実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜
第39回
『実測日清韓軍用精図』について
2015年2月25日、韓国のネット上には「独島、韓国領立証の古地図公開」と題して、竹島問題に関連する記事が掲載された。ホヤ地理博物館のヤン・ジェリョン館長が、明治28年(1895年)に吉倉清次郎が刊行した『実測日清韓軍用精図』を根拠に、日本の古地図が竹島を韓国領としていた、としたのである。
【『江原道日報』(2015年2月25日付電子版)が報じた『実測日清韓軍用精図』部分】
『実測日清韓軍用精図』には「松島」が描かれ、その外側に引かれた破線を「国界」としているのが理由である。ヤン・ジェリョン館長はその「松島」を現在の竹島とみなし、松島の右側に引かれた「国界」を根拠として、日本の古地図が竹島を韓国領とした証拠としたのである。
だがこの『実測日清韓軍用精図』は、すでに2006年10月25日付(2009年10月7日記事修正)の『東亜日報』(電子版)でも「1895年、日本軍地図にも独島を韓国領と表記」と報じられ、その第一発見者とされる保坂祐二氏が次のように語っている。
「日本の軍部が10余年間調査した内容を基に、民間人の吉倉清次郎が1895年に編纂した。鬱陵島(竹島と表記)と独島(松島と表記)が朝鮮の領海に位置している。はっきりと分けられた朝鮮の国境線の中に独島が含まれている地図は、今回、はじめて公開された。日本が独島を島根県に編入する1905年以前の正確な地図が公開され、日本政府の主張が偽りであることを示している。」
それを今回は、ホヤ地理博物館のヤン・ジェリョン館長が、「韓国領独島を立証する国内唯一の古地図」として、『実測日清韓軍用精図』を公開したのである。
だが『実測日清韓軍用精図』については、ヤン・ジェリョン館長や保坂祐二氏のように、安易に結論を下すことはできない。当時の地図及び海図に登場する「松島」は、後述するように近世以来の竹島の別称ではなく、鬱陵島のことを指していたからだ。その遠因は、シーボルトが1840年に作製した『日本全図』にある。『日本全図』では、従来から海図等に記されていたアルゴノート島とダジュレー島に、それぞれ竹島と松島と表記したことで、その後、欝陵島(ダジュレー島)は松島と呼称されることになったからである。それも1859年版と1863年版の英国海軍の海図では、アルゴノート島に由来する「竹島」を破線で示し、1863年度版では「竹島」にPD(PositionDoubtful)と付記している。これは当時、「竹島」が、所在が不確かな「疑存島」とされていたからである。
それをヤン・ジェリョン氏は、『実測日清韓軍用精図』に「松島」とあると、それを竹島と決め付け、『実測日清韓軍用精図』の中の「竹島」を鬱陵島としてしまったのである。近代日本で作成された海図や地図の多くは、英国海軍の海図等を基にしている。その中の「竹島」には、PD(PositionDoubtful)と注記がなされていたのである。
【1863年、英国海軍海図『日本‐日本、九州、四国及び韓国一部』部分。(李鎮明氏の改訂版『独島、地理上の再発見』(2005年)より)】
それが1876年度版の海図からはPD(PositionDoubtful)と注記された竹島が消え、フランスの捕鯨船が1849年に発見したリアンコールト島(後の竹島)と松島だけが描かれている。従って、ヤン・ジェリョン館長や保坂祐二氏のように、『実測日清韓軍用精図』の見たままを解釈し、「松島」を竹島とすることは無理がある。それは19世紀末になると、欝陵島を「松島」とも称するようになり、その名称が錯綜としていたからである。
そこで官命を受けた外務省嘱託の北澤正誠が、1881年に『竹島考証』をまとめ、竹島(鬱陵島)の来歴を明かにしたのである。その『竹島考証』によって、海図等の「松島」は欝陵島であったことが明らかとなり、以後、松島は欝陵島の呼称となるのである。
事実、1882年、鬱陵島に渡った鬱陵島検察使の李奎遠は、現地で遭遇した日本人から、日本では鬱陵島を「皆、松島と称す」と伝えられている。それも日本人が欝陵島を松島としたのは、1882年よりも早い時期からであった。鬱陵島検察使の李奎遠は、欝陵島で遭った日本人から、欝陵島の南浦に「明治二年二月十三日岩崎忠照建之」と書かれた標木があることを聞き出し、現地で「日本国松島槻谷」と書かれた標木を確認している。その標木は長さ六尺、広さ一尺で、長斫浦と桶邱尾の間にある海辺の石逕に立てられていた。
これらの事実は、李奎遠の『鬱陵島検察日記』から程遠くない時期に作成された『実測日清韓軍用精図』の「松島」についても、軽々に竹島とすることはできない、ということなのである。
ではその『実測日清韓軍用精図』の「松島」は竹島ではなく、鬱陵島だったのであろうか。『実測日清韓軍用精図』には、それを判断するポイントが二つある。一つは『実測日清韓軍用精図』に描かれている「松島」の経度を推測することで、もう一つは「海底電線」の敷設場所から、欝陵島の位置を判断することである。
まず鬱陵島の経度が東経130度54分、竹島は経度が東経131度52分ということがヒントになる。そこで竹島の経度と近いウラジオストクを基点に、東経130度と東経135度の経線に沿って「松島」まで平行線を延ばし、それが「松島」近くを通過するかを試みることにした。ウラジオストクは東経131度55分に位置し、東経131度52分の竹島の経度とも近いからである。
だがウラジオストクから東経135度の経線に沿って平行移動した直線は、「松島」に近接することなく、「松島」と東経133度19分付近の隠岐諸島の間を通過した。これは『実測日清韓軍用精図』の「松島」が現在の竹島ではなく、東経130度56分のダジュレー島に由来する鬱陵島であったことを示唆している。この事実は、『実測日清韓軍用精図』には鬱陵島は描かれているが、今日の竹島は描かれていない、と言うことである。
それを証明する手段となるのが、1871年にデンマークの大北電信会社が敷設した「海底電線」の存在である。『実測日清韓軍用精図』に引かれた「海底電線」を見ると、ウラジオストク(浦塩斯徳)から「松島」の東側をかすめ、対馬島と壱岐島の間を通って長崎に達している。この「海底電線」の存在によって、『実測日清韓軍用精図』に描かれた「松島」が欝陵島なのか、竹島であるのかの判断ができるからである。
そこで海底電線を敷設した大北電信会社の社史(『大北電信株式会社1869年~1969年会社略史』)(注2)で確認すると、海底電線は、ウラジオストクからほぼ直線で長崎方面にまで延びている。それを『実測日清韓軍用精図』のように、「松島」の東側を通過させることは、物理的に無理がある。保坂祐二氏は『実測日清韓軍用精図』について、「日本の軍部が10余年間調査した内容を基に、民間人の吉倉清次郎が1895年に編纂した」とコメントしているが、実際の『実測日清韓軍用精図』は、杜撰だったのである。
それでは海底電線は、何処に敷設されていたのだろうか。『極秘明治三十七八年海戦史』所収の「軍用電信連絡一覧図」で確認すると、海底電線(軍用の水底線)は朝鮮半島と鬱陵島の間に敷設されている。『実測日清韓軍用精図』に記された「海底電線」の敷設場所は、正しく表記されていなかったのである。
それを証明するものとしては、大韓帝国の農商工部水産局が隆熙二年十二月(1908年)に刊行した『韓国沿海水産物分布図』がある。『韓国沿海水産物分布図』では、「海底電線」の敷設場所を鬱陵島と朝鮮半島の間としているからである。それに『韓国沿海水産物分布図』の郵便、電信、電話路線は、明治41年(1908年)3月に統監府通信管理局が刊行した『韓国通信線路図』に依拠していた。
「海底電線」の敷設場所を基準とした時、海底電線の近くにある「松島」は、鬱陵島でなければならないのである。『韓国沿海水産物分布図』では、その欝陵島の下に(松島)と、欝陵島の別称を併記しているからである。それに鬱陵島を「松島」としていた事実は、2013年8月14日付の『慶北毎日』(電子版)等でも報じられていた。「青い鬱陵・独島を育てる会」顧問のチョウ・ヨンサム氏が公開した『日露満韓東亜新地図』(1905年5月15日刊)には海底電線と欝陵島が描かれ、その鬱陵島にも(松島)と明記されているからである。
だが『慶北毎日』(電子版)とそれを転載した『日曜ソウル』(電子版)は、その事実には言及せず、「竹島」が朝鮮半島と欝陵島の間に描かれていることを理由に、次のように報じている。
「その上、独島(竹島)を江原道側に付けており、当時、日本が独島の位置さえ正しく把握していなかったことが知れる」。
勿論、この『日露満韓東亜新地図』に描かれた竹島は、アルゴノート島に由来する「竹島」である。それに日本政府は、『日露満韓東亜新地図』が刊行される4ヶ月程前の1月28日、閣議決定によって東経131度52分の新島に竹島と命名し、日本領としていた。「当時、日本が独島の位置さえ正しく把握していなかった」といった記述には、何ら根拠がない。
【『日露満韓東亜新地図』、『慶北毎日』(2013年8月14日付電子版)、赤丸は『慶北毎日』が施したもの】
今回、ヤン・ジェリョン館長も『実測日清韓軍用精図』に描かれた「松島」の東側に「国界」とあると、それをそのまま松島を竹島として、日本側が竹島を韓国領としていた証拠としてしまったのである。
しかしそれは、『実測日清韓軍用精図』を恣意的に解釈しただけで、その論拠は示されていない。竹島問題は、幼稚園児のお絵描きの時間とは違う。思いつきの発言は、厳に慎むべきである。そこでヤン・ジェリョン館長と保坂祐二氏に求めたいのは、歴史研究の基本に従い、論拠を示した上で自らの主張を述べる、ということである。
これまで韓国側では、「独島は我が領土」とする前提で古地図や文献を解釈してきた。それも誤解が明らかとなっても、訂正されることもなかった。そのため同じ古地図や文献が何度もマスコミに登場し、「この地図の公開で日本の独島編入の主張が虚構で偽りであることを明かにするもので、今、日本の立場を再び明確に聞きたい」等といった類のコメントが繰り返されてきた。
だが歴史的事実として、竹島は韓国領ではなかった。それを戦後、竹島を侵奪した韓国側が「民族の自尊心」、「民族の島」と祭り上げては、日本側の返還要求には詭弁を弄して、言い逃れに終始してきたのである。『実測日清韓軍用精図』を利用した今回の報道も、「白を黒とする」韓国側マスコミの常套手段の一つである。
戦後70年、竹島を侵略し、侵略国家となった韓国は、侵奪を正当化するためのプロパガンダに必死となっている。今年は、日韓の国交正常化から50年でもある。「歴史を直視」し、過去を反省しなければならないのは、韓国の方なのである。
(下條正男)
注1:英国海軍水路局海図『日本‐日本、九州、四国及び韓国沿海一部』(1876年)
注2:『大北電信株式会社百年略史』(昭和47年3月、国際電信電話株式会社刊)
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