知ることの楽しさ
夏目漱石“吾輩は猫である”に面白いところがありました。
一、人類が出現して以来何十億人と生まれたけれども同じ顔をしている者は世界中に一人もいない。材料は皆同じ。簡単な材料で大きさもほぼ同じ。人間はこれを称して神(創造主)の全知全能に感服し畏敬の念を持つ。
二、しかし、吾輩(猫)の立場からいうと神の無能力を証明しているともいえる。神が猫も杓子も同じ顔に造ろうと思ってやりかけてみたが、ただの一組も完全な同じ顔のものを造ることができず失敗の痕跡ともいえる。
三、全能ともいえようが、無能ともいえる。彼等人間の眼は平面の上に二つ並んでいるので、左右を一時に見ることができないから事物の半面しか視線内に入らないのは気の毒な次第である。
"吾輩は猫である"はあらためて読んで新たな面白さの発見がありました。
このテーマから頭に浮かぶことを思いつくままに列挙してみます。
1)目、鼻、口、耳、顔の輪郭、眉といった素材は全く単純簡単であって、一人ひとりの顔が違うのはDNAの与するところで、その造形を“神”と表現するとすれば、まさに他に表現のしようのない神秘性である。
2)そのDNA、ヒトの遺伝子の配列は解明されたが、その情報量は驚異的で、まさに“神技”といえる。
ヒトとチンパンジーの遺伝子は95%が同一。ヒトとチンパンジーを分けているのは5%の部分。
3)このDNAを調べると、すべてのヒトのDNAが、ある一人のアフリカの女性に行きつくという。つまり「人類皆兄弟(姉妹)」である。
4)我々日本人は羊の顔の違い、牛の顔の違いの少ししか区別ができないが、遊牧民にあってはかなりの程度区分区別が可能。それぞれの文化によってはこうした能力の違いがある。
5)吾輩(猫)のうがった見方は、ものの見方は別の角度から見ると全く違った結論が引き出せることの好事例。多面的な見方をすることでものの見方を掘り下げることができる。
6)夏目漱石は文豪という名をかぶせられるに最もふさわしい作家として定評があるが、「吾輩は猫である」に限らず、「坊っちゃん」でもその他でもけっこうユーモアやジョークがあって、意外にくだけた小説だ。
7)人間の顔から離れて他の動物や花について同じ思いを及ぼす時、また自然の摂理の神秘性にあらためて感動を覚える。
8)その他、まだいろいろと...
この例からもいえることは学ぶことは楽しいこと、知ることは楽しいことです。
今、日本の月衛星「かぐや」が鮮明な画像を送って来て、我々は居間のテレビで見ることができます。こうした宇宙の神秘性にも感動する心を養って欲しいものです。
来年のスローガンも引き続き次のとおりです。
感性を磨けば人生が楽しくなる。
知性を高めれば人生が豊かになる。
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