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実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜

第4回

 東北アジア歴史財団制作の教育用映像の誤り

 

 2008年1月18日、韓国の「東北アジア歴史財団」は、歴史問題に関連する教育映像を制作し、公開した。その中には竹島問題も含まれ、専門家として洪ソンクン氏、内藤正中氏、金柄烈氏がインタビューに答えている。だが竹島が韓国領であったとする確証は示しておらず、三人の主張にも誤りがある。

 最初に登場する洪ソンクン氏。竹島が韓国領である証拠として『元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書』を挙げた。洪氏はこれを安龍福の調査報告書とし、「独島は江原道に所属していると明白に表記している」とした。しかし『元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書』を読めば、安龍福がそう供述していたというだけで、日本側が竹島を朝鮮領とした訳ではない。安龍福は鳥取藩でも相手にされず、加露灘から追放された事実がそれを物語っている。今日、韓国側がこれを安龍福の活躍とするのは、帰還後、朝鮮官憲側の取調を受けた安龍福の供述が、『粛宗実録』等に記録されているためである。だが安龍福の供述は、同じ『粛宗実録』や『漂人領来謄録』でも信憑性が疑われ、日本側の史料と照合すれば偽証であった。

 さらに洪氏は、1808年の政府官撰文書の『萬機要覧』に、「于山島が独島として明記されている」としたが、洪氏は『萬機要覧』の原文を見ていないようである。洪氏が論拠とする記事は、文献備考に曰く」で始まり、『東国文献備考』(1770年成立)からの孫引きである。『東国文献備考』の記事は、申景濬が「輿地考」を編纂する際、自著の『彊界誌』を底本とし、『輿地志』の文言を「于山島は独島」と改竄したものである。洪氏が挙げた『萬機要覧』は、申景濬が改竄した文献の孫引きで、于山島が独島であった証拠にはならない。

 同じことは内藤正中氏にも言える。内藤氏は、空島政策の欝陵島に渡ったのは、空き家があるからといって入り込むのは、「泥棒の論理」とした。だが鳥取藩米子の大谷家の船頭等が安龍福と朴於屯を連れ帰った時点では、江戸幕府も欝陵島を日本領と認識していた。

 しかし対馬藩が幕命を受けて朝鮮側と交渉する内、藩論は欝陵島を日本領と主張する一派と、欝陵島は朝鮮領とする一派に二分した。日本領とする者は、80余年の実効支配を論拠とした。だが『東国輿地勝覧』を根拠に、欝陵島を朝鮮領として、交渉中断を申し出たのは対馬藩である。これを「泥棒の論理」とするのは、偽りの歴史を捏造するものである。

 最後は金柄烈氏である。金氏は竹島の島根県編入を侵略とした。金氏は「主人のいない土地のみ編入と言えるが、竹島は韓国領であった」と言う。その根拠として安龍福の活躍を挙げ、「勅令第四一号」の中の石島を独島とした。だが安龍福の活躍には歴史的根拠がない。さらに韓国側の『欝陵島図形』、『欝陵島外図』、『大韓全図』等には、今日の竹島が描かれておらず、竹島は領域外にあった。確かに竹島は「無主の地」であった。金氏が指摘する通り、日本は主人のいない土地を編入しており、国際法上も正当性があったのである。

 韓国側は1月18日、教育映像を公開した。それは公海上に「李承晩ライン」を引き、竹島を侵略した日と同じ1月18日であった。だが問題は、1952年の「李承晩ライン」の時にも根拠がなかったように、その56年後の「東北アジア歴史財団」の教育映像にも、歴史的根拠がないことである。内藤正中氏流に言えば、韓国側の主張は「泥棒の論理」である。

(下條正男)


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