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日本側作製地図にみる竹島(2)

 

 今回も前回に続き、保坂祐二世宗大学校教授の「日本古地図が証明する韓国の独島領有権」をもとに、日本側作製地図を検討します。


 

 明治時代(1868−1912年)になれば官撰日本地図が作成され始めたが、ここにも独島は抜けている。例えば以下のようだ。

 地図:4「官版実測日本地図」(1870年)

 この地図は伊能忠敬という有名な地図学者が作成した官撰地図(西日本部分)だ。伊能忠敬は17年間をかけて日本全国を測量し、1823年に実測地図を完成させた。その地図を基礎にして作成したのがこの「官版実測日本地図」だ。伊能忠敬の列島測量作業は江戸幕府主導の官製地図作成作業だった。だからこの地図は当時の江戸幕府の領土認識を正確に現しているのだ。そして彼の作成した地図は明治政府でも使われたし、多くの明治時代の官製地図が伊能忠敬の地図を基礎にして作成された。この地図もそうした地図のなかの一つだ。ところでこの地図にも隠岐島はあるが独島はどこにもない。1870年に明治政府が鬱陵島と独島がどの国の所属なのかを調査しその結果、鬱陵島と独島は朝鮮領土という結論を下したからだ。当時日本のそういう認識がよく反映された地図だ。


 

 伊能忠敬の測量図において、「松島(現在の竹島)が記されていないことから、幕府は当時松島を日本領として認識していなかった、したがって現在の竹島は朝鮮領土である」という主張は韓国側の研究でよくみられます。さらに「日本側が証拠として伊能図を出さずに、赤水図を出すというのは、日本にとって不利な地図を隠蔽している証拠だ」という主張もみられます。ここでは明治3年(1870年)の「官版実測日本地図」のもとになった伊能図について検討します。

 伊能図では、確かに竹島、松島は記載されていません。それでは竹島、松島と同様、日本列島から遠く離れた離島は伊能図に記されているのでしょうか。筑前の御号島(現在の沖ノ島)は宗像大社の奥宮がある島で、古来より日本領です。「正保日本図」(国立歴史民俗博物館所蔵)では「筑前大嶋江四拾五里」とあり、宗像市沖にある大島から海上45里に位置していたと記しています。しかしながら、伊能図では男女群島は記されていません。したがって、伊能図に記されていないことをもって、日本領でないとはいえないことが分かります。

 伊能図での隠岐の表記をみると、隠岐諸島の北西に「桂島」という小島が描かれています。「桂島」は、伊能図のうち「中図」「小図」にみられます。「桂島」の記された位置には、実際に島はありません。ただ、桂島には、先ほどの筑前の「興津嶋」の記載と同じように、測量したことを示す朱線は記されていません。つまり「興津嶋」の事例と同様に、測量に基づいて記したのではなく、地元での調査により島を記したと考えられます。この桂島が「大図」(隠岐)に記載がないのは、「大図」の成果は測量に基づくものであったためとみられます。したがって、「桂島」は、現在の竹島と断定はできないものの、隠岐諸島の北西に島があるという認識に基づいて記され、それが日本領であるという認識で書かれたと考えられます。「桂島」は、保坂氏が取り上げた明治3年(1870年)の「官版実測日本地図」にも記載がみられます。

 さらに「桂島」は、1867年の英国製海図「日本・朝鮮図」(島根大学附属図書館所蔵)や、1889年刊行の20万分の1輯製図「西郷」などにも記載があります。前者の海図には、「桂島」のほかに現在の竹島にあたるリアンコールト岩も記されています。しかし、両図とも日本列島の海岸部は伊能図をもとに作製したと記しています。地図が作製される過程で、異なる地図から地図を作製するとこういう状況がおきます。両図とも桂島の位置は測量に基づいたものではなく、伊能図の成果に基づいて記載されたのです。したがって、伊能図が作製された幕末の時点で、隠岐諸島の北西に現在の竹島の可能性のある島が認識され、それが伊能図にも記され、日本領として認識されていたということは否定できないでしょう。

 次に、伊能図の性格について検討します。わが国での近代地図の歴史についてまとめた『測量・地図百年史』や海図・水路誌の歴史をまとめた『日本水路史』には次のような記載があります。


 

 

幕府がこれ(伊能図)を公刊しなかった理由の1つには、これに細部を挿入して明細な国絵図とすることにあった。すなわち諸侯に達して資料を集め、天保9年(1838年)に至り、いわゆる天保の国絵図を完成したのである。しかしこれは実測図ではなく国郡の境域を明示し都市・村落を方形・円形等の記号で示した中に地名を記注し、山岳は写実的、水部は青色、山部は緑色に彩色したものであり、これと伊能図と合わせて完全な本土図を完成させる目的であったが、その完成を見ずに、明治維新を迎える結果となってしまった(『日本水路史』)

 

 


 

 すなわち、幕府による地図作製事業は、慶長、正保、元禄、天保の国絵図の作製であり、幕府は各国に国絵図を献上させた後、国絵図をもとに日本図を作製していましたが、天保期には、すでに伊能忠敬の日本全図があり、国絵図をもとにした日本全図を作製は行われませんでした。しかし伊能忠敬の日本全図は海岸測量が中心であり、必ずしも内陸各地の状況について詳しくなかったので、国絵図の作製を命じて内陸部の細部を補填するようにしたということです。つまり、伊能図単独では、日本全体を網羅したとはいえず、各国に提出させた国絵図と相互補完する形で、幕府は日本国土を掌握していたこととなります。実際、先に述べた肥前の男女群島は、伊能図では記載がないものの、天保の肥前国絵図では記載がみられます。つまり、伊能図では内陸部だけでなく、離島部も抜けているといえます。したがって、幕府の地理的認識を検討する際には、伊能図だけでなく、各藩から提出された国絵図とともに検討しなければならず、伊能図に記載がないことをもって、日本領でないとするのは間違っているといえるでしょう。

(元竹島問題研究会委員 島根大学法文学部准教授 舩杉力修)

 

【付記】
竹島問題研究会最終報告書への反論として以下の指摘がありました。「絵図の時代には、経緯度の1分に相当する海里(1852m)の単位は西洋からまだ導入されていなかったはずです」(半月城通信No.127)とありますが、これは指摘の通り、海里の導入は近代以降のことであり、訂正します。ただ、近世絵図研究の権威、川村博忠山口大学元教授のご教示によれば、「一般的に1里=約4kmとされるものの、各藩、各地域によって1里の距離に違いがあり、例えば一里塚の距離も地域によって異なっている。1里=4kmを機械的に当てはめることには疑問を感じている。陸上の距離ですらこういう状況であったので、海上の距離については、当時の役人が測量した可能性は低く、水主や漁師からの聞き取りにより絵図に記載された可能性が高い。したがって機械的に海上の里数に1里=4kmをあてはめることには無理がある」とのことでした。実際「正保出雲・隠岐国絵図」の海上里数を検討すると以下のようになります。

 

海上里数の検討

 

絵図

 1里=4km

 実際の距離

 隠岐西郷と出雲美保関

 海上36里

 144km

 約70km

 隠岐知夫里と出雲宇龍

 海上35里

140km

約70km

 出雲宇龍と石見国境

 海上8里

32km

約15km

 出雲宇龍と石見温泉津

 海上18里

72km

約50km

 隠岐島前中ノ島と島後

 海上3里

12km

約12km

 

 

 上記の通り、海上里数が1里=4kmに近いのは近接している隠岐島前(中ノ島)と島後の間だけであり、隠岐・出雲間の沖合の距離だけでなく、出雲・石見間の海岸の距離においても、実際の距離とかけ離れていたことが分かります。したがって、川村教授の指摘の通り、海上の里数に1里=4kmにあてはめることには無理があるといえます。

【文献】
測量・地図百年史編集委員会編『測量・地図百年史』、日本測量協会、1970年
海上保安庁水路部編『日本水路史1871〜1971』、日本水路協会、1971年
秋岡武次郎編『日本古地図集成』、鹿島研究所出版会、1971年
崔書勉「古地図からみた独島」(統一日報、1981年5月27日〜29日)
日本国際地図学会監修『伊能中図:大日本沿海実測図』、武揚堂、1993年
川村博忠編『江戸幕府撰慶長国絵図集成付江戸初期日本総図』、柏書房、2000年
日本国際地図学会・伊能忠敬研究会監修『伊能図:東京国立博物館所蔵伊能中図原寸複製』、武揚堂、2002年
歴史地理学会島根大会実行委員会図録編集委員会、島根県立博物館編『絵図でたどる島根の歴史』、島根県立博物館、2004年
国絵図研究会編『国絵図の世界』、柏書房、2005年
保坂祐二「日本古地図が証明する韓国の独島領有権」(韓文)(嶺南大学校独島研究所及び独島アーカイブ開設記念国際学術大会・発表論文、2005年)
日本地図センター編著『伊能大図総覧』、河出書房新社、2006年
「江戸時代の地図の取りあげ方、舩杉氏への批判」(半月城通信NO.127、2007.7.25)


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