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実事求是~日韓のトゲ、竹島問題を考える~

第63回

尖閣諸島に関する歴史戦の論じ方(上)


 2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻によって、国際情勢も大きく変わった。

その渦中で、6月中旬、ロシアと中国の艦隊がそれぞれ日本列島を周回した。ロシアのウクライナ侵攻を批判する日本に対し、牽制するための威嚇行動である。これに中国が加担したのは、これを尖閣侵奪と台湾有事に結びつけ、極東に軍事的緊張をもたらそうとしているからであろう。

 だが歴史的事実として、尖閣諸島は中国領ではなかった。その尖閣諸島を「核心的利益」として、虎視眈々と狙っているのが国連安保理の常任理事国である中華人民共和国である。現在、尖閣諸島周辺海域では中国海警局の艦艇による挑発行為が常態化し、東シナ海では緊張が高まっている。その契機となったのが、2012年9月11日の野田政権による尖閣諸島三島の国有化である。

 中国の楊潔●(ヤン・チエチー)外交部長(当時)は9月28日、その対抗措置として第67回国連総会の一般討論で「日本は尖閣諸島を窃取した」と演説し、『ワシントンポスト』や『ニューヨークタイムズ』等の米国の主要メディアには、「尖閣諸島は中国に属す」とする意見広告を掲載した。

 それも中国政府による「現状の変更」と「領土の拡大」戦略は、用意周到に準備されていた。楊潔●外交部長による国連総会での演説に先立ち、9月20日には中国の国家海洋情報センターが小冊子『釣魚島‐中国的固有領土』を刊行し、同25日、中国の国務院報道弁公室が「釣魚島は中国固有の領土である」と題した白書を公開していたからだ。

 それから10年、今や尖閣諸島周辺では中国海警局の公船が領海侵犯を繰り返し、日本の海上保安庁の巡視船との間では緊迫した状態が続いている。中国海警局の公船が日本漁船を執拗に追尾する事案が、発生しているからだ。

 日本側としては、この現状に対して、どのように対処すればよいのだろうか。これは竹島を不法占拠する韓国側とも関連させながら、考えてみる必要がある。そこで「実事求是」では、尖閣諸島に対する従来の「論じ方」について、検証を試みることにした。(●はたけかんむりにがんだれ、虎)

 

1. 尖閣諸島を巡る日中の論点の違い

 その理由は単純である。日本と中国とでは、尖閣諸島に対する認識が異なり、争点が一致しないまま、一方的に自らの主張を繰り返しているからである。「日本は尖閣諸島を窃取した」とする中国側に対して、領土・主権対策企画調整室のホームページ(注1)では、次のような姿勢を示している。

 

尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らかであり、現に我が国はこれを有効に支配しています。したがって、尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しません。

日本は領土を保全するために毅然としてかつ冷静に対応していきます。

日本は国際法の遵守を通じた地域の平和と安定の確立を求めています。

 

 だが現実問題として、中国海警局の艦艇が公然と領海侵犯を繰り返し、日本の海上保安庁の巡視船が警告しても、中国の艦艇は馬耳東風と聞き流し、平然と航行を続けている。この時に尖閣諸島を「日本固有の領土」として、「領土問題はそもそも存在しません」とすれば中国側はどのように対応するであろうか。

 「領土問題はそもそも存在しません」とする日本としては、中国側による挑発行為がエスカレートしても、「遺憾の意」を示す程度に止まらざるを得ないからだ。これは日本側をどんなに挑発しても、安心して威嚇することができる、ということである。また逆に日本側が挑発に乗れば、その時は反撃の口実にできる。いずれにしても中国側は、はじめから優位の立場にあるのである。逆に言えば、日本は「領土問題はそもそも存在しません」としたことで、自縄自縛してしまったのである。

 そこで中国側としては、尖閣諸島の周辺海域で挑発を繰り返し、一触即発の事態を誘発すべく、日本側を追い込んでいけばよいのである。

 この中国側の一連の動きを、評論家諸氏は中国による「サラミスライス」戦術と称して警戒感を煽るが、その状況を生み出したのは他でもない、日本自身である。これは従来の日本側の「論じ方」には、検証すべき点があるということである。

 「領土問題はそもそも存在しません」とする日本側では、「国際法」に依拠して、1895年の尖閣諸島の領有を正当化することに重点を置いてきた。そのため日本では、「日本は尖閣諸島を窃取した」とする中国側との衝突は極力避け、「遺憾の意」を示すことに止めたのであろう。

 これは尖閣諸島を巡って、「国際法」で対処しようとする日本側と、「日本は尖閣諸島を窃取した」として「歴史問題」と捉える中国側とでは、「論じ方」が違っていたということである。そのため「歴史戦」にも至らず、一方的に自らの主張を繰り返すことになるのである。

 従って国際法中心の「論じ方」には、特徴があった。それを象徴的に示しているのが、内閣官房によって平成26年度(2014年)からはじめられた尖閣諸島と沖縄に関する委託調査事業である。その平成31年度報告書の『沖縄県における尖閣諸島に関する調査報告書』では、調査目的と調査対象が次のように記されている。

 

【対象資料】尖閣諸島に関する事実を示す資料を可能な限り収集することを目的として、(1)1895年の領土編入以降、日本が尖閣諸島に行政権を行使していたことを示す資料、(2)沖縄返還までの間の琉球政府と尖閣諸島との関わりを示す資料、(3)終戦から沖縄返還までの米国民政府関係資料を中心に調査を行い、(4)領土編入以前の日本と尖閣諸島との関わりを示す資料、(5)諸外国の尖閣諸島に対する認識が窺える資料についても必要に応じて調査を行った。

【対象年代】対象年代としては、沖縄県が尖閣諸島の調査を実施した1885年(明治18年)以降、沖縄返還までを中心とし、必要に応じてその前後の年代も調査対象とした。

 

 内閣官房が実施した委託調査事業では、尖閣諸島が領土編入された明治28年(1895年)前後を調査対象とし、「無主の地」や「先占の法理」等、国際法の法理に則って資料の収集が行われた。その目的は、収集した資料によって、1895年の尖閣諸島の領土編入の正当性を証明しようというのであろう。

 だがその内閣官房による委託調査が始まる二年ほど前に、すでに中国側では、中国国家海洋情報センターが小冊子『釣魚島‐中国的固有領土』(2012年刊)を出版し、次のような論理によって、尖閣諸島(釣魚島及びその付属島嶼)を「中国固有の領土」としていたのである。

 

 1.釣魚島は中国固有の領土である。

 2.日本は釣魚島を窃取した。

 3.米日が釣魚島をひそかに授受したことは不法かつ無効である。

 4.釣魚島の主権に対する日本の主張にはまったく根拠がない。

 5.中国は釣魚島の主権を守るために断固として闘う。

 

 その『釣魚島‐中国的固有領土』を見ると、中国側でも「釣魚島は中国固有の領土である」として、尖閣諸島を「固有の領土」としていた。これは尖閣諸島を「日本固有の領土」とする日本と同様の主張である。日本と中国は、「国際法」と「歴史問題」というように、その立脚点を異にするが、尖閣諸島を「固有の領土」とする点では一致しているのである。

 だが日本側では、尖閣諸島を「中国固有の領土」とする中国側の主張には、あまり違和感を抱くことはなかったようである。この「固有の領土」という概念は、国際法的には市民権を得ていないそうだが、尖閣諸島の「歴史的権原」を明らかにすることで、日本側には中国側の主張に反論することもできたのである。

 歴史的事実として、「無主の地」であった尖閣諸島を日本が「先占」し、日本領に編入したのは明治28年(1895年)である。従って、1970年代になって尖閣諸島の領有を主張した中国側には、最初から「中国固有の領土」とする資格がないのである。尖閣諸島は、すでにその時点で日本領となっており、「無主の地」ではなかったからだ。

 中国国家海洋情報センターが小冊子『釣魚島‐中国的固有領土』を刊行して、「尖閣諸島は中国の固有領土である」とした2012年の時点で、「国際法」を重視する日本には、根拠のない中国側の主張を論断することもできたのである。

 だが日本政府には、中国側の「固有の領土」論に反応した痕跡が見られない。中国側が『釣魚島‐中国的固有領土』を刊行した二年後、内閣官房では、平成26年度報告書の『尖閣諸島に関する資料の沖縄県における調査報告書』を公開し、平成31年度報告書の『尖閣諸島に関する資料調査報告書』までの間に6度の委託調査事業を実施している。だがそこでは論理的に「無主の地」や「先占の法理」を論拠としながら、中国側の「固有の領土」論についての言及がなされていない。

 それも中国国家海洋情報センターの『釣魚島‐中国的固有領土』では、陳侃の『使琉球録』(1534年)や徐葆光の『中山傳信録』(1719年)等を根拠に、尖閣諸島は「無主の地」ではなく、明清時代から中国側が「先占」していたとしていたのである。

 この事実に内閣官房の『尖閣諸島に関する資料調査報告書』が応えていないのは、内閣官房による委託調査目的が、尖閣諸島の日本領編入がいかに国際法的に正当だったのかを示すことに、あったからであろう。その方針は外務省も同様で、外務省のホームページでは次のように記されている。

 

尖閣諸島は、歴史的にも国際法上も一貫して日本の領土です。1885年以降、政府が沖縄県当局などを通じて再三にわたり現地調査を行った結果、尖閣諸島が単に無人島であるだけでなく、清国(現在の中国)を始め、どの国の支配も及ばないことを慎重に確認しました。その上で日本政府は1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入したのです。この行為は、国際法上、正当に領有権を取得するためのやり方に合致しています。

 

 だがこの説明では、十分とは言えない。説明文では「1885年以降、政府が沖縄県当局などを通じて再三にわたり現地調査を行った」として、「清国(現在の中国)を始め、どの国の支配も及ばないことを慎重に確認」したとしているが、当時の政府と沖縄県当局は、尖閣諸島と清朝との関係を疑っていたからである。

 それを示しているのが、明治18年9月22日付の沖縄県令西村捨三による「久米赤島外二島取調ノ儀ニ付上申」(注2)である。沖縄県令の西村捨三が中央政府に宛てた上申書では、「中山傳信録ニ記載セル釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼ト同一ナルモノニ之ナキカノ疑ナキ能ハス」としているからだ。沖縄県令の西村捨三は、清朝の徐葆光の『中山傳信録』(1719年)に釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼の島名が記載されていることから、清国と尖閣諸島との関係を懸念していたのである。

 この西村捨三の上申書に対して、当時の太政官上申案では、「右諸島ノ義ハ中山傳信録ニ記載セル島嶼ト同一ノ如ク候ヘ共、只針路ノ方向ヲ取リタル迄ニテ、別ニ清国所属ノ証跡ハ少シモ相見ヘ申サス」(注3)との認識を示していた。

 それを外務省のホームページでは、「どの国の支配も及ばないことを慎重に確認」したとしているが、その解釈には若干の飛躍がある。中央政府は、『中山傳信録』の記述を「只針路ノ方向ヲ取リタル迄」とはしているが、「別ニ清国所属ノ証跡ハ少シモ相見ヘ申サス」とする論拠については、明言していないからだ(注4)。尖閣諸島は確かに無人島に違いなかったが、『中山傳信録』の記述を「只針路ノ方向ヲ取リタル迄」と解釈して、確たる証拠を示すことなく、別に清国所属の証跡は少しも見えていない、とするのは無理がある。

 その無理な解釈は、これに続く文言の中にもある。それは「1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行って、正式に日本の領土に編入したのです」とした部分である。

 1895年1月14日の閣議決定では、「同島ノ儀ハ沖縄縣ノ所轄ト認ムルヲ以テ標杭建設ノ儀、仝縣知事上申ノ通許可スヘシトノ件ハ別ニ差支モ無之ニ付、請議ノ通ニテ然ルヘシ」として、1月21日の指令案では、「標杭建設ニ関スル件請議ノ通」とされていいた。

 だが実際に尖閣諸島の各島に標杭が建てられたのは戦後、1969年である。この標杭建設の一件は、尖閣諸島と同じ時期に領有が決まった大東島と比べれば分かりやすい。沖縄本島の東側に位置する大東島は、領有とともに標杭が建てられたからである。

 では尖閣諸島の標杭建設は何故、遅れたのか。それに関しては、その十年前の明治18年12月5日付の「秘第一二八号ノ内無人島へ国標建設之儀ニ付内申」(注5)が、参考になる。これは内務卿の山縣有朋が、太政大臣の三條實美に対し、「国標建設ノ儀ハ清国ニ交渉シ彼是都合モコレアリ候ニ付、目下見合セ候方可然ト相考候間、外務卿ト協議」する、と内申したものである。この時の内務卿山縣有朋は、清国との関係もあるので、「目下見合セ候方可然ト相考候」として、今は、見合わせるべきだと考えているので、外務卿と協議する旨を内申していたのである。

 これに対して、「指令案」では「目下建設ヲ要セザル儀ト可心得事」とされ、今のところ建設する必要がない、と指示がなされていたのである。当時、外務省は、清国との関係に神経を使い、慎重になっていたからである。外務省官吏のメモには、清国の動向を伝えて「不要ノコンプリケーションヲ避クルノ好政策ナルベシ」とあった(注6)。この事実は、「清国(現在の中国)を始め、どの国の支配も及ばないことを慎重に確認しました」とするような状況にはなかった、ということである。

 それが10年後、標杭建設に関して、「明治二十八年一月二十一日閣議決定ヲ経テ内務外務両大臣ヨリ曩ニ上申中ノ標杭建設ノ件聞届ク旨沖縄縣知事へ指令アリタリ」(注7)と指示がなされたが、その時は、日清戦争の最中であった。明治27年(1894年)11月には日本軍が遼東半島の旅順港を占領するなどして、戦況は日本側に有利に展開していたことも関係したのであろう。

 だが実際に標杭が尖閣諸島に建立されたのはそれから74年後、1969年のことである。それに日本側が、「尖閣諸島が単に無人島であるだけでなく、清国(現在の中国)を始め、どの国の支配も及ばないこと」が確認できたのは、昭和40年代になってからである。奥原敏雄氏によって、尖閣諸島が台湾の一部でなかった事実が明らかにされたからだ。奥原敏雄氏は『台湾府志』の記述を根拠に、台湾の疆域は鶏籠(基隆)までだとして、尖閣諸島は台湾の付属島嶼ではない、としたのである。

 その事実については、平成28年度報告書の『尖閣諸島に関する資料調査報告書』でも、「『台湾府志』記載の国境線の外に尖閣が位置することについては、昭和40年代から奥原敏雄氏が論じており、既に定説となっている」としている。

 だが平成26年度以来、内閣官房では前後六回の委託調査事業を実施したが、そこでは「日本は釣魚島を窃取した」等とする中国側の主張には言及していない。それも尖閣諸島が日本領に編入される当時、日本国内では「中山傳信録ニ記載セル釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼ト同一ナルモノニ之ナキカノ疑ナキ能ハス」といった懸念があった。そのため中国側の『釣魚島‐中国的固有領土』では、逆に徐葆光の『中山傳信録』(1719年)を論拠として、尖閣諸島は「無主の地」ではなく、中国が「先占」していた、としたのである(注8)。

 中国側がこのように主張した二年後、内閣官房による尖閣諸島に関する資料の委託調査事業がはじまるが、そこでは「日本は釣魚島を窃取した」とする中国側の争点とは直接、関係のない資料の収集が行われていた。内閣官房の委託調査事業で、沖縄県と尖閣諸島に関する資料収集が行われていた時、中国側では日本政府と同じく、尖閣諸島は「無主の地」ではなく、中国が「先占」した「中国の固有領土」だとする主張がなされていたのである。

 これに対して、内閣官房の委託調査事業は、「尖閣諸島に関する事実を示す資料を可能な限り収集することを目的」に、進められていた。だが中国側の争点とは没交渉の資料によって、「領土を保全するために毅然としてかつ冷静に対応」することができたのだろうか。その「論じ方」の可否は、尖閣諸島を国有化して以後の中国側の対応が示唆している。

 

注1.領土・主権対策企画調整室のHP、「尖閣諸島」の「日本の基本的な立場」。

https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/index.html(外部サイト)

(2022年7月17日最終閲覧)

日本外務省のHP、「日本の領土をめぐる情勢」の「尖閣諸島について」。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/index.html(外部サイト)

(2022年7月17日最終閲覧)

注2.『日本外交文書』18巻、事項二三雑件、一、版図関係雑件、「付属書二」573頁

注3.同、「付属書一」、573頁

注4.同、「付記」、「久米赤島、久場島及釣魚島版図編入経緯」574頁

注5.「沖縄県ト清国福州トノ間ニ散在スル無人島ヘ国標建設ノ件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A03022910000の2

注6.「沖縄県久米赤島、久場島、魚釣島ヘ国標建設ノ件明治十八年十月」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03041152300の3

 コンプリケーション(complication)。「紛糾」、「厄介事」等の意味。

注7.『日本外交文書』18巻、「付記」、「久米赤島、久場島及釣魚島版図編入経緯」574頁。

注8.『釣魚島‐中国的固有領土』(中国語版)、6頁

(下條正男)


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