上野1号墳出土埴輪の映像撮影
先日古代文化センターの映像製作のために、当センターが保管している上野1号墳出土の円筒埴輪の撮影が行われました。
この埴輪は奈良県北部で出土する埴輪と共通する特徴を持っており、出雲の埴輪を考える上で重要な資料となっています。
撮影中カメラマンさんは、表面を仕上げた際についた細かい筋(「ハケメ」と呼ばれ、埴輪の研究上重視されています)を撮影しようと照明の位置やカメラのアングルを調整したりして奮闘していました。
撮影された動画は3月に公開される「古代出雲文化シンポジウム」で使用されます。
ネット配信やケーブルテレビでの放送が予定されていますので是非ご覧下さい!
【画像】撮影の様子
森原下ノ原遺跡で石帯(せきたい)が出土
江津市松川町八神地区で発掘調査中の森原下ノ原遺跡から、石帯(せきたい)が出土しました。
石帯とは、奈良・平安時代において役人が身に着けた、革製ベルトにつける石製の飾りです。石帯は四角形の「巡方(じゅんぽう)」と丸い形をした「丸鞆(まるとも)」があり、今回は丸鞆が出土しました。江津市内では、過去に半田浜西(はんだはまにし)遺跡(二宮町)や波来浜(ならはま)遺跡(後地町)においても石帯が発見されています。
出土した丸鞆には四角形の穴が1つ、小さな丸い穴が7つ開いています。小さな丸い穴は、糸を通してベルトに縫い付けるためのものであると考えられます。
なぜ、江の川のほとりに所在する森原下ノ原遺跡から役人が身に着ける石帯が出土したのでしょうか?
森原下ノ原遺跡の周辺は、「人麻呂渡(ひとまろわた)し」と呼ばれる柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が江の川を渡ったとされる伝承地があり、古来より渡(わたし)があった可能性があります。このことから、渡を管理するための公的施設があり、そこに役人が駐在していたのではないか…。今回見つかった石帯は1点ですが、様々な想像が膨らんできます。
森原下ノ原遺跡の発掘調査はこれからも続きます。今後の続報にご期待ください。
【画像1】石帯の概略図
【画像2】出土した丸鞆
高丸遺跡の調査状況
お盆前の厳しい暑さが過ぎ、蒸し暑い不安定な天気のなか、高丸遺跡の調査を続けています。
丘陵尾根の平坦な部分の調査が終わり、斜面へ調査が進みました。
平坦な部分には大きな窪みがあり、底の黒い土からは弥生時代後期から古墳時代前期(約1,700~1,900年前)の土器が見つかりました。
大きな窪みは斜面の下の方へ続きます。
見つかった土器は、昨年度の調査ではほとんど見つからなかった古い時代のものです。
高丸遺跡の西約2キロには、弥生時代の墳墓遺跡で県の史跡である波来浜(ならはま)遺跡があり、
どのような関係にあったのか、興味がわきます。
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