• 背景色 
  • 文字サイズ 

実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜

第35回

竹島問題の封印策としての「東海」呼称について

 

 1月29日付の産経新聞一面は、「日本海と併記、米州法案1票差で否決」「韓国系120万人揺さぶり浸透」と伝えた。これは韓国系米国人が多く住むバージニア州アナンデール選挙区のデーブ・マースデン議員が、バージニア州で使用する教科書に、日本海と東海の併記を求めた法案を州の上院教育厚生委員会に提出し、8対7で否決されたことを報じたものである。東海の併記に関しては、昨年末からシカゴの韓国人会を中心に、ロサンゼルス、ニューヨーク、ワシントン等で東海併記の署名運動がはじまり、地元議員に対する攻勢を強めていた。韓国人会が動いたのは、五年に一度開かれる国際水路機関の総会が4月23日から27日までモナコで開催され、海図作成の指針となる『大洋と海の境界』が改訂されるからである。韓国側としてはその前に、米国の州議会で東海併記の法案を成立させ、国際水路機関の総会でその正当性を主張しようと考えたからである。そこで韓国人会のホンイルソン会長等は、バージニア州の上院教育厚生委員会の審議の過程で、東海の正当性を証言したという。協力者のデーブ・マースデン議員が、「東海の呼称は2000年前から」と発言したのはそのためである。日本が知らない内に、韓国側による反日プロパガンダが米国内に浸透し、それが一人歩きしている。これは近年、市民運動と称して徒党を組み、大きな声を上げれば要求が通ると思い込む風潮が、韓国内で蔓延していることと無関係ではない。その扇動役が「東北アジア歴史財団」と青少年数万人を動員する「サイバー使節団」VANKである。この事大主義的傾向と韓国的な市民運動は、歴史的に朝鮮半島が暴走し、周辺諸国を混乱に陥れる前兆である。それも国際社会を舞台に「日本海を東海に改めよ」とする主張は、1991年に韓国が国連に加入し、1992年から国連の地名標準化委員会で日本海の呼称を問題としたことにはじまる。それが本格化するのは1994年に国連の「海洋法条約」が発効し、1996年2月、韓国が不法占拠する竹島(韓国名、独島)に接岸施設の建設を開始して、竹島の侵奪を正当化する動きに結びつけてからである。独島(竹島)が「日本海」の中にあると、日本の領海内にあるようで適切でない、というのが理由である。その韓国が蠢動するのは2005年3月16日、島根県議会が「竹島の日」条例を制定してからである。以来、韓国側は、不法占拠を続ける竹島問題を封印する手段として、東海の表記問題を使うことになるのである。

 ここで問題となるのは、竹島問題の解決を怠った日本の外交姿勢である。それも民主党政権は、竹島を不法占拠する韓国側に対し、「不法占拠」という表現の使用を頑なに拒んできた。現政権が竹島問題を外交事案としなければ、韓国側は東海の併記に専念することができる。そこで「日本海の名称が支配的になったのは20世紀前半の日本の帝国主義、植民地主義の結果」とする歴史を捏造した韓国側は、国際社会を舞台に、謂れのない日本批判を始めたのである。これに対し、日本政府は、世界の古地図には日本海と表記した地図が多いか、韓国海や朝鮮海と表記した古地図が多いかで反論し、竹島問題には無頓着であった。そのため韓国側でも日本政府と同じ戦術をとり、古地図の数を競ってきた。その結果、韓国側の集計では韓国海や朝鮮海などが多く、日本側の調査では日本海が多くなっている。これでは水掛け論で、結論が出ない。そこで韓国側は、国際水路機関や国連地名標準化会議の関係者を活用して、日本海の呼称の不当性を宣伝したのである。だが韓国側が東海問題と竹島問題を結びつけ、ロシアや中国、北朝鮮とも連携して、日本に揺さぶりをかけたが、民主党政権は黙認した。昨年8月1日、自民党の新藤義孝・稲田朋美・佐藤正久の三議員が欝陵島にある独島博物館の訪問を試みたのは、現状を打開するためであった。事実無根の史料を展示し、竹島を韓国領とする実態を、多くの人々に知ってもらうためであった。それも新藤義孝議員等が欝陵島訪問を決めたのは、その三ヶ月前に、独島領土守護対策特別委員会の韓国の国会議員三名が北方領土の国後島に渡り、8月12日には竹島で同委員会の開催を予定するなど、挑発的な態度をとり続けたからである。これを容認すれば、竹島を不法占拠する韓国側はますます調子付く。加えて2010年11月1日、メドベージェフ大統領が、ロシアの大統領としては初めて国後島を訪問するなど、北方領土問題も深刻な状況にあり、日本外交はじり貧の状態にあった。それに2010年9月7日、尖閣諸島付近では中国漁船による巡視船追突事件が発生した。この尖閣問題も、日本の事後処理が稚拙であったことから、中国の関心は南沙諸島や西沙諸島に拡大し、ベトナムやフィリピンにまで飛び火した。南沙諸島や西沙諸島を第一列島線に含める中国政府にとって、脆弱な日本の外交姿勢は、攻勢の好機と映ったからである。民主党政権下の日本外交は、成算がないまま閣僚の独断が続き、国益を大きく損なった。昨年11月の衆議院の外務委員会で、稲田朋美議員から質問された玄葉光一郎外相は、韓国側が「竹島を不法占拠している」とする表現を拒んだ。これは2010年3月26日、衆議院の外務委員会で自民党の新藤義孝議員の質問に、岡田克也外相(当時)が、頑なに「不法占拠」という表現を忌避しているからだ。領土の一部を奪われ、国家主権が侵されても、その事実に対し、外相が「不法占拠」との表現を拒み、外交摩擦を避けていれば、国家主権の回復は難しい。北方領土のみならず千島列島や南樺太までも侵奪したロシアがほくそえみ、尖閣諸島を虎視眈々と狙う中国が強硬姿勢を示すのも、当然である。2010年9月、中国漁船が日本の巡視船に追突した事件が起きた際、香港の『亜洲週刊』(9月26日号)は、韓国が竹島を不法占拠しているのに倣い、「日本から韓国が独島を奪還した貴重な体験を学べば釣魚島回復も夢でない」とした。竹島問題に端を発した外交懸案は、尖閣諸島を巡る日中の確執をもたらし、韓国側には日本海を東海に改めさせようとする口実を与え続けている。では日本海ではなく東海とすべきとした韓国に、歴史的根拠はあったのだろうか。

 

(1)東海問題

 韓国側が東海の表記に固執するのは、究極の目的として竹島問題の封印があるからである。米国各地では、韓国人会による「独島守護国際連帯」が結成され、東海問題と竹島問題をセットに、議員工作が活発になっている。2011年11月29日、韓国の聯合ニュース電子版が、「米国韓国人会、東海併記請願のためクリントンとの面談要請」と伝え、同じく2011年12月10日には、独島守護国際連帯のコウ・チャンクン執行委員長が、「国際水路機関に実質的に力を行使できるのは米国の国務部と連邦の上下院議員だ。彼等を積極的に説得する」とし、「その意味でシカゴ韓国人会はヒラリー・クリントン国務長官との面談を進め、署名運動を通じて、連邦議員にも同様のことをしていくことが重要」と述べたという。米国内の韓国人会をここまで動かすのは、島根県議会による「竹島の日」条例の制定を機に、韓国政府が対日戦略を講じていたからである。韓国の盧武鉉大統領(当時)は、「竹島の日」条例が成立する一週間前、すでに竹島問題に持続的に対処できる機関の設置を法案化し、4月には「東北アジアの平和のための正しい歴史定立企画団」を発足させて、今に至っている。それも盧武鉉政権当時の外相であった潘基文国連事務総長は、2007年の「国連の日」に開催された国連事務総長主催のコンサートで、日本海を東海とし、竹島を独島と表記した英文のパンフレットを配布したという。外相時代の潘基文氏は、「竹島問題は日韓関係よりも上位概念」と発言したが、国連の事務総長となってからの影響力は無視できないものがある。国連の地名標準化委員会や国際水路機関の関係者が、東海の併記では韓国寄りの発言をし、地名標準化委員会の専門部会のトップが韓国人だという事実もある。その韓国側では、2000年前から日本海を東海と呼称していたが、1929年、海図作成の基になる『大洋と海の境界』が国際水路局で編纂される際、日本の植民統治下にあった韓国は、東海を主張する機会を奪われていた、と主張している。韓国側ではその歴史の清算を、東海の併記という形で実現しようとしているのである。そこで韓国側では五年に一度開催される国際水路機関の総会に向け、2002年と2007年に続いて、2012年をめどに活動してきた。その戦術の一つとして、韓国は世界各地で「東海セミナー」を開催し、東海併記に賛同する国々の拡大に努めてきた。[1]『三国史記』と「広開土王碑」の東海その際、根拠とされたのが『三国史記』(「高句麗本紀」)にある東海という表記と、『広開土王碑』に刻まれた東海の文字である。韓国側では今日、日本海を東海と呼称していることから、それら東海も日本海に違いない、という論理である。そこで韓国側は、『三国史記』の東海の記述が、今から2000年前の紀元前37年に当たることから、東海の呼称はイエスキリストの誕生よりも古い、と主張するのである。ではその韓国側の根拠とされた、『三国史記』には、どのように記されているのだろうか。そこには「東海之濱」と記述されている。だがこの東海は、日本海のことではない。なぜなら高句麗が建国したとする紀元前37年には、韓国の国家的ルーツとなる新羅は建国しておらず、高句麗の故地は遼東半島付近(卒本付近)にあるからである。

 しかしここに大きな問題がある。今日、韓国の歴史認識では高句麗を韓国の歴史と見ているが、韓国の国家的な系譜に高句麗は含まれないからだ。事実、中国と韓国は、2003年頃から高句麗の歴史を巡り、韓国の歴史か中国の一地方政権の歴史かで、高句麗史論争を続けている。その中国との高句麗史論争で、韓国側の主張を有利にするために製作されたのが韓流ドラマの『朱蒙』と『太王四神記』である。朱蒙は高句麗の始祖である東明王の物語で、『太王四神記』は高句麗中興の祖である広開土王に関するドラマである。中国側の歴史認識からすれば、朱蒙と広開土王も、韓国の歴史とは関係がないことになり、それを記した『三国史記』(「高句麗本紀」)や、「広開土王碑」に記された東海の意味も違ってくる。まず「広開土王碑」にある東海の文字であるが、そこには「東海賈、国烟三、看烟五」と刻されている。これは広開土王の墓を維持するための墓守(陵戸)の数を記したもので、東海賈は墓守の居住する地域名である。東海賈の東海を日本海とするのは、牽強付会である。それに高句麗建国の地は、遼東半島付近にあり、直接、日本海には接していなかった。『翰苑』に引かれた魚拳の『魏略』では、「高句麗国、遼東千里にあり。南は朝鮮・●(わい:さんずいに歳の旧字体)貊に接し、東は沃沮に接して、北は夫餘に接するなり」とある。高句麗と日本海の間には、沃沮が介在していたのである。では『三国史記』に、「東海之濱(ほとり)に地あり。号して迦葉原という」と記された東海は、どこの東海を指していたのであろうか。ヒントは、朝鮮時代初期に編纂された『龍飛御天歌』にある。その「海東」の注釈では、次のように記されているからである。「四海の外、皆また海あり。東海の別に渤海あり。ゆえに東海、渤海と共称す。また通じてこれを滄海という。我が国は渤海の東にあり。ゆえに海東という」この分註でも明らかなように、東海は、渤海のことである。それを韓国側が日本海と解釈したのは、朝鮮半島には伝統的に二つの東海があるにもかかわらず、その伝統的読み方を無視して東海を日本海とのみ解釈するからである。だが朝鮮時代には、二つの東海は区別されていた。朝鮮時代末期の高宗は「朝鮮は東海の東にあり」と発言し、朝鮮半島を中国の東海の東側に位置する、としているからだ。高宗が言う東海は、渤海と黄海である。これは朝鮮時代中期の李●(日へんに卒)光が「中国の東海、即ち我が国の西海」(「芝峰類説」)とし、朝鮮時代後期の鄭東愈が「中国の所謂東海は、我が国の西海」(「昼永編」)としたように、朝鮮半島には中国を基準とした「東海」が存在したからである。それは伝統的に、中国には方位の概念としての四海の観念があり、渤海や黄海など東方の海を「東海」と称していたことによる。そのため朝鮮では自らを「東海の東」にあるとして「海東の国」を称し、『龍飛御天歌』では、その基準となる渤海を東海ともしたのである。東明王(朱蒙)の後裔は、その後、朝鮮半島の西側を黄海に沿って南下し、百済や新羅とも争うことになるのである。従って韓国側が『三国史記』や「広開土王碑」を論拠とする「東海」は、この中国を基準とした「東海」と解釈しなければならないのである。『三国史記』の「東海」を根拠に、韓国では2000年前から日本海を東海と呼称していたとするのは、韓流ドラマの「朱蒙」同様、妄誕である。

 

(2)「八道総図」の東海

 

 韓国側が歴史問題を論ずる際は、自らの歴史認識で文献を解釈する傾向がある。これは韓国側が根拠とする『新増東国輿地勝覧』の「八道総図」【図1】でも、同じである。韓国側では、朝鮮半島を描いた「八道総図」の東海岸に東海の文字があることから、これを日本海とし、朝鮮半島では日本海を東海と呼称してきた証拠とした。だが『新増東国輿地勝覧』の編纂に関わった金宗直は、その跋文の中で「八道総図」について説明し、「巻首の総図は、則ち祀典、載す所の嶽濤●(さんずいに自)名山大川を録す」と明記している。『新増東国輿地勝覧』の「八道総図」には、自然を神々として祭ることを規定した『祀典』に準じ、祭祀の場所が描かれていたのである。従って「八道総図」の東海を日本海と解釈することは、歴史の歪曲である。なぜなら「八道総図」の東海は、朝鮮半島の東側の濤(大波)を祀る東海神祠の位置を示しているだけだからである。『新増東国輿地勝覧』によると、その東海神祠は、江原道襄陽都護府に鎮座していた。「八道総図」に東海の文字があるからといって、それを日本海とすることは許されない。現に『新増東国輿地勝覧』には、「八道総図」の他に朝鮮八道の地図が収載されており、その八道の各地図には「州県の鎮山、その四至四到を録」すことになっていた。東海神祠が安置された江原道の「江原道図」【図2】の場合、江原道を中心に隣接する地域を示す「四至四到」には「東北、大海に抵(至)る」、「東、大海に抵(至)る」等と、記されている。「江原道図」の外縁に「東北抵大海」、「東抵大海」と記されているのは、江原道の東北と東を延長すると、大海に至るとの意味である。この表記は、『新増東国輿地勝覧』が明の『大明一統志』を模したことによる。『大明一統志』(「福建地理之図」)【図3】でも「東抵海」とし、沿海の外は海に至るとされている。この事実は、『大明一統志』に倣った『新増東国輿地勝覧』の「八道総図」も、沿海の外側には大海(遠海)が拡がると言う認識によって、描かれていたと言うことである。それを「八道総図」に描かれた東海を現在の日本海に重ね、今日的な感覚で、日本海とするのは詭弁である。それに「八道総図」の東海という名称は、歴史的に海域を示すものでなく、方位を示すものでもあった。その典型的な事例としては、梁誠之による上疏文がある。梁誠之は世祖二年(1457年)三月、「東南西海神祠、皆開城により定まる。また方位、乖(もと)る」とし、高麗朝(開城)の基準ではなく、朝鮮王朝として新たに「北海神祠」を鴨緑江上流の甲山に設置すべきであるとした。だが鴨緑江上流の甲山には北海と呼べる海はない。それを梁誠之が、「北海」の神祠を内陸部に勧請しようとしたのは、海そのものよりも北方を祀る神祠が必要だったからである。この梁誠之の上疏は、東西南北の四海が、海そのものではなく、方位の概念であったことを示している。これは中国に「四海皆兄弟」と言った表現があるように、四海は方位の概念で、朝鮮半島ではそれを踏襲していたのである。このように見てくると、『新増東国輿地勝覧』所収の「八道総図」の東海も、『三国史記』の東海や「広開土王碑」の東海賈と同様、日本海とは全く関係がなかった。「八道総図」の東海は、『祀典』に規定された海濤を祀る東海神祠の位置を示していただけだからである。

 

(3)「愛国歌」の東海

 

 だが韓国側では、日本海はあくまで東海だという。その根拠として、1907年頃に作られた「愛国歌」の歌詞に、「東海が乾き果て、白頭山が磨り減る時まで」とあるのは、当時、日本海を東海と呼称していた証拠だというのである。しかしこれも根拠薄弱である。それは明治36年(1903年)、葛生修亮が『韓海通漁指針』を刊行し、「韓海」を伝統的な東海、南海、西海に分け、その中で「東海」を「東北咸鏡道の豆満江より東南慶尚道釜山付近に至る沿海を指す」と明記しているように、「東海」は「一大内海を形成せる日本海の一部」に過ぎなかったからである。これと同様の認識は、朴殷植の『韓国痛史』にも見られる。朴殷植は、「韓国は亜細亜東南の突出に在る半島国なり。その境界は東、滄海に濱(沿って)日本海を隔て、西は黄海に臨んで中国の山東江蘇二省に対す」と、韓国の地理的特性を記しているからだ。『韓国痛史』は民国四年(1915年)に刊行されているが、「愛国歌」ができた後も、沿海(滄海)の外には日本海が拡がると、認識していたからである。韓国側ではこれらの事実を無視し、日本海は東海であったとして国際社会を二分してきたのである。それも韓国側の対外工作は、早い時期から進められてきた。1996年2月、韓国政府が竹島に接岸施設の建設を始め、竹島問題が急浮上した翌年6月、ソウルのプレスセンターでは、「「東海」地名標準化のための国際セミナー」が開催された。そのセミナーには、国連地名標準化会議のペーター・E・ラパー議長とヘレンケーフト副議長、国際水路機関のアダム・K・ケラー事務総長等が参加し、韓国の「東海研究会」が主催した。だがこの種の試みは、国際社会をいたずらに混乱させるだけである。韓国が称する東海は、朝鮮半島の沿海に過ぎず、日本海とは重複しないからだ。それに韓国側の古地図に竹島が描かれていない事実は、東海の認識も竹島にまで及んでいなかった証左である。これに対して、日本海の名称はすでに明治16(1883)年4月、日本の海軍水路局が刊行した『寰瀛水路誌』に採用され、水路部が明治27(1894)年に刊行した『朝鮮水路誌』でも踏襲されている。そこには日本海の範囲が、「日本海ハ北北東至南南西ノ長凡九〇〇里、東西ノ幅最濶ノ所六〇〇里、日本各島ヲ以テ東及南ノ海界トナシ、朝鮮及黒龍沿岸州ノ海岸ヲ以テ西及西北ノ海界トナス」と、明記されている。それに日本の水路部が作製した海図は、英国やロシア等の海図を基に作図されており、日本海は公式の呼称として、定着していたのである。

 

(4)韓国側の宣伝工作の実態

 

 しかし日本政府のホームページを見ても、東海の呼称に歴史的根拠がない事実には触れていない。そのため韓国側の一方的な宣伝工作が功を奏しているのである。それも事態は深刻である。韓国の英字新聞「コリアヘラルド」(電子版)が2010年5月、「東海」をテーマにインタビュー記事を連載したように、対外工作が着々と進んでいるからだ。韓国政府は1992年以来、「日本海」の呼称を「東海」に改称すべく、国連地名標準化会議等を利用してきた。コリアヘラルドの連載はその集大成で、ピーター・E・ラパー元国連地名専門家会議議長、ポール・ウッドマン元国連地名専門家会議、米国地名委員会のノーマン・クレリクス氏、国連の地名標準化会議の専門部会長でソウル大学名誉教授のリ・キスク東海研究会名誉会長等13名がこのプロパガンダに加担している。だが近代以後に成立した「東海」の概念を神話の時代にまで遡らせ、2000年来、東海の呼称が使われていたと嘯くことは、国際社会を謀る欺瞞でしかない。しかし現実は楽観を許さないものがある。それはインタビューに応じた彼等が、日本海の海域と、韓国側が主張する歴史的な「東海」が重複しないという事実を知らずに、東海の併記に賛同しているからだ。国連地名標準化会議や国際水路機関の一部は、韓国側の策謀にマインドコントロールされているのである。国連の地名標準化会議や国際水路機関では、なぜこのような不毛の論議を20年も続けているのか、不思議でならない。その意味で、漢籍が読めるはずの北京大学のハンマオリー教授の見解は、一種の驚きである。ハンマオリー教授は、10世紀、中国東北部に建国した金の『大金集禮』に「祭東海祝文(東海を祭るの祝文)」があることから、その東海こそが今日の日本海であるとし、金と同じく中国東北部に建国した清朝も、日本海を東海と呼称した証拠としたのである。だが「祭東海祝文」の東海は、渤海に面した中国山東省の莱州に祀られた東海神廟のこと指し、日本海とは何ら関係がない。それをハンマオリー教授は、『大金集禮』の一部を恣意的に解釈して、「祭東海祝文」の東海は日本海であったと、断じたのである。しかし『大金集禮』(巻三十四)や『金史』(巻三十四)に記された「嶽鎮海●(さんずいに売の旧字体)」条を見ると、東海は山東省の莱州に鎮座する東海神廟のことである。それもその東海神廟は清朝に継承され、清代の『皇朝通典』や『皇朝文献通考』では、「東海を山東莱州に祭る」とし、『大清一統志』(巻一百三十六)では東海神廟の位置を、山東省の莱州「府の城西一十八里、四海の一つを祀るなり」と明記している。金も清朝も、東海を祀った神廟は、渤海に面した山東省の莱州府に置かれていたのである。さらにハンマオリー教授は、『海防纂要』の「遼東連朝鮮図」に「朝鮮東海」の文字があることから、これを日本海のこととした。だがこの「朝鮮東海」は、『新増東国輿地勝覧』の東海と同じで、朝鮮半島の沿海のことである。ハンマオリー教授は、「遼東連朝鮮図」の一箇所に注目したが、「遼東連朝鮮図」には朝鮮東海の他に、朝鮮南海、朝鮮西海の文字がある。ハンマオリー教授は朝鮮南海と朝鮮西海を無視し、「朝鮮東海」だけを示して日本海の証拠としたことになる。教授は自説に都合のよい部分だけを示し、東海は日本海であると断じていたのである。このように文献を恣意的に解釈するのは、韓国のソウル大学で学んだウィーン大学のライナー・ドーメルス教授も例外ではない。ライナー・ドーメルス教授は、韓国側の主張を忠実に述べた後、その証拠として「四海華夷総図」を挙げた。だがこの「四海華夷総図」は、中国を中心に四海(四夷)を示したもので、この東海は方位を示している。従ってこの「四海華夷総図」の東海は、朝鮮の東海とは全く関係がない。何ら証拠能力もない文献や地図を根拠に、東海が日本海であったとすることは欺瞞である。

 コリアヘラルドは、歴史を捏造したインタビュー記事を海外に発信し、東海の併記を謳った。それも事情に疎い外国人研究者を利用し、国際世論工作を企てたのである。だが問題は、この種の韓国側のプロパガンダが効果を発揮し、2000年、日本海と東海の併記は2.8%だったが、韓国側の調査では、2009年には28%にまで拡大したという。日本としては、古地図の中に日本海と表記したものが多いのか、朝鮮海が多いかを争うのではなく、東海を併記する歴史的根拠がない事実を、今後、国際水路機関で主張する必要がある。それを怠れば、東海の併記を過去の清算とする韓国側の理論は、事情を知らない国際水路機関の参加国の賛同を得ないとも限らないからだ。現に、竹島を侵奪した韓国が、日本が竹島の領有権を主張すると、逆に「独島に対する日本の領土的野心」と反発し、それが中国やロシアでも影響力を持ち始めたからだ。この動きを傍観していれば、東アジアは偽りの歴史問題を巡って、混迷を続けることになる。事実、尖閣問題で中国側が強気なのは、韓国の竹島侵奪をモデルとしているからである。日本政府は、韓国側による東海併記の欺瞞を明らかにし、国益を守らねばならないのである。

八道総図

【図1】『新増東国輿地勝覧』所収「八道総図」

 

『新増東国輿地勝覧』所収「江原道図」

【図2】『新増東国輿地勝覧』所収「江原道図」

 

『大明一統志』(「福建地理之図」)

 

【図3】『大明一統志』(「福建地理之図」)

(下條正男)


お問い合わせ先

総務課

〒690-8501 島根県松江市殿町1番地
0852-22-5012
0852-22-5911
soumu@pref.shimane.lg.jp