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実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜

第29回

産経新聞の電子版を曲解した韓国の竹島研究の現状

 

 8月23日付の産経新聞電子版は、「竹島問題韓国の主張覆す古地図見つかる」と報じた。同電子版によると、神戸市立博物館所蔵の「江原道図」には、「子山」と表記した島が欝陵島の南側に描かれていることから、安龍福が1696年6月、鳥取藩に密航し、「松島(現在の竹島)は即ち子山島、此れ亦我が国の地(子山島である松島は朝鮮の領土)」とした子山島は、現在の竹島(韓国名、独島)ではなかった可能性がある、というのである。

事実、日韓の係争の地となった竹島は欝陵島の東南約90キロに位置し、今回発見された「江原道図」の「子山」は欝陵島の南側に描かれ、方角と位置が違っているからだ。

 ところが翌日の韓国の聯合ニュース電子版は、「独島江原道領表記、18世紀の地図、日本で発見」と報じ、独島を江原道の属島とした18世紀の古地図が日本で発見されたとして、産経新聞の報道とは全く逆の内容を伝えたのである。すると韓国のマスコミは、一斉に聯合ニュースに倣って「産経新聞の牽強付会」(ソウル新聞)、「‘独島朝鮮領,18世紀地図発見」(二ューシス)、「‘独島昔の名前を明記した18世紀前後の朝鮮地図発見」(韓国日報)、「‘18世紀、独島は江原道付属の領土,朝鮮古地図日本で発見」(フォーカス)、「独島は江原道の島,朝鮮時代の古地図発見」(少年朝鮮)と報じ、韓国のブログにも聯合ニュースの報道がそのまま転載されることになった。

 韓国では何故、事実が正確に伝えられないのであろうか。今回の場合は、聯合ニュースが産経新聞の報道を伝える際、専門家の意見として、保坂祐二氏の見解を採りいれていたからである。産経新聞では「江原道図」に描かれた子山島は、「現在の竹島と方角も距離も違う位置に記載されており、別の島の可能性が高い」とし、「安龍福が実際の竹島ではない島を自国領と主張したことを示す可能性が高い」と伝えていた。

 これに対し、聯合ニュースでは、この地図(「江原道図」)は、産経新聞の報道とは正反対に、「朝鮮が、独島を江原道に属す自国の領土と認識していたという、他の根拠として解釈ができる」とした保坂氏の意見を根拠に、産経新聞の報道とは全く逆の内容で配信していたのである。

 聯合ニュースはその理由として、「当時は、絵地図のため方向や距離が不正確で、朝鮮では経度と緯度の概念がなかった。19世紀になって正確な地図が現れたため、日本側の主張は、韓国の実状をよく知らない発言」とした保坂氏の意見を挙げていた。

 では「竹島問題韓国の主張覆す古地図見つかる」と報じた産経新聞は、「韓国の実状をよく知ら」ずに、記事にしていたのであろうか。

 今回、産経新聞が報じたポイントは、1696年6月、鳥取藩に密航し、鳥取藩から追放された安龍福が、帰還後、備辺司の取り調べに対し、「松島(現在の竹島)は即ち子山島、此れ亦我が国の地(子山島である松島は朝鮮の領土)」と供述した歴史的背景を明らかにした点にある。

 それは1696年5月、安龍福が最初に着岸した隠岐島でも、安龍福は持参した「八道之図」を根拠に、「松嶋ハ右同道(江原道)之内、子山ト申ス嶋御座候、是ヲ松嶋ト申由、是モ八道之図ニ記申候」(『元禄九年丙子朝鮮舟着岸一巻之覚書』)と語っていたからである。

 その点で、今回の産経新聞の報道は、竹島問題を研究する上で、大きなヒントを与えたことになるのである。本来、于山島と表記されるべきところ、「子山」と記された「八道之図」の存在が確認されたことで、安龍福が「松島は即ち子山島」と供述した理由が説明できるからだ。そのため「子山」と表記した古地図の発見は、安龍福が「子山島」と供述したことを理由に、欝陵島を母島とし独島(竹島)を「子の島」とする韓国側の主張にも、再考を迫るものとなった。于山島を「子山」と表記した「江原道図」が存在することで、欝陵島と竹島を母子関係とする根拠が、崩れたからである。

 この事実に対し、保坂氏は何もコメントしていないが、それは于山島を「子山」と表記した「江原道図」の存在がどのような意味を持つのか、「韓国の実状をよく知らない」からであろう。今回、産経新聞が取り上げた「江原道図」は、『東国輿地勝覧』所収の「江原道図」の系列を引くもので、欝陵島と于山島に対する地理的認識は十分ではなかった。

 その『東国輿地勝覧』に記載された「于山島」の位置が明確となるのは、1693年の安龍福による欝陵島での密漁事件以後で、于山島は欝陵島の東約2キロのチクトウ(竹嶼)のこととされたからである。その嚆矢と言えるのは、1711年の三陟営将朴錫昌による『欝陵島図形』である。そこではチクトウに「所謂于山島」と表記され、その後、『海東地図』、『廣輿図』、『輿地図』、『八道輿地図』、『地乗』等にも踏襲されている。

 それを保坂氏は、『東国輿地勝覧』に由来する「江原道図」に、子山島とあるとそれを無批判に竹島のことと決め付けたが、18世紀、于山島はすでに欝陵島の東約2キロに位置するチクトウのこととされていたのである。確かに保坂氏の言うように、「当時は、絵地図のため方向や距離が不正確で」あったかもしれないが、欝陵島に対する地理的認識は『欝陵島図形』の系統によって確立していたのである。それは1693年の安龍福による欝陵島での密漁事件を機に、朝鮮では三年に一回、捜討使を欝陵島に派遣することになり、その際、捜討使が提出した『欝陵島図形』の中には、所在が明らかでなかった于山島が「所謂于山島」として、明示されることになったからである。

 鳥取藩に密航した安龍福は、于山島を「子山」と表記した「江原道図」を基に「松島は即ち子山島」と供述したが、朝鮮では安龍福の密航事件を契機に、欝陵島の東2キロにあるチクトウを「所謂于山島」とし、その地理的認識は近代にまで及んだのである。

 それを保坂氏は、『東国輿地勝覧』所収の「江原道図」に由来する子山島を独島と決め付け、「朝鮮が、独島を江原道に属す自国の領土と認識していたという、他の根拠として解釈ができる」とするが、それは「韓国の実状をよく知らない」者の牽強付会の説である。

 安龍福が「松島は即ち子山島」と供述して以後、朝鮮半島には、チクトウを「所謂于山島」とする『欝陵島図形』の系統と、『東国輿地勝覧』から続く、もう一つの系統が並存することになった。その内、『東国輿地勝覧』に由来する于山島像は、『欝陵島図形』によって修正を余儀なくされ、その史料的価値を失ったのである。産経新聞の記事を歪曲して報じた聯合ニュースは、訂正記事を載せ、読者の誤解を解くべきである。

(下條正男)


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