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歴史の生き証人
稼動時の銀山を知る生き証人、石賀末太郎さんは語る
石賀末太郎さん
聞き手
石賀さんはいつ頃坑道に入ってらしたんですか?
石賀
あれは兵隊から帰りまして、昭和18年から坑道に入りました。
聞き手
石賀
仕事は測量ですから、トランシット持ったりレベルを提げたりして坑道に入ってました。中は枝葉(のような坑道)がいっぱいあるので、こっからこう掘ったらどこへ行くとかの測量です。
聞き手
何を採っていたんですか?
石賀
やっぱり銅ですね。金も混じっていたかも知れませんがほとんど銅です。今は水源地になってますが、蔵本坑から入って行きました。ずっと坑内を奥に入って、山神さんのお宮(佐比売山神社)の下の方へ行っとるんです。それが蔵本坑道と言うんです。それから今度は下へ縦坑があって三段階に降りるんです、梯子で。
聞き手
何人くらいの人が入っていたんですか?
石賀
坑内に入っていたのは70〜80人くらいでした。あのころの事務所は30人くらいでもおりましたかね。
聞き手
閉山になったのはいつですか?
石賀
昭和18年に水害があったですから20年です。大正時代に鉱石が無いと言うことで休山になって、戦時中に銅が必要になって12年にまた堀りだした。私は18年にもどって、なんぼもおらんかったですが、入っているのは私ぐらいでしょう(他の方は亡くなった)。中は龍源寺間歩どころではないですよ。たまげるような広い場所があります。縦坑の機械の座っていた所は、そりゃあ広いです。
聞き手
縦坑の幅はどれぐらいあるんですか?
石賀
そう広くはないですね、二畳敷きくらいです。ランプをぶら下げて梯子で降ります。降りて行ってまた降りて行って、30mずつになってます。100m下に大きな本坑道があります。それが今度は永久坑道に行っとります。山吹城の裏ですわ。それまでずっと行きよったです。500なんぼ坑道がありますが、その中で一番長い坑道です。1500mあります。昔は龍源寺間歩とも通じとったです。それで龍源寺間歩にも下に向かって縦坑があって100m下に永久坑道がある。龍源寺間歩の図面も私が見せてあげました。教育委員会にね。
聞き手
良かったら見せて下さい。・・・これは龍源寺間歩で展示されているものですね。
お問い合わせ先
文化財課世界遺産室
〒690-8502 松江市殿町1番地 島根県教育庁文化財課 世界遺産室 電話0852-22-5642,6127 FAX 0852-22-5794 sekaiisan@pref.shimane.lg.jp