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石見銀山の歴史略年表
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時代 |
西暦 |
年号 |
主な出来事 |
|
---|---|---|---|---|
鎌倉 |
1309年 |
延慶2年 |
初めて石見銀山が発見されたという(「銀山旧記」) |
|
南北朝 | 1334〜1338年 | 建武・延元 | 足利直冬、露頭銀を採りつくすという(「銀山旧記」) | |
室 町 |
戦 国 |
1527年 |
大永7年 |
博多の商人・神屋寿禎(かみやじゅてい)、石見銀山を発見し、本格的な採掘を始める。この頃、石見銀山は大内氏が支配する。 |
1533年 |
天文2年 |
石見銀山で灰吹法(はいふきほう)による銀精錬がはじまり、以後国内の他鉱山に広まる |
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1556〜 1562年 |
弘治2〜 永禄5年 |
毛利氏と尼子氏が互いに銀山の争奪戦を展開する |
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1562年 | 永禄5年 | 毛利氏、石見銀山支配を本格化させる(〜慶長5年) | ||
1568年 |
永禄11年 |
ポルトガル/ドラードの日本図に「銀鉱山王国」と記載あり |
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安土桃山 | 1592〜1600年 | 文禄・慶長 | 毛利氏、1年間に1万枚の銀を上納させる(その後、上納銀は年間3万枚まで増加) | |
江
戸 |
1600年 |
慶長5年 |
関ケ原の戦いの後、徳川氏が領有 |
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1601年 | 慶長6年 |
大久保長安、初代石見銀山奉行となる(延宝3年〜代官支配へ転換) |
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1602年 | 慶長7年 |
年産4千貫=15トンの銀を産出する。この年、大久保長安が大森町の普請を指示する。 |
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1603年 |
慶長8年 |
安原備中、年3600貫=13.5トンの運上を納め、家康に謁見(「銀山旧記」) |
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1624年 | 寛永元年 |
銀山全体の銀産出量が減少し始める(年間2200貫=8.2トンを納めた) |
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1624〜1644年 | 寛永 | この頃までに銀山町から大森町へ陣屋移転する | ||
1641年 | 寛永18年 | 奉行・杉田九郎兵衛、銀山境界の木柵を垣松に改める | ||
1673〜 1682年 |
延宝元〜 天和2年 |
銀産出量がさらに減少する(10年間の平均産出高261貫=980キロ) |
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1733年 | 享保18年 |
代官・井戸平左衛門がさつまいもの植え付けを奨励 |
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1751年 | 寛延4年 | 代官・天野助次郎、代官所に勤務する地元採用の役人(地役人)について改革を実施する | ||
1753年 | 宝暦3年 | 大森町に幕領の中間支配を担う郷宿が整備される | ||
1762〜1768年 | 宝暦12〜明和5年 | 代官・川崎平右衛門とその息子・市之進、新たな鉱山経営の手法や貸付銀制度などを導入して銀山再建策を実施する | ||
1766年 | 明和3年 | 石窟五百羅漢が25年の歳月を経て完成し、羅漢寺が創建される | ||
1800年 | 寛政12年 |
大森大火により町の大半が焼失。翌年、熊谷家住宅が再建される |
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1815年 | 文化12年 | 大森代官所門長屋再建 | ||
1866年 | 慶応2年 | 長州藩、石見国を占領して大森陣屋に入る | ||
明
治 |
1869年 |
明治2年 |
大森県が置かれる(8月から明治3年1月まで) |
|
1872年 | 明治5年 | 浜田地震により坑道崩落などの被害を受ける。五百羅漢の石窟も一部崩落する | ||
1886年 |
明治19年 |
大阪・藤田組が「藤田組大森鉱山」を設立。翌年、経営開始 |
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1895年 |
明治28年 |
清水谷製錬所完成 |
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1896年 | 明治29年 | 清水谷製錬所操業休止。以後、操業の中心は永久地区となり、銅生産が主力となる | ||
大 正 |
1917年 |
大正6年 |
第一次世界大戦に伴う需要増加のため増産。近代操業のピーク(銀4.2t、銅477t) |
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1923年 |
大正12年 | 第一次世界大戦後の銅相場低下により経営不振となり、休山となる |
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昭
和 |
1939年 | 昭和14年 | 前年制定された「重要鉱物増産法」により、藤田組株式会社が採鉱再開を目指す | |
1942〜 1943年 |
昭和17〜 18年 |
銅採掘を試みるが大水害により設備流失、坑道水没などの被害を受け、経営再開を断念 |
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1956年 |
昭和31年 |
大森町が大田市に合併される |
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1967年 | 昭和42年 |
「石見銀山遺跡」県指定史跡となる |
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1969年 |
昭和44年 |
代官所跡、龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)など14ヵ所国指定史跡となる |
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1987年 |
昭和62年 |
大森、銀山の町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定 |
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平
成 |
1993年 |
平成5年 |
大田市による石銀(いしがね)地区発掘調査開始。採掘、精錬の跡や関連遺物が発見される |
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1996年 |
平成8年 |
島根県・大田市共同の石銀地区調査が始まる |
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2001年 |
平成13年 |
世界遺産暫定リストに登載(4月) |
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2002年 |
平成14年 |
「銀山柵内(さくのうち)、山城跡、港湾」国史跡追加指定となる(3月) |
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2004年 |
平成16年 |
大田市・温泉津町・仁摩町の景観保全条例が制定される(7月) |
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温泉津の町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定(7月) |
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2005年 |
平成17年 |
石見銀山遺跡関係鉱区禁止地域指定(1月) |
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「石見銀山街道(鞆ケ浦道、温泉津沖泊道)、宮ノ前地区」国史跡追加指定となる(3月) |
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「銀山柵内、羅漢寺五百羅漢、鞆ケ浦集落、沖泊集落」国史跡追加指定となる(7月) |
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大田市・温泉津町・仁摩町が合併し、新「大田市」となる(10月) |
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2006年 |
平成18年 |
世界遺産登録推薦書をユネスコに正式に提出(1月) |
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イコモス(ICOMOS国際記念物遺跡会議)による現地調査(10月) |
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2007年 |
平成19年 |
イコモスの評価結果が示され、「記載延期」の勧告がなされる(5月) |
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世界遺産委員会において世界遺産登録が決定される(7月) |
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大森、銀山の町並み周辺の山林が重要伝統的建造物群保存地区に追加選定される(12月) | ||||
2008年 | 平成20年 | 石見銀山街道(鞆ヶ浦道、温泉津沖泊道)の一部が、国史跡追加指定となる(3月) | ||
2009年 | 平成21年 | 温泉津の町並みに接する温泉津湾の一部が重要伝統的建造物群保存地区に追加選定される(12月) | ||
2010年 | 平成22年 | 第34回世界遺産委員会において軽微な変更(登録範囲の拡大)が承認される(8月) | ||
2017年 | 平成29年 | 大久保間歩、福石場まで一般公開区域を拡大 | ||
2017年 | 平成29年 | 世界遺産登録10周年記念「石見銀山展銀が世界を変えた」を出雲・大田2会場で開催 |
お問い合わせ先
文化財課世界遺産室
〒690-8502 松江市殿町1番地 島根県教育庁文化財課 世界遺産室 電話0852-22-5642,6127 FAX 0852-22-5794 sekaiisan@pref.shimane.lg.jp