火山のキセキ/日本遺産・石見の火山が伝える悠久の歴史
地底で4千年間眠っていた縄文の森、
数々の奇岩、活火山・三瓶山(さんべさん)の裾野に広がる牧野風景−。
有史以前、大きな火山活動のあった大田(おおだ)市には、
火山の恵みともいうべき奇跡的な景観や緑豊かな大地が生まれ、
人々の暮らしを潤してきました。
日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」をたどると、
大田に残る火山の軌跡(キセキ)がわかります。
浮布の池から眺める三瓶山
4千年の時を経て目覚めた縄文の森
三瓶山(さんべさん)が最後に噴火した4千年前。土砂が小豆原(あずきはら)の谷へ流れ込み、森をそのまま埋め尽くしました。そして現代になり、立ったままの木々が発掘されたのが三瓶小豆原埋没林です。
「さんべ縄文の森ミュージアム」の地下展示室へと階段を降りると、巨木群が発見された時のまま姿を現します。木の頂は失われているものの約50mの高さで立ち並んでいたと推定され、最も太い巨木は大人4人が手をつないでやっと囲めるほど。木の幹には樹皮が残り、しっかりと張った根は今なお大地に息づいているかのようです。
立木の状態で発見される埋没林は世界的にも珍しく、小豆原の森はいくつもの偶然によって守られました。近くの森で木々をなぎ倒した土石流はやがて勢いを失い、小豆原には下流の土砂が逆流。土砂は木々の間を埋めつくし、その上に厚く堆積した火山灰や豊富な地下水が、炭化や腐敗を防ぐ役割をしたと考えられます。
発掘当時は木の香りがしたというほど保存状態が良く、根元からは落ち葉や昆虫化石も見つかりました。まるで森全体がタイムカプセルに閉じ込められていたかのようです。悠久の時を経て目覚めた縄文の森は、火山と地形の奇跡(キセキ)が生んだ贈り物です。
さんべ縄文の森ミュージアム。施設周辺には数十本の埋没林が眠っている
●お問い合わせ
さんべ縄文の森ミュージアム
大田市三瓶町多根ロ58-2(TEL:0854・86・9500)
三瓶小豆原埋没林を動画で紹介しています。
(発見編)
(概要編)
火山のたまもの
何度も噴火を繰り返した三瓶山は、なだらかな土地や水はけの良い土壌を生み、地下水を蓄えました。そこで育まれた豊かな暮らしは、火山のたまものです。
穏やかな水鏡に三瓶の山容を映す浮布(うきぬの)の池。地下水が湧くため一年を通して枯れることがなく、農地を潤す水源でした。人々はこの周辺や川沿いは田畑に、その他の水はけの良い所はソバ栽培や牧草地にと、環境に合わせて利用してきました。山裾に広がる西の原の草原も、江戸時代から続く牧畜によるものです。早春の野焼きや草刈りなど、住民の手で美しく保たれており、地形や地質を生かした暮らしの一端が感じられます。
三瓶山の裾野に広がる地ソバ・三瓶ソバの畑
人々の営みを生んだ三瓶山は、神宿る地として古くから信仰の対象でした。麓(ふもと)の物部(もののべ)神社では、農耕の神として三瓶山を祭る神事が現在でも行われており、三瓶信仰が暮らしに根付いています。
物部神社
日本列島の形成期に当たる1500万年前、大田では陸上や海底で火山の噴火が繰り返されました。その噴火によって生まれた岩石が、はるか時代を超えて独特の存在感を放っています。
凝灰岩が露出した鬼岩は、鬼が積み上げたという伝説も
大田の海辺でひときわ目を引くのは、立神島(たてがみじま)と、対岸の立神岩。幾重にもなった地層の白い部分は主に火山灰、茶色い部分が火山礫(れき)で、ダイナミックな大地の成り立ちを物語っています。特徴的な縞(しま)模様は、住民にとってふるさとの原風景。大田と出雲の境界近くにあり、帰郷を実感させる存在です。
縞模様が特徴的な立神岩(右)と立神島
地域の特産・福光石は、海底火山によってできた凝灰岩です。加工しやすく滑りにくい特性があり、石見(いわみ)銀山にある五百羅漢の石像のほか、温泉施設の浴室の床としても利用されています。岩盤を掘り進めた内部に現在の石切場があり、垂直、水平に整った壁や床に囲まれた巨大空間は、地下宮殿のような荘厳さ。火山がもたらした鉱物資源は、数百年にわたり地場産業を支えています。
福光石の石切場
●お問い合わせ
大田市日本遺産推進協議会事務局(TEL:0854・83・8192)
福光石石切場見学(有料・要予約)
大田市温泉津町福光ハ1421
福光石石切り場ガイド事務局(TEL:0855・65・2998)
お問い合わせ先
広聴広報課
島根県政策企画局広聴広報課 〒690-8501 島根県松江市殿町1番地 【電話】0852-22-5771 【FAX】0852-22-6025 【Eメール】kouhou@pref.shimane.lg.jp