分析II」において日本の記録にある1里を海里(1.8km)で計算しているが、江戸時代に海里の概念はあったのだろうか。また、8月に韓国メディアが「Conflicting Korean-Japanese Claims to Dokdo Island (otherwise known as Takeshima or Liancourt Rocks)」と題する1954年8月26日付けの米国国務省内部報告書が見つかり、ラスク書簡を否定していると報道した。その後の続報がないようだが、この報告書についてお教え願いたい。


 

【回答】


1.里の換算のこと

竹島問題研究会最終報告書のご質問に係る記述については、『竹島問題に関する調査研究報告書平成19年度』(平成20年7月島根県総務部総務課編集発行)のp.113に執筆者による訂正記事が掲載されていますので、ご覧いただければ幸いです。当該訂正記事では、「海里の導入は近代以降のことであり訂正します。ただ、<1里=4kmを当てはめることには無理があり...中略...>正保出雲・隠岐国絵図の海上里数を検討すると以下のようになります。隠岐西郷と出雲美保関海上36里実際の距離約70km/隠岐知夫里と出雲宇龍海上35里実際の距離約70km/出雲宇龍と石見国境海上8里実際の距離約15km...」とされています。

2.国務省文書のこと

ご指摘の米国国務省文書は、本年(2008年)8月の初めに「東亜日報」が報道したものだと思います。Web竹島問題研究所では原資料をまだ確認しておりませんが、報じられたところによれば、当該文書は、ラスク書簡が歴史的事実への十分な理解に基づくものであるか疑義があるなどとした上、韓国が1905年以前に竹島を領有していたことが証明できれば同島が韓国領土に含まれることが法的に確立する、云々と述べているようです。

この文書は、日付の前に草稿(DRAFT)とタイプされており、余白に手書きでファイト嬢より(From Miss Fite)と書かれています。当時の国務省法務部に極東担当のKatherine B. Fiteという人がいますので、この人が、国務省内の誰かに手渡したものでしょう。この草稿が書かれた1954年8月当時は、1952年1月の李承晩ライン宣言による竹島領有権紛争の発生後、日本巡視船に対する発砲(1953.7)、日韓両国政府による領有権主張の根拠を示した応酬の開始(第1回見解往復-日本1953.7、韓国1953.9)を経て、韓国による警備隊の派遣(1954.6)、日本による紛争の国際司法裁判所への提訴提案(1954.9)に至る時期に当たります。一般的に言って、他国の領土紛争に巻き込まれると損な役回りをすることになるので、この時期米国国務省も竹島領有権紛争の激化を見て局外に立つ方途を模索していました。この状況からすると今回報じられた文書は、国務省内部で逃げを打つための理論武装の相談を受けた法務部の係官が草稿として回答した(知恵をつけた)ということであろうと思われます。(そうであれば、条約の成立過程で他国に正式に伝達された文書=ラスク書簡=とは重みが違います。)

問題を法的に整理すると、平和条約で日本が放棄した「朝鮮」に竹島が含まれるかどうかということになります。条約の解釈にはルールがあり、ラスク書簡の経緯を含め条約の準備作業も一定の役割を持ちます。また、韓国が1905年以前に領有していたことが証明できれば云々は、日本による領土編入の有効性の問題です。これらの法的な問題については、平成20年度の「竹島問題を学ぶ」講座第5回講義録の3.5、3.4に解説がありますのでご参照ください。

 (事務局:総務課)(2008年11月)

 

【質問14】竹島に関する日本政府の文献である1951年6月6日の…


竹島に関する日本政府の文献である1951年6月6日の総理府令24号、同年2月13日の大蔵省令4号は、竹島を日本の付属島嶼から除くと書いてあるようだ。貴県の見解を伺いたい。


 

【回答】


韓国でご質問にあることが報道されたのを承知しております。報道によれば、外務省のコメントもあるようですが、制定月日順に若干の補足をしたいと思います。

まず、1951年大蔵省令4号というのは「旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法第四条第三項の規定に基く附属の島を定める省令」という名前の省令で、


「旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法...第4条第3項に規定する附属の島は、左に掲げる島以外の島をいう。

 一千島列島、歯舞列島(水晶島、勇留島、秋勇留島、志発島及び多楽島を含む。)及び色丹島

 二小笠原諸島、硫黄列島、大東諸島、沖の鳥島、南鳥島及び中の鳥島

 三鬱陵島、竹の島及び済州島

 四北緯三十度以南の南西諸島(口の島を含む。)」


と規定していました。(その後の改正で二号と四号は削除。)

この省令は、名前にあるとおり「旧令による共済組合等からの年金受給者のための特別措置法」という法律(1950年法律第256号)の施行令です。この法律の第4条は、第1項で、国家公務員共済組合連合会は外地関係共済組合...からの年金受給者に対し当該共済組合が支給すべき年金を支給する、と規定し、第3項で、「第1項の規定により年金を支給すべき者は、戸籍法の規定の適用を受ける者で、且つ、本邦(本州、四国、九州及び北海道並びに大蔵省令で定めるその附属の島をいう。以下同じ。)内に住所又は居所を有する者に限る。」としていました(制定当初の条文)。

以上のことを整理していえば、(A)外地関係共済組合(朝鮮総督府逓信官署共済組合、朝鮮総督府交通局共済組合、台湾総督府専売局共済組合など)から年金をもらうはずの人は、今後は、国家公務員共済組合連合会から年金をもらう、(B)ただし、日本戸籍があり、本邦内に住所か居所がある人に限る、(C)ここでいう本邦には、上記の諸島は含めない、ということです。つまり、上記の諸島に住んでいる人は、外地関係共済組合所属職員で日本戸籍があっても年金受給者にしないことにしたわけですが、それは、それらの諸島については実際上日本の行政権が行使できず、受給資格者の状況の把握も、支給事務もできなかったからだと思われます。

次に、1951年総理府令24号は、「朝鮮総督府交通局共済組合の本邦内にある財産の整理に関する政令の施行に関する総理府令」という名前の府令です。条文を掲げることは省略しますが、要するに、朝鮮総督府交通局共済組合の財産の整理(財産の処分、債務の弁済、残余財産の組合員への分配など)に関して本邦内にある財産などという場合に、そこでいう「本邦」に大蔵省令同様の島を含めない、つまり、それらの諸島に朝鮮総督府交通局共済組合の財産があってもその財産は整理しないということです。なぜそのようにしたかといえば、それらの諸島は実際上日本が行政権を行使しえない状況にあったので、財産の状況を把握できず、財産の整理もできなかったということであろうと思われます。

以上のことから明らかであるとおり、ご質問に係る府省令は、そこに掲げられた諸島が日本国の領域でないと定めたものではなく、外地の共済組合にまつわる年金支給や財産整理という特定の事務を行うに際し、実務が行えない地域を挙げたものだといえます。なお、これらの府省令は外地の解消という時代を反映したものでしたが、"現役"の法令にも実務が行えないという同様の事情により竹島を除外したものがあります。国勢調査施行規則(1980年総理府令第21号)は、第1条で、「国勢調査令第4条第1項第1号の総務省令で定める島は、次のとおりとする。」「二島根県隠岐郡隠岐の島町にある竹島」と規定しています(一号は北方四島)。国勢調査は、国勢調査令(1980年政令第98号)で「調査時において本邦にある者で、本邦にある期間が引き続き三月以上にわたることとなるもの」について行うことになっていますが、竹島と北方四島は日本領土でありながら国勢調査が行えないという意味です。

上記の諸島のうち、すでに施政権を回復した諸島、平和条約で放棄したウルップ以北のクリル諸島、鬱陵島、済州島は別にして、日本の領土でありながら現在も行政権の行使が完全には行えない状態にある竹島と北方四島が、早期に日本の施政下に戻ることを願いたいと思います。なお、「実事求是」第17回もご参照ください。

(事務局:総務課)(2008年12月)

 

【質問15】1.韓国が日本による竹島編入を知ったのは1906年に…


1.韓国が日本による竹島編入を知ったのは1906年に島根県の竹島視察団が鬱島郡守に知らせたのが最初で、その時点で韓国政府は日本により外交権を奪われており、抗議できなかったとする主張があるが、韓国が竹島編入を知ったのはいつか。2.李承晩ラインが引かれる前のマッカーサーライン時代にも数十隻の日本船が拿捕され、その後の韓国側の拿捕もマッカーサーラインの継承で、竹島周辺では一隻の日本船も拿捕されていないとする主張があるが、これは事実か。


 

【回答】


1について:明治38年(1905年)1月の閣議決定による竹島の領土編入は、同年2月に島根県知事によって告示され、山陰地方の新聞にも載りましたが、韓国が知ったのは御質問にあるとおり1906年に島根県の調査団が竹島を視察した際、鬱陵島に立ち寄って伝えた時だとされています。ただし、外交権を奪われていて抗議できなかったという主張については、意見-B.質問10を御参照ください。

2について:李承晩ライン規制によって竹島周辺で日本漁船が拿捕された例は無いか、あっても1隻だろうという研究があります(福原裕二「竹島の誤解を解く」『リポート21』19年度(島根県立大学)p.79)。しかし、李ラインがマッカーサーラインの「承継」だという議論は、李ラインや日本漁船拿捕の違法性の言い訳にはなりません。マッカーサーラインは占領下で日本船が個別の許可を得なくても航行できる範囲を定めた占領当局の指令であって平和条約の発効(占領の終了)に先立ち、昭和27年(1952年)4月に廃止されました。その前年の1951年7月に韓国の駐米大使が、平和条約草案を修正してマッカーサーラインが存続する旨の規定を設けるようアメリカに要求し、拒絶されました。公海上に一方的に線引きをして他国の船舶を拿捕することは国際法違反であることが明白であり、占領当局の措置であるマッカーサーラインの「継続」だという話も、法的に無意味であるだけでなく、事実にも反します。

(事務局:総務課)(2009年2月)

 

【質問16】韓国の独島学会編「独島に対する日本の領有権主張が誤り…


韓国の独島学会編「独島に対する日本の領有権主張が誤りである理由」のPDF版10に、SCAPIN 677で独島が「日本領土から除外され韓国に返還された」、GHQが独島を「現住人である韓国(当時は米軍政庁)に返還」したとある。日本政府の行政権が制限されただけなので、それを領土から除外されたとするのは不当だ。しかし、後半のことは見逃せない。なにか米軍政庁に移管したというような証拠はあるのだろうか。


 

【回答】


竹島を含むいくつかの地域に対して日本政府が権力行使をしてはならないとしたGHQの指令「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(SCAPIN 677)ですが、この覚書が第6項で「この指令中の条項はいずれもポツダム宣言第8項にある諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈してはならない」と断っていたこと、領土の決定は平和条約によるのが国際法の通則であり、平和条約では竹島の日本保持が確定したことは、このページの質問8への回答で説明したとおりです。SCAPIN 677が領土の決定と無関係であることは、最近ブログ上でも採り上げられている外務省の記録「行政の分離に関する指令部側との会談」(A'3.0.0.6,リール番号A'-0121,コマ0154-0161)においてもGHQ当局者の言として確認されています(「...従ツテ本指令ニ依ル日本ノ範囲ノ決定ハ何等領土問題トハ関係ヲ有セス之ハ他日媾和会議ニテ決定サルヘキ問題ナリ」)。

ところで、この1946年2月13日の会談記録には、ご質問に係る「米軍政庁への移管」と関係のある記述があります。引用したGHQ当局者の発言の前段(「したがって」という理由の部分)に、「本指令ハ単ナル聯合国側の行政的便宜ヨリ出テタルニ過キス...SSAP(ママ)ノ行政ノ及フ範囲ハ本指令ニ示セル日本内ニ限ラレ其ノ他ハSCAPノ所管スルトコロニアラス例ヘハ大島ハCINPAC(ママ)ノ所管、鬱陵島ハ第二十四軍団ノ指揮下ニ在リ」とあります。終戦当時の日本の領域のうちある部分は連合国間の事前の取り決めによって米軍以外の占領するところとなり(朝鮮北半、千島をソ連が占領など)、米軍の占領地においても米軍内の組織により所轄が分かれました。ここでは鬱陵島が例に上がっていますが、竹島も朝鮮南半の占領行政を担った米軍の部隊の所轄となったのかどうかという問題はあろうと思います。他方、爆撃訓練用地としての竹島使用の関係では朝鮮の米軍当局ではなくSCAPが権限を行使したと考えられる例もあり、無人の孤島である竹島には占領行政上明確な所轄の定めがなかった可能性もあります。しかし、仮に朝鮮を担当する米軍部隊の管轄下に置かれたことが資料的に裏付けられたとしても、SCAPIN 677に規定があるとおり、またSCAPIN 677指令当時にGHQ当局者が言明しているとおり、日本の領土的範囲の決定は別問題であり、それは平和条約で決定されるべきことであったわけです。

(事務局:総務課)(2009年5月)

 

【質問17】『竹島密約』という本が出された。1965年、日本は韓国…


『竹島密約』という本が出された。1965年、日本は韓国の竹島の現状維持を認め、韓国は警備隊等の増強を行わないという密約を締結し、これによって日韓基本条約を締結することが出来た、それを金泳三政権が破ったなどと書いてあるが、これについての意見をお聞かせ願いたい。


 

【回答】


"密約"のことについては、雑誌に記事が出た時点で簡単に、政府の説明とWeb竹島問題研究所関係者のコメントが掲載された資料名を紹介しております。(《このページの質問1》をご覧ください。)

ご指摘の本(ロー・ダニエル著『竹島密約』草思社2008.11)を見ると、「解決せざるをもって解決」とし、両国とも自国の領土であると主張することを認め同時にそれに反論することに異論はない、韓国は現状を維持し警備員の増強や施設の新設増設を行わない等のことを合意したという話のようです(p.208)。質問文にあるような、日本が韓国の竹島占拠を容認するという"合意"はありえませんし、その後の展開がそれを否定しています。現時点で日韓国交正常化当時の状況を見ると、日本政府は、当初「請求権の問題のみならず、漁業問題をはじめ、在日韓国人の法的地位、竹島等の全懸案を一括して同時に解決することにより国交正常化をはかる」(1963年1月23日衆議院本会議における大平正芳外相の外交演説)としていたものが、最終的には、竹島問題について「紛争の解決に関する交換公文」で解決方法を取り決めることにより先に進むことになりました。この交換公文では、両国間の紛争は、まず外交交渉により、外交交渉で解決できなかった場合は両国が合意する手続に従い調停によって解決を図るとされました。それは、他の懸案がおおむね解決されるに至って、日韓両国間の国交を正常化するという大目標のために両国政府が編み出した妥協点だったと思われます。ただし、この条約(交換公文)に「竹島」の文字はありません。日本政府は国内的にこの条約が竹島問題のためのものだと説明し、韓国政府は国内に向けて竹島問題とは関係がないと説明しました。もし"密約"の要点が解決せざるをもって解決とする、つまり日本が竹島を自国の領土だと主張し、韓国も自国領だと主張する、相手国が領有権主張すれば反論する、相手国が領土主張をし、反論すること自体にもう一方の国は異存がない、ということであれば、表の舞台すなわち締結された条約とそれの国民への説明において、("密約"の存否とは関係なく、)実際にそのような取扱が行われたと言えるかもしれません。いずれにせよ、このようにして日韓間の国交が正常化され、その後善隣関係が深まったわけですから、今では、両国の政府と国民が竹島問題にきちんと向き合い、互いの主張に耳を傾け、歴史的事実を明らかにし、未解決の解決という便法ではなく真の解決に向けた取組が行えるのではないかと思われます。

(事務局:総務課)(2009年5月)

 

【質問18】韓国の報道(JPNews http://jpnews.…


韓国の報道(JPNews http://jpnews.kr/sub_read.html?uid=741(外部サイト))によれば、マーク・セルダン米コーネル大教授が、竹島は日本の領土でないと主張したそうだが、その論拠が、非常にお粗末な内容であった。「1945年、米国は独島が韓国の領土という意見を示しました。しかし、サンフランシスコ条約(1951)時は前の意見とは違って独島がどこの国の領土なのか、各国の境界線がどこで終わるのか明確にしないなど中立的な立場を維持しました。」と述べている。これは教授の無知からくる発言といってよい。サンフランシスコ平和条約の草案の変遷を確認していくと、 Liancourt Rocks (竹島)は Dean Rusk Document を経て日本が放棄しない領土に含まれた、つまり条約上日本領土であることが明確に確認されている。韓国が竹島を侵略した際も、アメリカは、サンフランシスコ平和条約における竹島の地位の再確認をしており、韓国の Scapin 677 による領有権主張は否定されている。こういった基本的なことが、海外の学者に知られていないのは、日本側の広報が足りないのではないか。また、韓国側のいう于山島が竹島でないことは数ある資料から確定できることであり、石島も竹島であることを直接的に示す資料・地図は発見されておらずこの論拠が韓国側の推測・願望に過ぎないことも、きちんと世界に広めるべきである。


 

【回答】


サンフランシスコ平和条約で竹島の日本保持が確定していること、韓国古地図に竹島を掲載したものがないことは、「竹島問題に関する調査研究最終報告書」にあるとおりです。ご教示いただいた記事を見ると、この教授の主張は、全体としては東アジアの和解のために種々の関連問題を広く国際的な線で検討すべきだということのようですが、ご意見で引用されているような発言が事実関係の無知によることはそのとおりなので、今後も可能な範囲で啓発に努めたいと思います。

(事務局:総務課)(2009年6.7月)

 

【質問19】アメリカが、オーストラリアに竹島の扱いを質問され、…


アメリカが、オーストラリアに竹島の扱いを質問され、竹島は日本領土に含まれるとサンフランシスコ平和条約前にオーストラリアに通知したそうだが、詳しく解説してほしい。


 

【回答】


ご質問にある質問・回答は、米国の外交文書集Foreign Relations of the United States, 1950年6巻1327ページ以下に掲載されているもので、塚本孝「サンフランシスコ条約と竹島」『レファレンス』389(1983.6)pp.51-63に訳出紹介されています。米国における対日平和条約の準備は、1950年秋以降、米政府部内の検討の段階から他の連合国の意見を徴する段階に移ります。米国は、手始めに、平和条約草案の骨子を7項目に要約した覚書(1950年9月11日付け)を作成し、各国に提示します。この覚書(いわゆる講和7原則)の第3項が領土関係で、「日本国は、(a)朝鮮の独立を承認し、(b)合衆国を施政権者とする琉球及び小笠原諸島の国連信託統治に同意し、(c)台湾、澎湖諸島、南樺太及び千島列島の地位に関する連合王国、ソ連、中国及び合衆国の将来の決定を受諾する。...」とされていました。オーストラリア政府は、この講和7原則についての照会の中で第3項について、「旧日本領土の処分に関し、より精密な情報を求む。例えば西沙群島、火山列島、南鳥島、伊豆諸島。」という質問をしました。この質問に対する米国の回答は、冒頭部分で日本が保持する島を挙げ、「瀬戸内海の島々、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、対馬、竹島、五島列島、琉球諸島最北部及び伊豆諸島、いずれも古くから日本のものと認められていたものであるが、これらは日本によって保持されるであろうことが考えられている。...」としました。平和条約では日本が放棄する領土(第2条)、米国の施政権下に置く領土(同第3条)を規定し、日本が保持する領土に関する規定は設けられなかったので、このような"日本であり続ける島"のリストは条約上には出てきませんが、オーストラリアの質問は、平和条約によって竹島の日本領であるという地位に変動がなかったこと、逆に平和条約上日本の領土であることが確認・確定されたことを示す一つの資料です。

(事務局:総務課)(2009年6.7月)

 

【質問20】朴炳渉氏は、「1951年6月、在韓米軍のコルター将軍…


朴炳渉氏は、「1951年6月、在韓米軍のコルター将軍は韓国政府へ竹島=独島を爆撃訓練区域に使用する許可を韓国政府から得ました。この一事だけを取りあげれば、アメリカは竹島=独島を韓国領土として扱ったという結論になりかねません。」と主張している。これについて、1)1951年6月、在韓米軍のコルター将軍が韓国政府から得た「独島」の使用許可というものの実態はいかなるものか。2)1951年ということは「日本国との平和条約」の発効前であり、領域の確定していない時期である。したがって仮に在韓米軍が前述の「許可」を得ていたとしても、それはただちに島の領有権を保証するものではないのは明らかと思われるがどうか。


 

【回答】


ご指摘の朴氏の主張は、2008/5/10Yahoo!掲示板「竹島」No.16542、半月城通信No.134(2008.5.30)3.外務省「竹島」パンフ批判(8)(外部サイト)竹島=独島の爆撃訓練区域指定にアップされたものだろうと思います。この記事には出典の記載がありませんが、「在韓米軍のコルター将軍」の話は、 Mark S. Lovmo 氏による調査" Liancourt Rocks Bombing Range :1947-1952"が明らかにしたことです。ロヴモ氏が紹介する資料--在韓米陸軍第8軍の副司令官 John B. Coulter 陸軍中将発、張勉韓国国務総理あて1951年6月20日付け書簡--に、「空軍が、訓練のためリアンクール岩を爆撃場として終日使用する許可(authority)を求めています。空軍は、15日前に通告して人と船を排除する用意があります。上記のことに承認(approval)をくださるかどうか可及的速やかに通知してください。」とあります。続いて同年7月7日付けの第8軍のレポートに韓国が7月1日に承認を明らかにした云々とあります。

他方、ロヴモ氏も指摘するように、また以前から知られているとおり、竹島の爆撃場としての使用は、GHQから日本政府にあてた指令として発出されています。1947年の指令は、SCAPIN-1778: Liancourt Rocks Bombing Range (1947.9.16)であり、この1951年の指令は、SCAPIN-2160: Liancourt Rocks (Take-Shima) Bombing Range (1951.7.6)です。SCAPIN-2160は、「1.廃止:...SCAPIN-17782.リアンクール岩(竹島)...は爆撃場として指定される。3.危険区域は次のとおりa.地上海上の危険区域-リアンクール岩北緯37度15分東経131度52分の半径5マイル内の区域b.空の危険区域-リアンクール岩...の半径5マイル上空30,000フィートまでの空域4.隠岐列島の住民及び北緯40度までの本州西岸の全港湾の住民は、この訓練場を使用する15日前に通告される。15日を超えて使用されるときは、警告が15日ごとに上記住民に流布される。その情報は、総司令部政治局から日本政府に伝達され、日本政府は関係地域の文民当局に流布するものとする。」としていました。

以上の資料に即して見れば、竹島の爆撃場として使用に際し韓国政府の承認を求めたことは、在韓米軍が竹島を韓国領土だと考えていたからというよりも、爆撃訓練によって韓国人も影響を受けることがあり、了解を得ておく必要があったということかもしれません。韓国政府あてのCoulter書簡は、日本政府あてのSCAPIN-2160よりも情報内容が簡単であることにも注目したいと思います。しかし、いっそう重要なことは、質問者ご指摘のとおり、米軍当局がどう考えたかではなく国家間の平和条約により竹島の日本による保持が確定したことです。

(事務局:総務課)(2009年6.7月)

 


【質問21】日韓漁業協定に基づく「暫定水域」を図示すれば問題の…


日韓漁業協定に基づく「暫定水域」を図示すれば問題の核心が理解され、小さな島だからどうでもよいなどと考える者がいなくなると思う。


 

【回答】


暫定水域の図は、県のホームページ島根の主張にも掲載しています。領土は経済的利益の問題ではなく一国の主権の問題ですが、200海里時代において周辺海域の水産資源、海底鉱物資源などが重要になることは、御指摘のとおりです。多くの方が関心を持ってくださるよう今後とも啓発に努めたいと思います。

(事務局:総務課)(2009年8.9月)

 

【質問22】鬱陵島でバスドライバーから、観音島には過去に人が三人…


鬱陵島でバスドライバーから、観音島には過去に人が三人住んでいたと聞いた。ウサギとヤギを放し飼いにしていた、育ったウサギとヤギを売るときに鬱陵島本土へケーブルを使って運搬していた、橋の建設計画があったが予算が下りずに頓挫してしまった、20数年前の話だ--とのことであった。これらの話を裏付ける当時の資料があるだろうか。


 

【回答】


李泳熙「独島・鬱陵島踏査記」『山(The San)』1971年9月号pp.24-31に、観音島について、「もともと無人島であったが泉があるため昨年一軒の農家が入った。」という記述があります(p.31)。また、孫成祐編『韓国地名辞典』〔ソウル〕景仁文化社1974年の観音島の項(p.63)に、「家口1。人口4。...住民は農業に従事している」云々とあります。鬱陵島周辺の島嶼は、ほとんどが単なる岩礁である中、竹嶼(韓国で竹島=チュクトと呼ぶ島)と観音島が人の住める島であり、特に名を挙げるならこの二島であるわけです。鬱島郡の区域を「鬱島全島と竹島石島」とした1900年の大韓帝国勅令第41号にいう竹島石島は(独島とは関係なく)竹嶼と観音島ではないかという議論がありますが、観音島に実際に人が住んでいた事実は、この議論との関係で興味深いことです。

(事務局:総務課)(2009年8.9月)

 

【質問22】SCAPIN677はこれを改廃する新たな取り決めのな…


SCAPIN 677はこれを改廃する新たな取り決めのない限りサンフランシスコ講和条約発効後も当然にはその効果を失わない、とする議論がある。この考え方は成り立つのだろうか。占領の終了とともに占領軍の発した命令等は自動的に無効となる国際慣習法が働くのではないか。


 

【回答】


日本は、1945年9月2日に「降伏文書」に調印しましたが、この条約に「天皇及日本国政府の国家統治の権限は本降伏条項を実施する為適当と認むる措置を執る聯合国最高司令官の制限の下に置かれるものとする」とありました。つまり、主権が制限されることになりました。しかし、サンフランシスコ平和条約の効力発生(1952年4月28日)により、日本は主権国(独立国)としての地位を完全に回復しました。これにより、連合国最高司令官(総司令部)の指令(措置)は、平和条約の中に取り込まれたものや国内法令として制定したものが内容的に引き続き行われることは格別、指令それ自体は当然に終了、失効しました。SCAPIN 677についていえば、これこれの地域に対して日本政府が政治上行政上の権力を行使してはならないというこの指令が独立の回復により失効したことは明らかです。指令に掲げられた地域のうちあるものは平和条約により日本が領土権を放棄しました。放棄した地域に対して権力行使ができないことは、SCAPIN 677の効力が存続しているからではなく、平和条約を締結した結果によるものです。竹島は、平和条約で日本が放棄した地域ではないので、この島に対する日本の領土主権に変動はなく、独立の回復(すなわちSCAPIN 677の失効)とともに日本政府の管轄権も回復したわけです。なお、設問にある議論に即してみた場合にも、平和条約それ自体がSCAPIN 677の内容を変更する別途の措置だと言うことができます。

(事務局:総務課)(2009年10.11月)

 

【質問23】朝鮮日報2009年11月16日ウェブ版に、「独島」は日本…


朝鮮日報2009年11月16日ウェブ版に、「独島」は日本領でないとする1946年の大蔵省法令が発見されたとする記事が載った。記事によれば、韓国の朴宣映議員が日本の官僚から入手した「1946年8月15日大蔵省告示654号」で、竹島が朝鮮、台湾、サハリン、千島列島、南洋群島などとともに外国に規定されていたという。今年初めに話題になった1951年の大蔵省令4号と同じようなことかと思うが、どうか。


 

【回答】


韓国では決定的資料だというような報道がなされているので、少し詳しく説明します。

『朝鮮日報』記事にいう昭和21年大蔵省告示第654号は、「会社経理応急措置法施行令第25条第1号の規定によつて、外国に含むべき地域を次のやうに指定する。一朝鮮、台湾、関東州、南洋群島及び樺太/二千島列島/三小笠原諸島及び硫黄列島/四竹島/五北緯三十度以南の南西諸島/六大東島、沖の鳥島、南鳥島及び中の鳥島」というものです。この告示にある会社経理応急措置法施行令(昭和21年勅令第391号)第25条は、会社経理応急措置法(昭和21年法律第7号)を受けて、同法にいう「在外資産」の範囲を定め、在外資産とは、「一外国(大蔵大臣の指定する地域を含む。以下同じ。)にある動産、不動産及びこれらのものに関する権利」(以下、鉱業権・漁業権、債権・預金、出資、有価証券、著作権・特許権、銀行券・貨幣など)をいうとしています。会社経理応急措置法というのは、政府が昭和21年8月12日に発表した「補償打切り並に経済再建に関する政府声明」により、戦争に際し政府の措置や政府企業間の契約に基づいて政府が負っていた債務(軍需企業に対する戦争損害保険金等)の支払いを打ち切ったことを受けて、「戦時補償金等の交付を受け、若しくはその交付を受ける権利を有し、又は在外資産を有する資本金二十万円以上の会社」など一定の会社を「特別経理会社」とし、特別経理会社の経理を昭和21年8月11日午前零時の前後で区分し、旧勘定と新勘定に分離して経済再建を図る等のことを内容とする法律です。

要するに、会社経理応急措置法という法律により戦後の経済再建のために特別の勘定を設定する会社を定義するなかで在外資産の有無を基準の一つとし、それを受けた勅令で在外資産を「大蔵大臣の指定する地域を含む」外国にある財産等と定義し、大蔵省告示で「外国に含むべき地域」を指定したわけです。

さて、勅令が「大蔵大臣の指定する地域を含む」外国といい、大蔵省告示が「外国に含むべき地域」といっているように、大蔵省告示に掲げられた地域は、外国ではなく、会社経理応急措置法における「在外資産」の文脈で外国として取り扱う地域です。大蔵省告示で指定された地域には、いわゆる外地もあれば府県に属する内地もありますが、1946年1月29日の連合国最高司令官総司令部覚書677号「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(SCAPIN 677)により日本政府による行政権行使が停止された結果、そこにある資産が活用できなくなったため、在外資産の文脈では、(外国ではないけれども)外国として取り扱うということです。したがって、大蔵省告示が竹島を外国と規定したとするのは誤りです。

また、SCAPIN 677では、第3項aで「欝陵島、竹島、済州島」と規定し、第4項cとして「朝鮮」を規定していたのに対し、大蔵省告示の第4号では「竹島」だけを掲げ、第1号で「朝鮮」を掲げています。これは、SCAPIN 677第3項aの地域のうち欝陵島と済州島は、大蔵省告示では第1号の朝鮮に含めているということです。つまり、SCAPIN 677では、単に地理的に外郭地域として欝陵島、竹島、済州島を挙げたけれども、大蔵省告示では欝陵島、済州島については外地(朝鮮)として規定し、竹島は内地(島根県の一部)であるので区別して規定したのです。このことからしても、大蔵省告示が竹島を外国と規定したなどということは決してできません。

なお、SCAPIN 677は、周知のとおり同指令自体に、ポツダム宣言第8項にある諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈してはならないという規定があり(第6項)、同指令が出された直後に行われた日本政府当局者と総司令部との会談においても、同指令が領土の決定と無関係であることが総司令部当局者の言として確認されています。領土の決定は1951年9月8日の平和条約によって行われ、竹島については(大蔵省告示にある小笠原諸島、南西諸島などもそうですが、)日本が保持することになりました。竹島問題研究会最終報告書の研究レポートと《このページの質問16》への回答を参照してください。また、質問にある1951年の府省令のことについては《このページの質問14》をご覧ください。

(事務局:総務課)(2009年10.11月)

 

【質問24】田村清三郎『島根県竹島の新研究』1965に、(1)…


田村清三郎『島根県竹島の新研究』1965に、(1)1953年3月4日に米国側は、竹島に対する韓国の領有権を承認した事実はないと発表した(p.118)、(2)「竹島を日本人がリアンクール島というのは、東島にある大きな岩窟を李朝時代に李安窟と呼んだから出た名前であると思われる」と韓国が主張した(p.143)とあるが、これらの根拠史料を教えてほしい。


 

【回答】


(1)1953年3月5日の参議院外務委員会・法務委員会連合審査会において、同年2月27日に米空軍司令官が竹島を韓国領と認めて爆撃演習を中止した旨の発表を韓国国防部がしたことに関する質疑が行われ、下田条約局長が、次のように述べています。

「この間の国防部の発表のありました直後に私アメリカ大使館員と会いましたのですが、念のため聞きますと、米大使館は一笑に付しておりました。これは余りにも明白な問題であつて取るに足らんという態度であつたのであります。<中略>単に調査を求めて、そうしてその回答を待つておりましたが昨日回答がございました。内容はこれはただ軍で爆撃の演習を停止したというだけの事実の回答でありますので、追つて米国政府の見解はアメリカ大使館から正式にあることと存じます。」

「昨日回答がありました」という昨日が、御質問に係る田村氏の本の記述の1953年3月4日に当たりますので、上記の下田答弁の内容を指しているのかと思いますが、これ以上の情報は確認できません。

(2)『世界新聞』1951年12月3日付け記事〔釜山-KP〕「独島は韓国領土でこのことは総司令部覚書にも明記されていると韓国政府李公報処長談話発表」と題する記事中に、政府談話の報道に続き、「・・・歴史的に見れば、480年前の成宗大王2年(西紀1483年)以来、当時の政府の数次の調査の結果、李朝実録にはその発見者は永興の人、金自周という者で、島名は三峰島と命名されたと記されている。この島には東島に大きな岩窟があるが、李朝時代には李安窟または松窟とよばれ、・・・独島の国際的名称であるリアンクール列島という名は、前記李安窟から出た言葉だと見られる。」云々とあります。これが田村氏の記述の出典であれば、新聞社による解説で、韓国政府がそのように主張したということではないかもしれません。なお、Web竹島問題研究所ではこの記事の訳文(当時のメモ)を確認しましたが、『世界新聞』の原文は持っておりません。このコーナーの読者からの情報を求めます。

(事務局:総務課)(2009年12月、2010年1月)

 

【質問25】内藤正中『竹島=独島問題入門--日本外務省「竹島」…


内藤正中『竹島=独島問題入門--日本外務省「竹島」批判』2008,p.53は、戦後の竹島爆撃演習について「1953年3月19日韓米合同委員会の決定で指定が解除される」としているが、これは事実であろうか?


 

【回答】


著者に出典を照会したところ、内藤正中・金柄烈『史的検証竹島・独島』岩波書店2007,p.202の金柄烈氏の説によるとの回答を得ました。この岩波書店の本には、「1953年3月19日第45次米韓合同委員会において爆撃練習場指定は解除されたのである」とあります。しかし、この記述は、米韓ではなく「日米」合同委員会の間違いだと考えられます。昭和28年4月4日外務省国際協力局長発島根県知事あて「島根県所在竹島爆撃訓練区域廃止に関する件」という通知文書の別添(二)に、「日米行政協定第二十六条に基く合同委員会日時及場所昭和二十八年三月十九日東京都外務省ビル第四十五回合同委員会議事録」云々とあります。日付と回次が一致します(この通知文書は県に保存されています)。そもそも、竹島の爆撃訓練区域というのは、日米安保条約・行政協定に基づいて日本が米軍に施設区域として提供したものですから、それを「米韓合同委員会」が解除するということはあり得ません。

(事務局:総務課)(2009年12月、2010年1月)

 

【質問26】鄭秉峻『解放後韓国の独島に対する認識と政策(1945…


鄭秉峻『解放後韓国の独島に対する認識と政策(1945ー51)』p.7に、韓国米軍政庁の文書を引用して、「米軍政当局は独島がすぐれた漁業前進基地として鬱陵島南西側(原文のまま)に位置する2つの小島から成っており、現在領有権が論争の的となっていると書いている。即ち過去においては日本の占領下にあったが、現在はマッカーサーラインにより韓国側の漁業区域に確定されており、この島の終局的な帰属問題は日々迫りつつある対日平和会談において決定される問題であるとまとめている」という記述がある。韓国の米軍政庁も領土はサンフランシスコ条約で決定すると考えており、韓国のSCAPIN 677の解釈に対する有効な反論史料となると思われる。この史料について何かご存じであれば教えてほしい。


 

【回答】


貴重な情報をありがとうございました。御指摘の米軍政庁文書の原文を確認しました。該当文書は、U.S. Army Military Government-South Korea: Interim Government Activities, No.1, August 1947と題する報告書で、その第1部予備的考察、第1節人口、11-18段落特別問題の18に、「従前日本に属していたが、日本と朝鮮の漁業水域を画する恣意的な線を引いた最近の占領指令はトクトを朝鮮ゾーン内に置いた。この島の管轄権の終局的処分は平和条約を待つ。Formerly belonging to Japan, a recent occupation directive which drew an arbitrary line demarcating Japanese and Korean fishing waters placed Tok-to within the Korean zone. Final disposition of the islands' jurisdiction a waits the peace treaty.」とあります。

この報告書には重要な情報が二つあります。第一は、韓国(大韓民国成立前なので朝鮮半島南半というのが正確かもしれません)を統治していた米軍政府が竹島の最終的処分は平和条約を待って決まることだという認識を示していること、第二は、同じくマッカーサーラインが恣意的に引かれた線だとしていることです。

竹島に対する日本政府の権力行使を停止したSCAPIN 677、竹島12海里以内に近づいてはならないとしたSCAPIN 1033には各々「ポツダム宣言第8項にある諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈してはならない」、「日本国の管轄権、国際境界線又は漁業権についての最終決定に関する連合国の政策の表明ではない」とありました。そもそも総司令部に領土の処分権があるわけではなく、領土の決定は平和条約によるべきものでした。それにもかかわらず、韓国では総司令部指令で竹島が韓国領に復帰したとか、大韓民国が成立した時点で竹島を韓国が統治していたという主張が行われます。総司令部当局者は、SCAPIN 677が発せられた直後に日本政府当局者との会談で、同指令は単なる連合国側の行政的便宜から出たものだ、この指令による日本の範囲の決定はなんら領土問題とは関連ない、これは他日講和会議で決定されるべき問題だ、と述べていたわけですが(《このページの質問16への回答》参照)、今回の報告書により、韓国の米軍政府もまた(当たり前のことながら)同様の認識であったことが確認されました。

マッカーサーラインが恣意的な線(arbitrary line、熟慮の末に引かれた線ではなく、思いつきで適当に引いた線)であることは、同ラインの起源からしてそうでした。占領開始に伴い一切の日本船舶の航行が停止されましたが、食糧難のため、1945年9月26日に日本政府が100トン以下の漁船は一定の海域で個別の許可なく操業できるようにしてほしいと総司令部に要請しました。これに対し、翌日米国第五艦隊司令官が許可回答をしました(川上健三『戦後の国際漁業制度』大日本水産会1972第1章第1節)。回答では、日本海については、対馬の北端と北緯40度東経135度の点を直線で結んだ線が引かれていました。その結果竹島がちょうど掛かり、線外になってしまいました。この線が熟慮の結果引かれた(竹島の領有関係などを検討した)わけでなく適当に引かれたことは、許可が翌日下りていること、対馬は西側を回ることもできなかったことなどからも分かります。日本海の線は、翌1946年6月にSCAPIN 1033で修正され、その際にも竹島が線外に置かれますが、今回の報告書により、マッカーサーラインが恣意的な線であり、領土の帰属と無関係であることが、米軍側の文書でも確認されました。

この報告書は、(イ)米国国立公文書館(RG331)GHQ/SCAP Records, Adjutant General's Section=連合国最高司令官総司令部高級副官部文書-Administration Division; Mail and Records Branch-Miscellaneous File, 1945-52-ボックス番号762,フォルダ番号6<国立国会図書館のマイクロフィシュ請求記号AG(D)03098>、(ロ)米国国立公文書館(RG407)Records of the Adjutant General's Office; Administrative Service Division, Operations Branch, Foreign (occupied)Area Reports 1945-1954=米陸軍省高級副官部資料/占領地域報告-Pacific Area-ボックス番号2002,フォルダ番号5<国立国会図書館のマイクロフィシュ請求記号FOA07078>などいくつかの記録に含まれています。重要な史料なので、(イ)の画像を掲載します。なお、この報告書の表紙に印刷された番号について、(ロ)のマイクロは、9月分の報告書がNo.24なのでNo.1ではなくNo.23の誤植であろうとしています。

(事務局:総務課)(2009年12月、2010年1月)

 

【質問27】「韓国はサンフランシスコ講和条約の締約国でない。し…


「韓国はサンフランシスコ講和条約の締約国でない。したがってサンフランシスコ講和条約に拘束されない。」とする主張がある。しかし、韓国は締約国ではないが同条約から利益を得られることが保証されている。そのひとつが第二条a項に記されている領土問題だ。「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」との条文を見る限り、カイロ宣言およびポツダム宣言で連合国が意図した処分は達成しており、韓国は利益を享受しているようにみえる。したがってこれを無視するわけにはいかないだろう。逆にいえば、これを無視するということは韓国の独立を自ら放棄することになるのではなかろうか。そしてこの条文に竹島が含まれていないのだから、竹島は日本領と確定しているのではないか。国際法学界の主流的見解は如何に。


 

【回答】


ご指摘のとおり、対日平和条約第21条は、「朝鮮は、この条約の第2条、・・・の利益を受ける権利を有する」と規定しています。また、これもご指摘のとおり、同条約第2条aには、日本による朝鮮の独立の承認、朝鮮の放棄を規定しております。そして、日本が放棄した地域から竹島が除外されていることは、日本の国際法学界の通説です。

対日平和条約第21条は、いわゆる「第三国に権利を創設した」規定と理解されています。条約は、第三国の義務又は権利を当該第三国の同意なしに創設することはない(条約法に関するウィーン条約第34条)とされていますが、これは、第三国が義務を負い、または権利を取得するには、当該第三国の同意が必要という意味ですので、条約により第三国の義務又は権利を定めることはあります。対日平和条約についていえば、第三国である韓国は、日本が朝鮮の独立を承認し、朝鮮に対するすべての権利、権原、請求権を放棄する、などの点で利益を受けることになります。しかし、条約は当事国のみを拘束しますので、対日平和条約自体に韓国が拘束されるわけではありません。当事国でない国は、権利を与える規定を謝絶することもできますし、とくに義務を課す規定があるとすれば、その義務規定には同意しないとすることもできます。そして、条約上又は慣習国際法上、一部について同意を与え、一部について拒否することを禁止する規定や、その旨を肯定した裁判例はありません。

(中野研究委員)(2009年12月、2010年1月)

 

【質問28】竹島は日本の固有の領土だ。韓国から取り戻そう。応援…


竹島は日本の固有の領土だ。韓国から取り戻そう。応援している。「実事求是第24回墓穴を掘った韓国政府、『竹島=独島論争』の英語版刊行について」は、とても興味有る内容で勉強になった。以前から面白いと思っているサイトhttp://dokdo-research.com/(外部サイト)がある。英語で書かれた竹島射爆事件などに関するものだが、問題はあるものの面白い内容だ。参考になるかもしれない。Liancourt Rocks Bombing Range 1947-1953 / The June 1948 Bombing of Dokdo / The Territorial Dispute over Dokdo / US Decisions Regarding Dokdo


 

【回答】


ご意見ありがとうございます。ご指摘のロヴモ氏の調査についてはWeb竹島問題研究所でも承知しており、このページの質問20への回答及び〔第一期〕竹島問題研究会の最終報告書p.82注iii,ivで言及しています。

(事務局:総務課)(2010年2.3月)

 

【質問29】日本は竹島の領有権の確定を国際司法裁判所に委ねること…


日本は竹島の領有権の確定を国際司法裁判所に委ねることを韓国に提案した。しかし、韓国はこれを拒否したので、膠着状態に陥っている。この間に韓国は既成事実を積み重ね、国際的な広報活動に力を入れている。打開策はあるのだろうか。私の考えでは、国際司法裁判所に委ねることを繰り返し訴えること、特に首脳会談の席で取り上げることが有効なのではないかと思うが、他に方法はあるのだろうか。


 

【回答】


日本は、1954年9月、口上書をもって竹島の領有権問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案しましたが、同年10月、韓国はこの提案を拒否しました。また、1962年3月の日韓外相会談の際にも、本件問題を国際司法裁判所に付託することを提案しましたが、韓国はこれを受け入れず、現在に至っています。

また、1965年の紛争の解決に関する交換公文では、「別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかつた場合は、両国政府が合意する手続に従い、調停によって解決を図るもの」とされていますが、韓国側は、竹島問題は交換公文にいう「紛争」ではないとの立場をとっています。

日本政府は、あらゆる適当な機会をとらえて日本の立場を韓国側に申し入れる等、外交的な努力は継続しているとのことです(第164回国会参議院行政監視委員会会議録第4号、平成18年04月24日、9頁)。ご提案の首脳会談の席で取り上げることも含めて、あらゆる可能性を検討しながら、粘り強く努力をしていく必要があると思われます。

国際司法裁判所への付託申し入れを再度行うことは、韓国による既成事実の積み重ねに対する措置としても有効であると思われます。県としては、政府に対して、国際司法裁判所における解決を含め、領土権の早期確立に向けた外交交渉の新たな展開を図るよう、提案・要望をしているところです。

(事務局:総務課)(2010年4.5月)

 

【質問30】竹島の領土問題について、公開した資料を説明する。…


竹島の領土問題について、公開した資料を説明する。1949年に韓国からの意見で竹島は韓国領であると連合国に主張があったが、1951年に当時のアメリカ国次官補ディーン・ラスクさんが最終回答として韓国政府に竹島は日本の領土であると伝えている。1951年に日本国との平和条約調印されている。いわゆる、ラスク書簡だ。これが、竹島が我が国の領土である根拠だ。


 

【回答】


いわゆるラスク書簡についてはこのページの質問3への回答をご覧ください。

(事務局:総務課)(2010年4.5月分)

 

【質問31】最近、新聞やインターネットで日韓併合100年を記念した…


最近、新聞やインターネットで日韓併合100年を記念した各種行事の報道が盛んだ。中でも「日韓併合に関する政府の謝罪声明」が検討されているという。竹島を不法占拠している韓国側を利する内容になることが懸念される。県からも政府・外務省に再度働きかけをして、竹島問題の解決を前進させていただきたい。


 

【回答】


御質問にある声明は、最終的に「内閣総理大臣談話(外部サイト)」(平成22年8月10日)として発表されましたが、内容的には従来の政府の立場を踏まえたものになったようです。なお、このコーナーの読者のための確認ですが、竹島の領有権紛争は韓国併合とは無関係です。一部に日本は朝鮮を植民地化する過程で独島(竹島)を奪ったというような主張がなされますが、奪ったというためには竹島が韓国領土であったことが前提となります。しかし、韓国領であったことは証明されておらず、この議論は前提を欠き、成り立ちません。このホームページの過去の質問回答コーナーや「調査研究成果・報告」のページをご覧ください。

(事務局:総務課)(2010年8.9月)

 

【質問32】韓国側論者のなかには韓国がサンフランシスコ講和会議の締…


韓国側論者のなかには韓国がサンフランシスコ講和会議の締約国でないことを以て、同条約がどのように規定していようとそんなことは関係ないという人がいる。確かに非締約国は拘束されないのがならいではあるが、当時の大多数の国が締約国となっている条約を完全に無視することができるものなのだろうか。仮に韓国がサンフランシスコ講和条約に拘束されないとしても、日本の竹島に対する領域主権は1905年の編入により宣言され、その後の行為によって確立されてきたものあり、竹島の領有権は日本にあると確定しているのではないか。


 

【回答】


一般に、条約によって第三国が義務を負うことはありません。例えば、(イ)A国とB国が「C国の領土をA国のものにする」という条約を結んだからといってC国が当該領土をA国に譲り渡す義務を負ったり、AB間条約によってC国の領土がA国のものになったりすることはありません。その一方で、(ロ)領土の処分を条約で取り決めた場合には対世的効力、物権的効力をもつといわれます。例えば、AB間条約で「A国の領土をB国に割譲する」と取り決めれば当該領土はB国のものになり、その結果は第三国との関係にも及びます。同じ領土がA国との関係ではB国領になったが他国との関係ではB国領でないということはあり得ないからです。

竹島について上記のことを当てはめるとどうなるかですが、サンフランシスコ平和条約で竹島が日本領であることが確認されたこと(韓国ではそのことを否定する見解もありますが)は、韓国からすれば上記(イ)の類型に属し、日本が米英などとの条約で竹島は日本領だと取り決めてもそれによって韓国の領土である独島(竹島)が日本のものになることはないという議論になるのかもしれません。しかし、正しくは(ロ)の類型で、平和条約で竹島が日本領とされたことは対世的、物権的効力を持ち、平和条約の当事国でない国(韓国)との関係においても竹島の日本領であることが確定したというべきです。竹島は、ご意見にあるとおり、1905年の領土編入措置及びその後の実効的占有により日本の領土であることが確定していた領域です。他方、平和条約では日本から分離する領域(及び米国が施政権を持つことになる領域)を規定しました。分離する領域には竹島が含まれておりません。したがって、平和条約は、他国の領土を勝手に日本のものにすると取り決めた(例えばヤルタ協定で米英ソが日本の領土をソ連に引き渡すと取り決めたような)ものではありません。終戦に伴いポツダム宣言との関係で日本の領土に変更が加えられることになったものの、それを最終的に確定した平和条約では竹島の日本領である地位に変更はなかったということです。

(事務局:総務課)(2010年8.9月)

 

【質問33】京都大学浜本研究室のレジメ(Pdfp.29)に、1977…


京都大学浜本研究室のレジメ(Pdfp.29)に、1977年2月7日外務省は竹島領有権問題を国際司法裁判所に提訴する方針を発表した、とある。この話について、詳しい内容をお願いしたい。提訴する方針を発表して、韓国側にそれを伝えたのか、また、韓国側は拒否したのかどうか。http://www.hamamoto.law.kyoto-u.ac.jp/kogi/2009/2009pk-seminar/takeshima.pdf(外部サイト)


 

【回答】


昭和52年2月9日に国会で外務大臣が、「国際司法裁判所に対する提訴という点でございますが、これはわが方からそのような主張をしたこともあるわけでございますが、先方の応訴が得られない。また先方は応訴する意思もないということを言明しておりますので、これは事実上むずかしかろう、こう思うのでございます。」と答弁しているので(80国会衆予算委員会議録4号)、同年2月7日(国会答弁の2日前)にICJ提訴方針を発表したということは考えられません。外交青書にも、この時期に韓国に申し入れをしたという記述はありません。

ただし、ICJに提訴するという立場は、この当時も不変でした。例えば、昭和52年5月18日に政府委員は、「外務大臣が竹島の解決のために国際司法裁判所に本件を提訴することも考えられるということをおっしゃいましたことは事実でございます。(中略)一つの島が国際法上どちらの国に帰属するかという純粋に法律的な論点の紛争でございますので、これは国際司法裁判所の判決を仰ぐのが妥当であるという考え方は、私どもいつまでも持ち続けたい、こう思っておるわけです」云々(80衆内閣委員会15号)、昭和52年10月26日にも政府委員が、「どういたしましてもこれは日韓両国の領土主権に絡まる国際法上の紛争である。したがって、こういうたぐいの紛争は国際司法裁判所で判決を求めるのが最も妥当であるというのが日韓正常化以来わが方がとっておる立場でございまして」云々(82衆外務委員会3号)と述べています。

なお、県からの照会に対し、濱本研究室からは、「このゼミの成果物については、...大学新入生が、教員の手助けなく自分たちだけでどこまで問題を解明することができるか、ということを示すにとどまります。そのような教育の成果を示すものですので、誤り・不備・未熟な箇所もありのままに公表しています」とのコメントを頂戴しております。

(事務局:総務課)(2010年10.11月)

 

【質問34】竹島の不法占拠について、強い主張をすることを議会で可決…


竹島の不法占拠について、強い主張をすることを議会で可決されたことを心から嬉しく思っている。竹島の不法占拠を許すことは、あってはならないことであり、もし竹島を盗られてしまうようなことがあれば対馬、尖閣などの多くの土地が盗られる事態になりかねない。竹島は、国際法においても歴史的に見ても日本の領土であることは明らかであり、竹島を守ることが他の領土を守ることに繋がるので、島根県には是非とも頑張って頂きたいと思う。先の尖閣問題で多くの日本人が領土問題に関心を持ち始めている。これをキッカケに、竹島の問題が一日も早く解決することを心より祈っている。下記のサイトに、今回の島根県の活動についての応援等の意見が多数あるので見てほしい。(リンク切れにつき閲覧不可)


 

【回答】


ご指摘の「議会で可決」というのは、平成22年9月定例島根県議会で採択された「尖閣諸島海域における中国漁船衝突事件等に関する意見書」であろうと思います。この意見書は、衝突事件に対する政府の極めて消極的な対応を危惧し、尖閣諸島が我が国固有の領土であることを改めて示すとともに、竹島問題の早期解決を政府に対して求めるもので、平成22年10月15日、賛成多数で採択されました。

採択された意見書は、衆参両院の議長、内閣総理大臣、外務省など関係省庁に提出されています。今後も引き続き、県議会と一緒になって竹島問題の早期解決に向けて取り組んでまいります。

(事務局:総務課)(2010年10.11月)

 

【質問35】「実効支配」とはどのように定義されるものか。「竹島は…


「実効支配」とはどのように定義されるものか。「竹島は韓国が実効支配している。」というような報道がなされ、掲示板やブログなどを見ていても「竹島は韓国に実効支配されているのだからもはや韓国のもの」というような認識が一般化しつつあるように思われる。「実効支配」とはどのような状態を指す考え方なのかを明確にし、それに照らして竹島の現状はどうなのかを情報発信していく必要があるように思う。


 

【回答】


一般に、実効性とは、「領域主権の継続的かつ平穏な表示」をいうとされています。「主権の表示」とは、国家の立法・司法・行政上の統治権の行使を指します。この定義に照らせば、韓国による「支配」は「主権の表示」にあたります。しかし、「主権の表示」は「平穏」になされていなければなりません。「平穏」とは、他国から異議が申し立てられていない状態をいいます。日本政府は、事あるごとに異議を申し立てておりますので、「平穏」とはとても言えない状態です。

また、正当な権原に基づき、「主権の表示」が「継続」していなければ、領域権原を取得することはできません。それゆえ、日本政府は、「韓国による占拠は国際法上何ら根拠のない『不法』占拠であり、このような占拠に基づいて韓国が竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではない」と主張しているのです(外務省『竹島竹島問題を理解するための10のポイント』(外部サイト)、13頁)。

したがって、「竹島は韓国に実効支配されているのだからもはや韓国のもの」との認識は、少なくとも法的には不正確です。前掲の『竹島問題を理解するための10のポイント』を公表するまで、日本政府はこの点について、情報発信を積極的にしてこなかったように思われます。継続的に広く情報発信を行い、正確な知識を普及させることは喫緊の課題と言えるでしょう。

なお、誤解を招きかねないことは確かですが、報道機関などは「現に支配しているという状態」を現すために「実効支配」という表現を用いていると思われます。そのような意味であれば、誤った用法であるとまでは言えないでしょう。

(中野徹也・研究会委員)(2010年10・11月)

 

【質問36】李承晩ラインにおける公海上での日本漁船に対する銃撃や…


李承晩ラインにおける公海上での日本漁船に対する銃撃や拿捕等は、犯罪であるのは明らかだと思う。島根県知事名による警察・検察庁への刑事告発を検討できないか。日本刑法は国外の日本船舶も適用範囲と規定しており、また、シーシェパードの船長が公海上で行った日本船舶への攻撃につき傷害罪で有罪判決がでているからだ。銃撃は殺人罪であるし、拿捕は逮捕罪ではないか。


 

【回答】


日本漁船に対する不当な銃撃や拿捕等については、国の責任と加害者個人の責任がありますが、後者のご質問と解しましたので、個人の責任についてお答えします。

公訴時効の問題もありますが、さしあたりその点はおくとします。韓国による行為が国際法上の海賊行為に該当すれば、日本は刑事裁判権を行使することができます。しかし、国際法上の海賊行為とは、『私有の船舶の乗組員が私的目的のために行う不法な暴力行為などであって、公海における他の船舶又は船舶内にある人若しくは財産に対して行われるもの』です。すなわち、海賊行為の主体は、「私有の船舶の乗組員」であり、軍艦または政府船舶等の乗組員は海賊行為の主体とはみなされません。また、そもそも公海上の軍艦または政府船舶は、旗国以外のいずれの国の管轄権からも完全に免除されています。以上のことから、刑事告発は難しいと思われます。

(中野徹也・研究会委員)(2010年12月・2011年1月)

 

【質問37】「米駐日大使、中国の尖閣領有権主張や軍拡を批判」…


「米駐日大使、中国の尖閣領有権主張や軍拡を批判」(http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100924-728653/news/20101215-OYT1T00518.htm(リンク切れにつき閲覧不可))との報道によれば、竹島問題は米駐日大使に認識されていないようです。竹島は韓国によって不法に占拠されている日本の領土であり、それはサンフランシスコ講和条約によって担保されているという事実を知ってもらう必要があると思います。正式には日本政府を通じてということになるとは思いますが、県としても見解を伝える意義はあるのではないでしょうか。黙っていては帰ってきません。国際司法による解決が望めない今、国際世論を味方につけるしか我々に残された道はありません。できることは何でもやってみるべきだと思います。


 

米駐日大使、中国の尖閣領有権主張や軍拡を批判【ニューヨーク=柳沢亨之】ジョン・ルース駐日米大使は14日、日米関係をテーマに当地で講演し、「中国の不透明な軍備近代化の加速や、南・東シナ海の領有権問題に関し、疑問を抱いている」と述べ、中国の軍拡路線や尖閣諸島の領有権主張を批判した。ルース大使はまた、日本の安全保障上の課題として、尖閣諸島問題と、朝鮮半島での緊張激化、露大統領らによる北方領土訪問の三つを指摘。その上で、「こうした出来事は、(日米)同盟がかつてないほど重要であることを明確に示した」と語り、同盟の維持強化の必要性を説いた。一方で大使は、11月9日付の読売新聞社世論調査で日米安保条約が東アジアの安定に役立っているとの回答が75%に上ったことに触れ、「喜ばしい」と述べた。(2010年12月15日16時03分読売新聞)

 

【回答】


情報提供をいただき、ありがとうございます。ルース大使の発言は、あくまでも日本を取り巻く安全保障上の課題として述べられたものです。米国にとって日本と韓国はともに同盟国であり、その両国間には安全保障上の課題はないということだろうと思います。

ご指摘のとおり、竹島問題の解決に向けた日韓両国の話し合いが進まない中にあって、韓国が交渉のテーブルに着かざるを得ない状況を作り出すためには、国際世論への働き掛けというのは重要な視点だと思います。県としても外務省に対してこうした意見を伝えるなど、竹島問題解決を粘り強く求めていきます。

(事務局:総務課)(2010年12月・2011年1月)

 

【質問38】竹島問題について勉強していくなかで「領土権の確立」と…


竹島問題について勉強していくなかで「領土権の確立」というよりも「韓国による不法占拠の早期解消」と言った方がより適切だと思うようになりました。言い換えを検討してみてはいかがでしょうか?竹島の日を定める条例は「竹島の領土権の早期確立」と言っていますので「領土権の確立」と言っているのだと思いますが、竹島の帰属はサンフランシスコ講和条約によって日本と確定しています。より正確にいえば、1905年の日本の編入を国際法にかなったものとして認め、継続的かつ平穏に国家主権の表示をともなった占有の積み重ねによって領域主権を確立していると改めて確認したわけです。国際法の原則によれば、領土の処分を条約で取り決めた場合には対世的効力、物権的効力をもつとされています。つまり、サンフランシスコ講和条約で竹島が日本領とされたことは対世的、物権的効力を持ち、講和条約の当事国でない国(韓国もそのうちの一国)との関係においても竹島の日本領であることが確定したということです。それを認めないと言って武力を以て支配下に置いているのですから、韓国は竹島を実効支配していることにはならず、日本の領土を不法に占拠しているに過ぎません。また紛争の発生後に法的立場をよくしようと取られた措置は実効支配の証拠と看做さないという国際法の原則からも「韓国が実効支配している」とは言い難いのです。国際的に日本に帰属するとされている島に韓国が後から自分たちの領土だと言って居座り続けているのが竹島問題です。
日本の主権が韓国によって侵害されているのだということを強調するためにも「領土権の確立」というよりも「韓国による不法占拠の早期解消」と言った方がわかりやすいのではないでしょうか。「領土権の確立」というと日本には権利がないのに権利を主張しているかのように見えてしまいます。「韓国による不法占拠の早期解消」と言えば領域主権は日本にあることが明確になるとともに、それを韓国が侵害しているのが問題なのだということが鮮明になるのではないでしょうか。


 

【回答】


国交正常化にむけた日韓会談において竹島問題の棚上げが取り沙汰されていた昭和37年3月、島根県議会が全会一致で「竹島の領土権確保」を決議しています。つまり、竹島で昔のように漁がしたいという地元の願いを実現するため、漁業権行使の元になる領土権確保を求めたものと思われます。

以来、県では政府に対して竹島領土権の「確立」や「確保」を一貫して求め、現在に至っている経緯がありますので、県のこのスローガンを見直すことについては慎重に考える必要があります。

竹島問題が発生し60年も経過する中で、韓国の不法占拠の動きに歯止めがかからず既成事実化が進んでいる現状を踏まえると、国民によりわかり易い説明が必要とのご指摘はその通りだと思います。県が行う広報においては、竹島が韓国の不法占拠により今どのような状況になっているのか、あるいは韓国は今後どのように考えているのかなど、なるべくわかり易くしていきたいと考えています。

(事務局:総務課)(2010年12月.2011年1月)

 


【質問39】以前、首相官邸に送った物をそちらにも送らせて頂きます。


最近、北方領土、尖閣諸島がクローズアップされていますが、その影で竹島が隠れています。領土問題に関しては、どの案件についても日本国としての主張をし続けることが必要と考えます。具体策として、韓国による不法占拠、および領有権主張により生じた損害を、具体的に数値化し、発表することを提案いたします。これには、不明確にされている排他的経済水域における漁業損失も含めます。この損失額は、韓国が自主的に竹島を日本領土と認めない限り、公表し続ける必要があります。韓国側に異議ある場合は、国際司法裁判所等の第3者機関による裁定を要求すべきです。この第3者機関による裁定により日本領とされた際には、上記の損害を請求し続け、領土問題について、不法占拠が意味をなさないことを世界に向けアピールすることができるでしょう。

【回答】


ご意見をいただき、ありがとうございます。平成22年秋の尖閣諸島問題を契機として、日本の国境問題が大きくクローズアップされました。その中で竹島問題も取り上げられ、マスコミや出版を通じた情報発信が大きく進んだものと考えております。

具体的なご提案の「損害の数値化」につきましては、県域を超える問題であり、政府において一元的に取り組まれるべきものであり、政府に情報提供したいと思います。

(事務局:総務課)(2011年2.3月)

 


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