世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の概要
石見銀山の価値
島根県大田市にある石見銀山は、1527年に発見されて以降、1923年の休山まで約400年にわたって操業が行われた、日本を代表する鉱山遺跡です。
2007 年7月、以下の 顕著な普遍的価値が認められ 「石見銀山遺跡とその文化的景観」として、国内では14件目、鉱山遺跡としてはアジアで初めての世界遺産に登録されました。
◆世界的に重要な経済・文化交流を生み出した
◆伝統的技術による銀生産方式を豊富で良好に残している
◆銀生産の全体像を示す文化的景観である
石見銀山の歴史
石見銀山は1527(大永7)年に博多の商人である神屋寿禎(かみやじゅてい)によって発見されました。
1533(天文2)年に灰吹法(はいふきほう)が導入されると、石見銀山での銀生産が本格化し、大量の銀が生産されることになります。
当初、石見銀山は守護大名大内氏の支配下にありましたが、その後毛利氏の支配となり、関ケ原の戦いまでの約40年間は毛利氏による支配が続きました。
江戸時代に入ると、石見銀山は徳川幕府の直轄地となります。
幕府から派遣された奉行・代官のもとで運営されましたが、産銀量は次第に停滞する一方で生産コストは増大するなど、銀山の経営を取り巻く状況は悪化していきました。
幕末には、長州軍の占領によって、270年近く続いた徳川幕府による支配は終焉を迎えました。
明治時代には、大阪の藤田組によって近代的な開発が進められ、再び活況を取り戻します。
しかし、その後銅価格の下落などによる経営の悪化で、1923(大正12)年に休山となり400年にわたる石見銀山の鉱山としての歴史は終わりを迎えました。
※1938(昭和13)年に公布された「重要鉱物増産法」により、翌年から採鉱を再開しますが、1943(昭和18)年に石見地方を襲った大水害で壊滅的な被害を受け、経営再開は断念されました。
調査・研究が進む石見銀山
石見銀山の全容と価値を明らかにするため、平成8年度から島根県と大田市が共同で、各分野の調査を実施しています。
◆発掘調査
地下に埋もれている、銀生産、人々の生活や信仰、支配等に関する遺構や遺物を、考古学的な手法で調査しています 。
また、遺跡整備に必要な情報を得るための調査も行っています。
◆石造物調査
人々の信仰や葬送儀礼、社会の営みなどを、墓石を中心とする石造物から明らかにしようとする調査です。
◆文献調査
古文書をはじめとする文献史料を手がかりに、石見銀山とその周辺地域の歴史を明らかにする調査です。
◆科学調査
発掘調査などで得られた資料を、科学的方法を用いて分析する調査です。
分析によって得られたデータをもとに、鉱山技術の詳細を明らかにすることを目指しています。
◆テーマ別調査研究
石見銀山での基礎調査研究で得られた成果をもとに、テーマを決めて学際的な調査・研究を行うのがテーマ別研究です。
現在、「最盛期の石見銀山」と「東アジア鉱山比較」という2つのテーマで調査研究を行っています。
お問い合わせ先
文化財課世界遺産室
〒690-8502 松江市殿町1番地
島根県教育庁文化財課 世界遺産室
電話0852-22-5642,6127 FAX 0852-22-5794
sekaiisan@pref.shimane.lg.jp