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「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考

 

「竹島外一島之儀本邦関係無之について」再考−明治十四年大屋兼助外一名の「松島開拓願」を中心に−


 

 平成21年10月29日、島根県竹島資料室の関係者で資料の整理をしている中で『明治十四年、明治十五年県治要領』という冊子の明治15年1月の条に「三十一日去年十一月十二日付ヲ以日本海内松島開墾ノ義ヲ内務農商務ノ両卿ニ稟議シ至是内務卿ヨリ其指令ヲ得ル如左書面松島ノ義ハ最前指令ノ通本邦関係無之義ト可相心得依テ開墾願ノ義ハ許可スへキ筋ニ無之候事但本件ハ両名宛ニ不及候事」という記録があることを発見した。

 先に、私は島根県Web竹島研究所の「杉原通信」第8回「明治9年の太政官文書-竹島外一島之儀本邦関係無之について-」(2008年6月17日掲載)において、明治14年島根県令境二郎の名で内務卿、農商務卿に「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」なる書状が提出されていたこと、内容は島根県那賀郡浅井村の士族大屋兼助という人から出された松島開墾願いについての対応の伺いであることを述べたが、今回発見された記録は、これに符合する内務卿からの回答である。

 明治9年10月16日島根県が「竹島外一島」について「山陰一帯ノ西部ニ貫付スヘキ哉ニ相見候」として地籍編纂方伺いを提出したのに対し、明治10年4月9日付けで「竹島外一島之儀本邦関係無之儀ト可相心得事」と内務卿大久保利通代理、内務少輔前島密の名で回答があった。今回の記録では、そのことを指して「最前指令ノ通」とし、「松島」は日本に関係ない島だから開墾の許可はしないとしている。

 明治14年島根県が提出した「日本海内松島開墾之儀ニ付伺」、それを受け取った内務権大書記官西村捨三がこの件に関して外務省に行った照会と外務省の回答は、東京の外交史料館に残っている。一件資料は、すでに竹島資料室の錦織希衣氏が上京して入手し、同氏が島根大学准教授小林准士氏の協力を得て翻刻を終えている。この機会に、『県治要領』と併せ全文を紹介する。

 さて、ここでの問題は、竹島ほか一島が日本と無関係だとする明治10年4月の内務省回答(回答に際して仰いだ太政官の指令)が現在の竹島に関するものかどうか、当時の政府は現在の竹島を指して本邦関係無之としたのかどうかである。

 『県治要領』にある「松島開墾願」への内務卿の回答と外交史料館の関係文書、それに、明治9年7月に青森県人武藤平学、同年12月に千葉県人斎藤七郎兵衛が「松島開拓願」を、明治10年1月島根県人戸田敬義が「竹島渡海之願」を、それぞれ鬱陵島を対象にして提出していること(「杉原通信」第8回参照)、明治16年朝鮮の修信使朴泳孝の鬱陵島での日本人の活動に対する抗議を受けて内務省が各府県の長官に「日本称松島一名竹島、朝鮮称鬱陵島」なる文言を用いて訓令を出していること(同前)などから総合的に判断して、問題になっている「竹島外一島之儀本邦関係無之」は、竹島(鬱陵島)と松島(現在の竹島)は日本に関係がないとしたものではなくて、竹島とも松島とも呼ばれている島(鬱陵島)が日本に関係がないとする解釈(Web竹島問題研究所への意見2009年5月分質問5への回答参照)に分があるように思われる。

 なお、今回の資料に登場する島根県人の境二郎については田村清三郎著『明治初年の県政-100年前の島根・浜田両県-』(昭和41年、松江・今井書店)、『島根県歴史人物事典』(平成9年、山陰中央新報社)等にくわしく紹介されており、浅井村士族大屋兼助については明治8年石見地方へ漂着した15人の朝鮮人を地元の代表者として対馬へ同行して送還したことがわかっている。

 

(島根県竹島問題研究顧問杉原隆)

 

『朝鮮國蔚陵島へ犯禁渡航ノ日本人ヲ引戻之儀ニ付伺…』

■明治14(1881)年『朝鮮國蔚陵島へ犯禁渡航ノ日本人ヲ引戻之儀ニ付伺自明治十四年七月至明治十六年四月』〔外務省外交史料館所蔵※外務省記録3-8-2-4(3門8類2項4号)〕


 

内務権大書記官西村捨三発外務書記官あて照会(明治14年11月29日)

 

島地第一一一四号

 日本海ニ在ル竹島松島之義ハ別紙甲号

 之通去明治十年中本邦関係無之事

 ニ伺定相成爾来然カ相心得居候処今

 般島根県ヨリ別紙乙号之通申出候次

 第ニヨレハ大倉組社員ノ者航到伐木候

 趣ニ相聞候就テハ該島之義ニ付近頃朝

 鮮国ト何歟談判約束等ニ相渉リタル義ニテモ

 有之候哉一応致承知度、此段及御照

 会候也

明治十四年十一月廿九日内務権大書記官西村捨三

 外務書記官

 御中

 

同上別紙甲号(太政官指令、明治10年3月29日)

 

甲号

 日本海内竹島外一島地籍編纂方伺(外一島ハ松島ナリ)

 竹島所轄之義ニ付島根県ヨリ別紙伺出取

 調候処、該島ノ義ハ元禄五年朝鮮人入

 島以来別紙書類ニ摘採スル如ク元禄九年

 正月第一号旧政府評議ノ旨意ニヨリ二号

 訳官へ達書三号該国来柬四号本邦回答

 及ヒ口上書等ノ如ク則チ元禄十二年ニ至リ

 夫々往復相済ミ本邦関係無之相聞ヘ候得

 共版図ノ取捨ハ重大ノ事件ニ付別紙書

 類相添為念此段相伺候也

 明治十年三月十七日内務少輔

 右大臣殿(付箋書類略ス)

指令

 伺之趣竹島外一島ノ義本邦関係無之

 義ト可相心得事

 明治十年三月廿九日

 

同上別紙乙号(日本海内松島開墾之儀ニ付伺、明治14年11月12日)

 

 日本海内松島開墾之儀ニ付伺

 当管内石見国那賀郡浅井邨士族大

 屋兼助外一名ヨリ松島開墾願書差出シ

 其旨趣タル該島ノ義ハ同郡浜田ヨリ海上

 距離凡八十三里酉戌ノ方位ニ当リ無人ノ

 孤島ニ有之候処、東京府下大倉喜八郎

 設立ノ大倉組社員片山常雄ナルモノ木材

 伐採ノ為メ海軍省第一廻漕丸船ニテ

 本年八月該地渡航ノ際、右兼助浜田ヨリ

 乗込同航実地見分候処、其景況東西凡

 四五里南北三里余周廻十五六里、島

 山ニシテ海岸ヨリ頂ニ至ル凡一里半雑樹

 森在古木稠茂シ其間幾多ノ渓流且

 ツハ平坦ノ地アリ地味膏腴水利モ亦便僅

 カニ一隅ヲ拓クモ数十町歩ノ耕地ヲ得ヘク

 其他採藻漁業ノ益全島ノ福利測ル可ラ

 ズ移住開墾適当ノ地ニ付同志ヲ浜田地

 方ニ募リ資金ヲ合セ自費ヲ以テ草莱

 ヲ開キ大ニ遺利ヲ起サントノ義ニ有之候処

 該島ノ義ハ過ル明治九年地籍取調ノ際

 本県地籍編入ノ義内務省ヘ相伺候処

 同十年四月九日付書面竹島外一島ノ義は

 本邦関係無之義ト可相心得旨御指令相成

 然ルニ前述当度大倉組渡航伐木候場

 合ニ就キ推考候得は、十年四月御指令

 後或ハ御詮議相変リ本邦版図内ト被定候

 儀ニ可有之歟、該島果シテ本邦地盤ニ候

 得は兼助等願意事業経費ノ目論見

 資金支出ノ方法及同志者規約等詳

 悉取調更ニ相伺候様致シ度別紙相添此

 段相伺候也

 明治十四年十一月十二日

 島根県令境二郎

 内務卿山田顕義殿

 農商務卿西郷従道殿

 

外務省の返信起案文書(明治14年12月1日付け、11月30日起草)

 

明治十四年十一月三十日起案文

公第二六五一号
公信局長

 内務権大書記官西村捨三殿外務権大書記官光妙寺三郎

 朝鮮国蔚陵島即竹島松島之儀ニ付御聞合之趣閲悉

 候右は先般該島江我人民ノ渡航漁採伐木スル者有之趣

 ニテ朝鮮政府より外務卿江照会有之候付査究候処

 果シテ右様之事実有之趣ニ付既ニ撤帰為致爾後

 右様之儀無之様申禁ニ及置候旨該政府江照覆

 置相成候右回答申達候也

 十四年十二月一日

 

 


 ■原文(PDF1340KB)

 

 

『県治要領』(明治14〜15年)〔島根県所蔵〕

明治15年1月の条(明治15年1月31日)

 

三十一日

 去年十一月十二日付ヲ以日本海内松島開墾

 ノ義ヲ内務農商務ノ両卿ニ稟議シ至是内務卿ヨリ其指令

 ヲ得ル如左

 書面松島ノ義ハ最前指令ノ通本邦関係無之

 義ト可相心得依テ開墾願ノ義ハ許可スヘキ

 筋ニ無之候事但本件ハ両名宛ニ不及候事

 

 


原文(PDF137KB)

 

 

【参考資料】『地籍』(明治9年)〔島根県所蔵〕

内務卿あて日本海内竹島外一島地籍編纂方伺(明治9年10月16日)

 

九年十月九日稟

 

 日本海内竹島外一島地籍編纂方伺

御省地理寮官員地籍編纂莅検

之為本県巡回之砌日本海中ニ在ル

竹島調査之義ニ付別紙乙第二十

八号之通照会有之候処本島ハ

永禄中発見之由ニテ故鳥取藩之時

元和四年より元禄八年迄凡七拾

八年間同藩領内伯耆国米子町

之商大谷九右衛門村川市兵衛ナル者

旧幕府之許可ヲ経テ毎歳渡

海島中ノ動植物ヲ積帰リ内地ニ

売却致候者已ニ確証有之今ニ古書

旧状等持伝候ニ付別紙原由之大

略図面共相副不取肯致上申

候今回全島実検ノ上委曲ヲ具ヘ

記載可致之処固より本県管轄

ニ確定致候ニモ無之且北海百余里ヲ

懸隔シ線路モ不分明尋常帆舞

船等ノ能ク往返スヘキニ非ラサレハ右大谷

某村川某カ伝記ニ就キ追テ詳細

ヲ上申可致候而シテ其大方ヲ権案

スルニ管内隠岐国ノ乾位ニ当リ山陰一帯ノ

西部ニ貫附スヘキ哉ニ相見候ニ付テハ

本県国図ニ記載シ地籍ニ編入スル

等之儀ハ如何取計可然ル哉何

分之御指令相伺候也

 長官代理

 九年十月十六日次官

 

内務卿宛

 

 

 

磯竹島一ニ竹島ト称ス隠岐国ノ乾位一百

二拾里許ニ在リ周回凡十里許山峻嶮ニ

シテ平地少シ川三条アリ又瀑布アリ

然レトモ深谷幽邃樹竹稠密其源ヲ知ル

能ハス唯眼ニ触レ其多キ者植物ニハ五鬣松

紫栴蘗椿樫柊桐

マノ竹胡蔔蒜款冬(くさかんむりに襄)荷

覆盆子

アヲキ動物ニハ海鹿猫鼠

雀鳩鵯鶸鳧鵜鷲

■(周に鳥)鷹ナヂアナ四十雀ノ

類其他辰砂岩緑青アルヲ見ル魚貝ハ

枚挙ニ暇アラズ就中海鹿鮑ヲ物産ノ最ト

ス鮑ヲ獲ルニ夕ニ竹ヲ海ニ投シ朝ニコレヲ上レハ

鮑枝葉ニ著クモノ夥シ其味絶倫ナリト

又海鹿一頭能ク数斗ノ油ヲ得ヘシ次ニ

一島アリ松島ト呼フ周回三十町許

竹島ト同一線路ニ在リ隠岐ヲ距ル

八拾里許樹竹稀ナリ亦鳥獣ヲ

産ス永禄中伯耆国会見郡米子町商

大屋後大谷ト改ム甚吉航シテ越後ヨリ帰リ

颶風ニ遇フテ此地ニ漂流ス遂ニ全島ヲ巡視

シ頗ル魚貝ニ富ムルヲ識リ帰国ノ

日検使安倍四郎五郎時ニ幕命ニ因リ米子城ニ居ル

彼赴ヲ申出シ以後渡海セント請フ安倍氏

江戸ニ紹介シテ許可書ヲ得タリ実ニ元和四年

五月十六日ナリ

 従伯耆国米子竹島先年船相渡

 之由候然レ者如其今度致渡海度

 之段米子町人村川市兵衛大

 屋甚吉方申上付テ達上聞候之

 処不可有異義之旨被仰出

 間被得其意渡海之義可被仰

 付候恐々謹言

 永井信濃守

 尚政

 五月十六日

 井上主計頭

 正就

 土井大炊頭

 利勝

 酒井雅楽頭

 忠世

 松平新太郎殿

 

当時米子同町ニ村川市兵衛ナル者アリ

大屋氏ト同シク安倍氏ノ懇親ヲ得ル

カ故ニ両家ニ命セラル然レトモ本島ノ

発見ハ大屋氏ニ係ル此ヨリ毎年間断ナク

渡海漁猟セリ幕府遠隔ノ地本邦

版図内ニ入ルヲ称シ船旗等ヲ与ヘ殊トニ

登宮謁見セシメ屡葵章ノ服ヲ給ス

後甚吉島中ニ没ス墳墓今尚存スト云フ元禄七年

甲戌ニ至リ朝鮮人上陸スル者若干ナリ

其情測ル可ラス且船中人数ノ寡少ナル

ヲ以テ帰リ是ヲ訴フ明年幕命ヲ

得武器ヲ載セテ到レハ其人恐レテ遁レ

去ル残ル者二人アヒチヤとトラヱイアリ即チ捕縛

シテ帰ル命アリ江戸ニ致シ本土ニ送還ス

同年彼ノ国ヨリ竹島ハ朝鮮ニ近接ナルヲ

以頻ニ其地ニ属センコトヲ請フ幕府議

シテ日本管内タルヘキノ証書ヲ上ラハ以後

朝鮮ニ漁猟ノ権ヲ与フ可キノ命アリ

彼国此ヲ奉ス此ニ因テ同九年丙子

正月渡海ヲ禁製セラル

 先年松平新太郎因州伯州領知

 之節相窺之伯州米子之町人村川

 市兵衛大屋甚吉竹島ヘ渡海

 至于今雖致漁候向後竹島へ渡海

 之義製禁可申付上被仰出之由

 可被存其赴候恐々謹言

 土屋相模守

 五月廿八日戸田山城守

 阿倍豊後守

 大久保加賀守

 松平伯耆守殿

 

元和四年丁巳ヨリ元禄八年乙亥ニ至テ凡七十八年

ナリ因ニ云フ隠岐国穏地郡南方村字福浦ノ弁才天女社ハ

当時大谷村川両家海波平穏祈祀ノ為ニ建立スル所ナリ

今ニ至リテ本社修繕ヲ加フルニ当レハ必ス之ヲ両家ニ告ク相伝フ当時柳沢氏

ノ変アリ幕府外事ヲ省ルコト能ハス遂ニ爰ニ

至ルト云フ今大谷氏伝フ所享保年間ノ

製図ヲ縮写シ是ヲ附ス尚両家所蔵ノ

古文書等ハ他日謄写ノ成ヲ俟テ全備

セントス

書面竹島外一島之儀は本邦

関係無之儀ト可相心得事

 内務卿大久保利通代理

明治十年四月九日内務少輔前島密

 

島根県地籍編製係あて照会(明治9年10月5日)

 

乙第二十八号

御管轄内隠岐国某方ニ当テ従来

竹島ト相唱候孤島有之哉ニ相聞固

ヨリ旧鳥取藩商船往復シ線

路モ有之赴右は口演ヲ以調査方及

御協議置候義モ有之加ルニ地籍編

製地方官心得書第五条ノ旨モ有之

候得共尚為念及御協議候条

右五条ニ照準而テ旧記古図等

御取調本省ヘ御伺相成度此段

及御照会候也

 

 明治九年十月五日地理寮十二等出仕

 田尻賢信

 地理大属

 杉山栄蔵

 

 島根県

 地籍編製係御中

 

 


 ■原文(PDF1692KB)


 【「磯竹島略図」は略す】(杉原通信第8回に掲載していますのでご参照ください。)


 

※1上記の翻刻または原文(画像)を刊行物等に転載し、またはインターネット上に掲載しようとする場合は、島根県総務部竹島資料室にご連絡ください。また、外務省外交史料館所蔵の文書の掲載等については、同館にお問い合わせください。

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