実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜
第24回
墓穴を掘った韓国政府、『竹島=独島論争』の英語版刊行について
2009年11月4日、韓国の国会図書館は島根大学名誉教授の内藤正中氏と朴炳渉氏の共著『竹島=独島論争』の英語版を刊行した。同書はすでに2007年3月、日本の新幹社から刊行され、2008年3月には韓国語版が出版されているが、今回の英語版は国会議長である金炯●(日に牛)氏の指示に従って刊行されたもので、「独島と関連する歴史的事実を国際社会と共有するために推進された図書発掘・翻訳事業の一環」としている。
だが『竹島=独島論争』には、致命的な欠陥がある。竹島が歴史的に韓国領であるとする実証ができないまま、竹島の領有権問題にはほとんど影響を与えない問題を争点に掲げ、日本側の主張を論破できたと錯覚しているからだ。
結論から言えば、英語版の『竹島=独島論争』が刊行されたことで、韓国側は根拠のない文献によって虚偽の歴史を捏造し、国際社会を欺瞞する証拠を天下に曝したことになる。
2009年11月4日付の聯合報道(電子版)を通じ、「内藤正中島根大学名誉教授と在日韓国人の独島問題研究家である朴炳渉独島竹島問題研究ネット代表」と紹介された在日の朴炳渉氏は、これまでも半月城通信を媒介手段とし、ネット上で事実無根の「下條正男批判」や「舩杉力修批判」を展開しては非難中傷を繰り返してきた。
今回は活字化され、「米国とドイツ等、各国の議会図書館と在外公館、在外文化院、駐韓外国大使館、326に及ぶ国会図書館の国際交流センター等に配布」されたことで、その主張の真価が問われることになった。『竹島=独島論争』を国際社会に配布した韓国政府は、国際司法裁判所で竹島問題を争う前に、歴史の審判を受けねばならない状況を、作ってしまったのである。そこで争点にされたのが外務省の「固有の領土論」批判と、1877年に太政官が「竹島外一島本邦関係これ無し」とした指令で、その解釈を検証すれば、おのずと真実が明らかになるからである。
内藤正中氏の「固有の領土論」批判は、2005年3月16日に島根県議会が「竹島の日」条例を制定し、外務省がホームページで竹島を「固有の領土」とした時からはじまる。内藤氏は『世界』誌上(2005年6月号)に「竹島は日本固有領土か」を掲載し、『郷土石見』69号(2005年8月)には「竹島固有領土論の問題点」を発表するなど、外務省の「固有の領土論」批判を行った。それらを2005年12月、韓国の政府機関である「東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団」(現、「東北アジア歴史財団」)が『独島論文翻訳撰I』に収載したことから、内藤正中氏の「固有の領土論」批判は、韓国側にとっては日本攻勢の重要な論拠となった。
だが韓国側が竹島の領有権を主張する歴史的根拠を示していない現状では、いくら外務省批判を繰り返したところで、韓国側による竹島の不法占拠を正当化することはできない。韓国領でもなかった竹島を島根県に編入しても、韓国側には批判する資格がないからだ。それに日本政府は、1905年1月28日の閣議決定で無人島を竹島と命名した際、「他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムベキ形跡」がなく、「国際法上占領ノ事実アルモノト認メ之ヲ本邦所属」としていた。竹島を「固有の領土」とする根拠の一つはここにある。にもかかわらず、内藤氏らが外務省の「固有の領土論」を批判するのは、竹島(独島)は韓国領であるとする前提に立ち、竹島の島根県編入が日露戦争最中であったことから、それを侵略と曲解しているに過ぎない。それは歴史認識(先入見)によって、文献を解釈するのと同じで、望ましい研究姿勢ではない。
その際、内藤正中氏と朴炳渉氏が根拠としたのが1877年の太政官指令で、そこには「竹島外一島本邦関係これ無し」と記されていることから、「外一島」の松島を現在の竹島と解釈し、日本の最高決定機関である太政官が竹島を日本領とは関係がないとしたとして、1905年の竹島の島根県編入を侵略としたのである。
だがそれは、文献批判を経て導き出した結論であろうか。江戸時代には松島と呼称されていた竹島が何故、1905年の時点で松島ではなく竹島と命名されたのか。その歴史的経緯を明らかにするだけで、太政官指令の「竹島外一島本邦関係これ無し」の中に、現在の竹島が含まれていない事実は、確認できるからだ。
明治37年(1904年)11月15日、島根県内務部長書記官の堀信次は、隠岐島司の東文輔に対し、リャンコ島と呼ばれていた竹島の命名を問い合わせ、「島嶼の命名に付、併せて御意見承知致度、此段及照会候也」と伝えていた。これに対し隠岐島司の東文輔は、次のように回答している。
「元来朝鮮の東方海上に松竹両島の存在するは一般口碑の伝ふる所、而して従来当地方より樵耕者の往来する欝陵島を竹島と通称するも、其実は松島にして海図によるも瞭然たる次第に有之候。左すれば此新島を措いて他に竹島に該当すべきもの無之。依て従来誤称したる名称を転用し、竹島の通称を新島に冠せしめ候方可然と存候」
東文輔は、「一般的に朝鮮の東方海上には松島と竹島の二島が存在するとされているが、隠岐島から欝陵島を往来する者は、欝陵島を竹島と呼んでいるが、その実は松島のことで、海図によってもそれは明瞭である。そこで新たに島根県に編入される新島(リャンコ島)の島名には、竹島の他に該当すべきものがないので、従来、松島が欝陵島と誤称されていた名称を転用して、竹島の通称を新島に冠すべきである」と回答したのである。
ここで隠岐島司の東文輔が、「欝陵島を竹島と通称するも、其実は松島にして海図によるも瞭然」としているのは、1877年の太政官指令が発せられた頃の海図等には、所在未確認の竹島(アルゴノート島)と欝陵島を指す松島(ダジュレート島)が描かれていたからだ。それは1840年、シーボルトの「日本図」によって竹島と松島の名が西洋に伝えられ、それが当時の海図や地図に誤って記されていたことに起因する。シーボルトの「日本図」では、後にその存在が否定されるアルゴノート島を竹島とし、松島はダジュレート島(欝陵島)とされていた。そのため日本で流布していた地図や海図でも欝陵島は松島とされ、太政官指令で「外一島」とされた松島は、欝陵島(ダジュレート島)を指していたのである。
一方、後に竹島と命名され、1905年に島根県に編入されるリャンクール岩の存在が確認されたのは1849年、フランスの捕鯨船リャンクール号によってである。そのため1864年版の英国海軍の海図では、竹島(アルゴノート島)と松島(ダジュレート島)の他に、リャンクール岩(現在の竹島)が描かれている。その内、所在未確認の竹島(アルゴノート島)が海図上から消えるのは1876年版の英国海軍の海図からで、以後、松島(ダジュレート島)とリャンクール岩が描かれている。従って、1876年版以前の海図を参考に製作された地図には、竹島(アルゴノート島)と松島(ダジュレート島)が描かれているが、今日の竹島は描かれていないのである。
東文輔が「欝陵島を竹島と呼んでいるが、その実は松島のことで、海図によってもそれは瞭然である」と回答したのは、このためである。
その誤りが判明するのは1880年9月、天城艦による欝陵島の測量によるもので、天城艦の測量結果は1881年、外務省嘱託の北澤正誠によって『竹島考証』と『竹島版図所属考』に採用され、以後、これまで「外一島」とされていた松島は欝陵島であったことが確実となり、欝陵島はこの後、松島と呼ばれるのである。この事実は、1877年に太政官が「竹島外一島本邦関係これなし」とした松島(ダジュレート島)は、今日の竹島ではなく、欝陵島であったことを示している。
内藤正中氏はこの事実を無視し、1877年の太政官指令に「竹島外一島本邦関係これなし」とあれば、その「外一島」を今日の竹島と決め付け、日本の最高決定機関である太政官は、竹島を日本領とは関係がないとした、と虚偽の歴史を捏造したのである。
従って内藤正中氏の文献解釈は、根拠がないのである。太政官指令で「竹島外一島」とされた松島は1880年9月、天城艦の測量調査の結果、欝陵島であったことが判明し、「竹島外一島」の「竹島」は欝陵島近くの竹嶼とされたからである。
その正確な欝陵島像が韓国側に伝わるのは1882年6月、欝陵島検察使の李奎遠が『欝陵島外図』の中に採用し、欝陵島を松島として、竹嶼を竹島とした時である。1883年11月、内務少書記官の檜垣直枝が提出した「欝陵島出張復命書」にはその韓国側の地図が添付され、1877年3月の太政官指令で「外一島」とされた松島が欝陵島であったことが確認されたのである。この時、明治政府が根拠としたのは北澤正誠の『竹島版図所属考』である。
以上の歴史事実によって、1877年の太政官指令(「竹島外一島本邦関係これなし」)には、今日の竹島が含まれていないことは、明白なのである。従って、日本政府は1877年の太政官指令で今日の竹島を領土外とし、1905年、日露戦争の最中に竹島を侵略したとする内藤正中氏の主張には、歴史的根拠がないのである。
これと同様、内藤正中氏が唱える「固有の領土論批判」も、根も葉もない虚言である。「固有の領土」という概念は、日本の北方領土のように、歴史的に他国の支配を受けたことのない領土を指すが、1905年1月28日、日本政府は竹島を島根県に編入する際に、「他国ニ於テ之ヲ占領シタリト認ムベキ形跡」がなく、「国際法上占領ノ事実アルモノト認メ之ヲ本邦所属」と確認していた。
一方、韓国側では竹島(独島)を占拠して半世紀が過ぎても、独島が歴史的に韓国領であった事実を証明できずにいる。この状況で、内藤氏が外務省の「固有の領土論」批判をする意味はない。
従って1952年1月18日、竹島を「李承晩ライン」に含め、今日まで不法占拠を続ける韓国側には「侵略国家」の名こそ相応しいが、竹島の領有権を主張し、虚偽の歴史を捏造して、日本に侵略国家の濡れ衣を着せることは許されないのである。
英語版の『竹島=独島論争』の刊行に際し、柳鍾●(王へんに必)国会図書館長は「この書を通じて国際社会が独島に関する歴史的事実と情報を正しく認識すること」と語ったが、それは偽りの歴史を宣伝し、韓国側による不法占拠の事実を隠蔽するものでしかない。韓国人の中に国を愛する心があるならば、速やか『竹島=独島論争』を回収し、これ以上、大韓民国の歴史を汚すべきではない。
(下條正男)
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