実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜
第30回
「欝島郡節目」に対する疑問
韓国海洋水産開発院は2011年1月3日、「独島・海洋領土ブリーフィング」を通じ、「勅令41号の欝陵島及び管轄区域の統治実態、『欝島郡節目』を発見」と発表した。この「欝島郡節目」は1902年4月、中央政府から欝島郡守の●(ハイ衣のなべぶたの下に非)季周に対して行政の指針を示したものとされ、それは大韓帝国が独島を実効支配していた証拠なのだという。
韓国海洋水産開発院が「欝島郡節目」に対し、このような解説をした背景には、1900年10月25日、大韓帝国が公布した「勅令第41号」の存在がある。そこでは欝島郡の管轄区域を「欝陵全島と竹島、石島」としており、韓国側では、その石島を今日の独島としてきた。従って1902年4月、欝島郡に対し、中央政府が「欝島郡節目」を下したとすれば、欝島郡の属島である独島に対しても、行政権が及んだ証拠になるというのである。
だがそれは、牽強付会の説である。なぜなら海洋水産開発院の柳美林女史は、「節目に独島に対する直接的な言及はないが、‘欝陵全島と竹島、石島(独島)'を管轄する欝陵郡守に下した行政指針として、大韓帝国が勅令を発布した後にも持続的に欝陵島と独島を実効支配していたことを示す証拠として注目する価値がある」としているが、その解説自体、論理的に意味をなさないからである。
「欝島郡節目」では独島に言及していないとしながら、その独島に言及していない「欝島郡節目」を根拠に、どうして「独島を実効支配していたことを示す証拠」とすることが出来るのだろうか。それを敢えて「独島を実効支配していたことを示す証拠」としたのは、「勅令第41号」では、欝島郡の管轄区域を「欝陵全島と竹島、石島」としているため、その石島を今日の独島とする前提で「欝島郡節目」を解釈したからである。
だがこの杜撰な文献解釈とは裏腹に、「欝島郡節目」の発見は、竹島が韓国領でなかったことを示す新たな証拠とすることができる。「勅令第41号」の公布以後、欝島郡に下された「欝島郡節目」に独島に言及した記述がない事実は、逆に欝島郡の行政権が独島にまで及んでいなかった証左にもなるからだ。現に1900年前後の竹島(独島)は「リャンコ島」と呼ばれ、日本領でも大韓帝国領でもない「無主の地」であった。
そのリャンコ島が、「無主の地」であったことを示す韓国側の資料としては、安龍福の密漁事件を契機に、朝鮮側で作図された『欝陵島図形』の系譜がある。そこでは安龍福が「倭の所謂松島」と証言した于山島は、欝陵島の東約二キロの竹嶼のこととされ、その後も「所謂于山島」と表記されているからだ。言うまでもなく、この「所謂于山島」は、日韓の係争の地となったリャンコ島(竹島)ではない。朝鮮時代の『欝陵島図形』に「所謂于山島」が描かれ、竹島(独島)が描かれていないという事実は、朝鮮側が独島を朝鮮領として認識しておらず、「無主の地」であった証拠である。
この『欝陵島図形』の欝陵島像は1882年、高宗の命で欝陵島を踏査した李奎遠の『欝陵島外図』に繋がり、『欝陵島図形』等で「所謂于山島」と注記された竹嶼は、チクトウ(竹島)と表記されている。この時、李奎遠が竹嶼を竹島(チクトウ)とするのは、外務省嘱託の北澤正誠が『竹島考証』(1880年)で欝陵島を松島とし、竹嶼を竹島(チクトウ)としてからである。つまり李奎遠の『欝陵島外図』には竹島(竹嶼)と島項(観音島)の二島が描かれているが、独島は描かれていないのである。この事実は李奎遠の『欝陵島検察日記』と『啓本草』でも確認ができる。李奎遠は『欝陵島検察日記』の中で、欝陵島の疆域を「周廻、仮量為一百四五十里」とし、『啓本草』では「此島、環海水路、足為一百四五十里許」としている。この周廻と環海水路は、何れも欝陵島一周の距離が「一百四五十里」(約60キロ)であることを示し、欝陵島の疆界が欝陵島一島に限られていたことを表している。
では欝陵島を欝島郡に昇格した1900年当時、大韓帝国では欝陵島の疆域をどのように認識していたのであろうか。それは後述するように、「勅令第41号」が公布される直前、島監●(ハイ衣のなべぶたの下に非)季周と内部視察官禹用鼎等の報告を得て、内部大臣李乾夏が議政府に提出した請議書によって確認ができる。それによると、『欝陵島図形』の欝陵島像を踏襲して「該島地方が縦八十里たるべく、横五十里と為す」とし、1900年6月に欝陵島を視察した禹用鼎の『欝島記』では、李奎遠の『欝陵島検察日記』と同様、「周廻また一百四五十里たるべし」と記している。欝陵島の周廻を、禹用鼎が「一百四五十里」としたのは、李奎遠と同じく視察範囲を欝陵島一島に止め、後に日本領となるリャンコ島(現在の竹島)に渡っていないこととも関係する。「勅令第41号」が公布される直前の大韓帝国では、リャンコ島(現在の竹島)を欝陵島の属島としては、認識していなかったのである。
これらの事実は、欝島郡の行政管轄区域とされる「欝陵全島と竹島、石島」の中に、欝陵島から東南東に90キロ近くも離れた「リャンコ島」は含まれていない、と言うことである。それを「欝島郡節目」を根拠に、「節目に独島に対する直接的な言及はないが、‘欝陵全島と竹島、石島(独島)'を管轄した欝陵郡守に下した行政指針として、大韓帝国が勅令を発布した後にも持続的に欝陵島と独島を実効支配していたことを示す証拠」とするのは、文献を恣意的に解釈した、歴史の捏造でしかない。
この「欝島郡節目」については、現在のところ全文が公開されておらず、全貌をうかがい知ることはできないが、これまでの報道を見る限り、韓国側が独島を実効支配していた証拠にはならない。「欝島郡節目」は、独島を実際に統治した記録ではなく、欝島郡に対する行政指針に過ぎないからである。それに1882年に欝陵島を踏査した李奎遠は、欝陵島の韓人達の生業を「造船・採●(くさかんむりの下に雨、その下にふるとり)・採鰒・採薬」と伝え、禹用鼎の『欝島記』も「本島●(くさかんむりの下に雨、その下にふるとり)税を主と為す」と報告している。この中に、独島での経済活動を反映したものが実証されれば別だが、李奎遠と禹用鼎は独島には渡っておらず、欝陵島の疆域についても周廻「一百四五十里」と認識していた。
それも「勅令第41号」の公布前日に議政府会議が開かれ、内部大臣の李乾夏は、10月22日付の「欝陵島を欝島と改称し島監を郡守に改正するに関する請議書」を議政の尹容善宛に提出するが、その中で欝陵島の産品は藷・大麦・黄豆・小麦とされ、欝陵島の開拓以来、「戸数が四百余家と為り、墾田が萬余斗落と為った」としている。「勅令第41号」が公布される直前の欝陵島の韓人は、農業を生業としていたのである。この事実は、同時代の『朝鮮通漁事情』(1895年)や『韓海通漁指針』(1903年刊)でも確認ができる。
それを韓国側では、「勅令第41号」の行政管轄区域に石島があることから、欝陵島に移住した全羅道の漁師が独島で漁労活動をし、その全羅道訛が石島となったと主張してきた。
しかし欝陵島の韓人が「リャンコ島」に渡るのは1904年頃からで、アシカ猟をする日本人に雇われたのがきっかけである。今日、欝陵島ではイカ漁をはじめ漁業が盛んなことから、「勅令第41号」の公布以前からイカ漁等が行なわれていたと思われがちだが、それは欝島郡となって以後である。大韓帝国時代に編纂された『韓国水産誌』(1910年刊)では、欝陵島の近くでイカの好漁場が発見されるのは1903年以後とし、欝陵島でイカ漁が始まった経緯についても、「住民は元と農業を主とし、漁は採藻のみに止まりしも、近頃は日本居住者に見習ひて中等以下の農民は悉く烏賊漁を営むに至れり」と伝えている。
韓国海洋水産開発院の柳美林女史は、1902年の「欝島郡節目」に「独島に対する直接的な言及はない」としたが、それは当然なのである。独島は直接的にも間接的にも、欝島郡とは関係がなかったからである。
その独島に関連して、新年早々、韓国のネット上には「大韓帝国が独島を実際に治めていた」(韓国日報)、「大韓帝国、欝陵島、独島の実際経営資料発見」(聯合ニュース)、「独島史料研究会、欝陵島行政指針初公開」(ニューシス)、「欝島郡行政指針発見、初代郡守●(ハイ衣のなべぶたの下に非)季周の後孫公開」(聯合ニュース報道資料)、「100年前の欝陵島の姿、初めて公開」(ディリアン)、「独島を管轄した欝島郡行政指針初公開」(朝鮮日報)等と、「欝島郡節目」の発見を伝える文字が躍った。
だがそれは「欝島郡節目」を恣意的に解釈したもので、柳美林女史が主張する、「大韓帝国が勅令を発布した後にも持続的に欝陵島と独島を実効支配していたことを示す証拠」とは無縁である。韓国側の竹島研究は、史料や文献を韓国流に解釈し、誤解と錯覚を楽しんでいるかのように見える。
しかし今回発掘された1902年の「欝島郡節目」に、竹島に関する記述がない事実は、大韓帝国の行政権が竹島にまで及んでいなかったことを示す証拠ともなる。今のところ「欝島郡節目」は、その一部が写真で紹介されているだけで全文が公開されていない。「勅令第41号」の石島が、今日の独島とは無関係であったことを実証するためにも、一日も早く全文を公開してもらいたいものである。独島が韓国領でなかったことを暗示する文献が発見され、今年は春から縁起が良い。
(下條正男)
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