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実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜

第40回

語源から見るこの3月9日

 2015年3月9日、韓国のネット上に「語源で見る独島の領有権」と題した記事が公開され、しばらく注目を集めていた。この記事は(社)全国漢字教育推進総連合会理事長の陳泰夏氏(仁済大学校碩座教授)が『経済風月』(第187号)に発表したものを、ネット上に掲載したものという。

 この「語源で見る独島の領有権」に関心を持ったのは、タイトルからして摩訶不思議なものだったからである。そして実際に記事を読んでみると、陳泰夏氏は、語源から独島と対馬島が韓国領であることを立証ができると、真面目に思い込んでいるのである。これには二度驚かされてしまった。一般的に、竹島の領有権問題を論ずる際は、その歴史的権原を明らかにし、その上で、語源についても検討するというのが普通だからである。

 それに独島の呼称については、韓国側では六世紀以来、于山島、三峰島、可支島等と呼ばれてきたとしている。陳泰夏氏は、それら既存の研究には全く触れず、冒頭から、次のように語っているのである。

 「近来、日本政府の独島に対する常套的な妄言で、我国の各界各層の専門家達が紙上を通じて、独島の領有権を主張する文章を書いているが、何よりも重要なのは独島の名称を考察して、早い時代から我国の領土であったことを明かにすることだ」

 ここには、過去の歴史問題を論ずる際の、韓国的な発想の特徴がよく出ている。それは日本政府の主張を「独島に対する常套的な妄言」と決め付け、「独島は韓国領」とする前提で、関連する史料を解釈するという手法だからである。陳泰夏氏の場合は、独島の語源を明らかにすることで、「独島は韓国領」を実証できるというのである。

 では陳泰夏氏が展開する論理とは、どのようなものなのか、しばらく彼の説を紹介することにした。

 陳泰夏氏は云う。「我国の地名の中では、文字で記録される以前から口伝で伝えられた後、文献に記録されるものが少なくない」。「単純な我国の固有語で呼んできたものが、文献に記録される時に、漢字語で書く場合が多い」。

 これは一般論である。独島の場合にそれが応用できるという保証はどこにもない。それは韓国側では、独島は歴史的に于山島、三峰島等と漢字語で表記されていたとし、その于山島と三峰島は、文献にも記録されているからである。独島の語源を探るのであれば、于山島等と独島の関係を明らかにするのが順序である。それに独島の呼称の出現は、1903年頃とされている。韓国側が主張する于山島と三峰島との関係を無視して、「我国の固有語で呼んできたものが」独島となったとは、言えないのである。さらに陳泰夏氏は、独島と于山島、三峰島等との関係には触れず、次のように論理を飛躍させているのである。

 「このように『独島』も本来的に寂しい島として命名されたのではなく、早くから我国の船乗り達がこの島を通り過ぎ、見たままに「石島」と名付けていた。なぜなら樹木のない岩礁だけがあるために付けた名前である」。石の古語と「方言を探ると中南部の方言の大部分が『トク(石)』を使っている。独島の位置を見ると慶尚道、全羅道の船乗りによって、早くから『石島』と呼ばれることになったことが知れる。このように長い間、口伝され『トク島』が、大韓帝国時代に漢字語に換わり、『石島』と記録されたのだ。後に『石島』を発音に従って借字表記し『独島』と記録されたのだ」

 だが「慶尚道、全羅道の船乗りによって、早くから『石島』と呼ばれることになったことが知れる」とする陳泰夏氏は、その根拠を示していない。これは陳泰夏氏の思い付きに過ぎない。独島の名称が付くのは、20世紀に入って、日本の業者に雇用された鬱陵島の島民が、竹島周辺で漁撈活動をするようになってからである。陳泰夏氏は論拠を示すことなく、「早くから」独島は「石島」と名付けられていた、と前提を捏造してしまったのである。

 陳泰夏氏は次に、その捏造した前提に従って、日本の竹島についても以下のように自説を開陳するのである。

 「日本では独島または石島を何故、『竹島』と呼ぶのか重要な問題である。『竹』の原産地は東南アジア地域で、少しずつ北上し、中国を通じて日本と韓国に伝播され、『竹』に対する中国の南方音(潮州音・福州音)等が日本に渡って『タケ』となった」。「このように『竹』字の発音の変遷から見て、我国の船乗り達が早くから『トクソン』と呼んでいたものを日本の船乗り達が聞き、口々に伝承する過程で『トクソン』が『トケシマ』>『タケシマ』となり、再び借音表記する過程で『竹島』となったことが知れる」。「『石島』の自然環境やその形態から見て、『竹島』と称する理由は全くない。日本ではどんなに漢字で『竹島』と書いても、実は韓国語の『トクソン』を借字表記したものに過ぎないことは、明らかである」

 この陳泰夏氏の論理展開は、韓国側が歴史問題を論ずる際に、しばしば見られるスタイルである。韓国側では、日本を侵略国家と決め付けると、後はそれを証明するために、思いつく文献や古地図を列挙して、それで実証ができたとしているからである。これを普通、牽強付会という。陳泰夏氏の「語源で見る独島の領有権」は、その典型的といえる。

 陳泰夏氏は日本の竹島の語源は、韓国語の石島にあるとするが、江戸時代に松島と呼ばれていた現在の竹島が、正式に竹島となるのは1905年、閣議決定によって「竹島」と命名されてからである。韓国の「船乗り達が早くから『トクソン』と呼んでいたものを日本の船乗り達が聞き」、竹島としたのではない。竹島問題に関する知見があれば、「日本ではどんなに漢字で『竹島』と書いても、実は韓国語の『トクソン』を借字表記したものに過ぎない」といった結論には、至らないのである。

 竹島問題に限らず、日韓の間に「歴史認識問題」が浮上するのは、韓国側が歴史事実を自らの「歴史認識」で解釈し、一方的に発言を繰り返すからである。1900年の『勅令第41号』を根拠に、陳泰夏氏が「長い間、口伝され『トク島』が、大韓帝国時代に漢字語に換わり、『石島』と記録されたのだ。後に『石島』を発音に従って借字表記し『独島』と記録されたのだ」とするのも、その一つである。

 だが『勅令第41号』される4ヶ月ほど前、日韓では共同で欝陵島調査を行っていた。その際、鬱陵島の疆域は鬱陵島一島に限られ、竹島(独島)は含まれていなかった。それは1882年、李奎遠の『欝陵島外図』以来、欝陵島には属島として、竹島(欝陵島の東約2キロにあるチクトウ)と島項(観音島)があるとされていたからである。1909年の『韓国水産誌』では、島項は「鼠項島」とされている。

 しかしどうした訳か、韓国側ではこの鼠項島に対して、ほとんど関心を示していない。島項や鼠項島は、陳泰夏氏が言う、「単純な我国の固有語で呼んできたものが文献に記録される時に、漢字語で書く場合が多い」とする例に該当するからである。

 1882年、欝陵島検察使の李奎遠が欝陵島を踏査した際、島の東北端にある小島を島項(ソモク)としたのは、その姿が「臥牛」のようで、人々が「島項」と称していたからである。この「島項」を陳泰夏氏が提唱する固有語として読むと、「牛のうなじ」(牛(韓国語では「ソ」と読み、項は「モク」と読み、「うなじ」の意)と読めるのである。これが1909年の『韓国水産誌』等では、鼠項島と表記されている。ではこの固有語を漢字語に直すと、どうなるのであろうか。(社)全国漢字教育推進総連合会理事長の陳泰夏氏であればご存じと思うが、漢字文化圏には、伝統的に発音表示法として、「反切」というものがあった。この「鼠項」(ソモク)を「反切」として読むと、「鼠項」はソク(石)となり、「鼠項」島は「石」島となるのである。1900年10月25日の『勅令第41号』で、欝島郡の行政区域とされた石島は、島項に由来する観音島のことで、独島ではなかったのである。

 陳泰夏氏は冒頭、「何よりも重要なのは独島の名称を考察して、早い時代から我国の領土であったことを明かにすることだ」としていた。だがその試みは成功しなかった。もともと歴史的事実を無視して、語源だけで竹島問題を論ずるところに無理があったのである。

 これは陳泰夏氏に限ったことではないが、韓国側の歴史研究には、最初から結論が決まっていて、文献批判を怠った史料を羅列しては、それを根拠に実証ができたとする傾向がある。それでは歴史の事実に迫ることはできない。韓国との歴史問題が解決しない理由もここにある。歴史研究で重要なことは、後世から見た「歴史認識」ではなく、歴史の事実である。その際は、陳泰夏氏の論理展開に見られるような、最初に「結論ありき」の演繹的な研究は、学問としての歴史研究とは無縁である。

 ついでながら、陳泰夏氏は、対馬島についても発言しているので、その誤りを指摘しておきたい。それは近年、陳泰夏氏が主張するような、次のような発言が拡散し始めているからである。

 「日本人が『独島』を自国の領土と妄言する時は」、「我々は一次元高く『対馬島』は我が領土と応ずるべきで、彼等の妄言を根本的に阻むことができる」。

 だが竹島問題に対する語源からのアプローチは、成功しなかった。これは対馬島に対する陳泰夏氏の語源的解釈にも、同様の誤りが潜んでいるということである。事実、陳泰夏氏は、次のような珍説を主張しているからである。

 「『対馬島』もまた我国の人々が二つの島の形態通り、『二つの島』と呼んできたもので、日本人達は韓国語の「トゥルミ(鶴)」を「ツル」と発音するように、『ツシマ』と呼んでいる。日本語で『対馬』を「ツ」と読む根拠が全くないので、韓国語の『二つの島』が『ツシマ』となったことは疑う余地がない。さらに壬辰倭乱(文禄の役、下條)の時の使臣の記録を見ると、当時、対馬島では韓国語が通じ、女人は全て韓服を着ていたという記録がある。このように対馬島(二つの島)は歴史的に記録や、名称から見て、我国の昔の領土であったことは間違いがない。壬乱(文禄の役)以後、強制によって奪われたのだ」。

 韓国側では近年、竹島問題を前面に出す日本側に対抗するため、対馬島を韓国の故地とする主張が目立つようになった。陳泰夏氏の主張はその典型である。だがそれらはいずれも歴史を無視した「詭弁」でしかない。

 先ず歴史的事実からいうと、対馬島が文献に登場する早い例は、『三国志』の「魏志倭人伝」である。そこには韓国を出て、「始めて一海千余里を度(渡)り対馬国に至る」とある。百衲本の『三国志』では対馬国が対海国となっているが、『翰苑』所収の『魏略』では正しく「対馬国」としている。対馬島という名称は、日本が倭とされていた時代、すでに中国側で使われていたのである。陳泰夏氏が主張する、「『対馬島』もまた我国の人々が二つの島の形態通り、『二つの島』と呼んできたもの」という説には、根拠がないのである。「対馬島」の名称は中国の文献から始まり、それを日本側でツシマと呼称するようになったものだからである。そのため中世の日本でも「対馬島」の読み方が問題となっていた。『日本書紀』の注釈書である『釈日本紀』(鎌倉時代末期の成立)の「秘訓一」では、「私記」を引用して、次のように記されているからである。


問「古事記を案ずるに、ただ津島という。今これを対馬島というはいかん」。

答「今俗、対馬を読んで津と為す。島の読み字の如し。而して今人ツシマノシマとこれを読むものは非なり」


 これは対馬島という名称が中国の文献に登場し、それを日本側で読む際は、『古事記』等で「津島」と表記されていることに従って、「ツシマ」と呼称するようになった、ということを示している。陳泰夏氏が主張するように、「日本語で『対馬』を「ツ」と読む根拠が全くない」とした説は、正しくないのである。陳泰夏氏はさらに続けて、「韓国語の『二つの島』が『ツシマ』となったことは疑う余地がない」と断言しているが、それは根も葉もない妄言である。

 この「実事求是」で陳泰夏氏の「語源で見る独島の領有権」を取り上げたのは、陳泰夏氏個人を攻撃することが目的ではない。日韓の国交正常化交渉の最中に起こった竹島問題は、今も日韓関係を複雑にする要因となっているからだ。それも問題は、竹島問題そのものではなく、竹島問題の取り扱い方にある。韓国側では韓国特有の「歴史認識」で過去の歴史を論ずるが、それは陳泰夏氏の「語源で見る独島の領有権」が象徴的に示しているように、歴史事実や文献を無視して、今の自分たちの感情で「過去」を語るものである。そのため「我々は一次元高く『対馬島』は我が領土と応ずるべきで、彼等の妄言を根本的に阻むことができる」といった発想にも繋がっていくのである。歴史の事実と「歴史認識」は、全く違う。この違いを陳泰夏氏の「語源で見る独島の領有権」は、我々に教えてくれたのである。

(下條正男)


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