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続竹島の漁業権の変遷についてー隠岐島漁業協同組合連合会の動向を中心にー
はじめに
前々回「隠岐久見(くみ)地区の竹島漁業権の獲得過程について」と題する研究レポートで明治期から昭和20年までの竹島のアシカ漁、一般漁業の権利の推移を紹介した。最終的には叔父、甥の関係にある八幡長四郎、橋岡忠重、池田幸一が両方の権利を取得したが、背景に彼らが居住する隠岐久見地区の住民80名が3人の権利取得に必要な資金を銀行から借りるために自分たちの土地を担保として提供していたという事実があったことがわかった。
今回はその続編としてその後の竹島の漁業権の変遷をまとめてみたい。利用する資料は今年5月、隠岐の島町役場の八幡貴之氏、隠岐の島町教育委員会藤原時造氏の協力で調査した隠岐の島町役場五箇支所の行政文書が中心である。
1、GHQ支配下の竹島
太平洋戦争終結後、昭和21(1946)年GHQ(連合国最高司令官総司令部)は1月29日の覚書「SCAPIN677」で日本政府が竹島に対して、政治上または行政上の権利を行使すること及び行使しようと企てることを停止するよう指令した。さらに6月22日には「SCAPIN1033」で「日本の漁業及び捕鯨業許可区域に関する件」で日本の船舶及び船員は竹島から12哩以内に近づかないこと、この島との一切の接触は許されないとし、いわゆるマッカーサー・ライン外に竹島を置いた。
このために島根県は、昭和21年7月26日に島根県令第49号で島根県漁業取締規則から竹島とアシカ漁業に関する項目を削除した。一方で竹島は昭和25(1950)年7月6日の「SCAPIN2160」で、米軍海上爆撃演習地区に指定された。
昭和26(1951)年になって日本の国際復帰を認めるサンフラシスコ講和会議が開催され、9月8日平和条約が締結された。それを境に日本に制限を与えていた個々の項目の見直しも始まった。島根県は昭和27(1952)年1月17日政府に竹島の演習地区指定解除と竹島における漁業復活を要望した。平和条約の効力発効を目前にして同年4月25日、GHQはマッカーサー・ラインの撤廃を通告し、竹島の漁業及び捕鯨業許可区域に関する一切の制限を消滅させた。島根県も昭和27年5月16日、「島根県規則第29号」で「島根県海面漁業調整規則」の一部を改正して「第四漁業の許可」にアシカ漁業を加え知事による許可漁業とした。理由には「すでに出漁希望者も相当数ある等の事情を勘案し捕獲制限する必要が認められ、戦前同様漁業として秩序維持を図りたい」としている。
竹島の爆撃演習地については、島根県は昭和27年5月20日外務大臣と農林大臣に「島根県隠岐支庁管内竹島を駐留軍の爆撃演習地より除外されたい。」という陳情書を提出した。昭和28(1953)年3月19日、日米合同委員会海上分科委員会で竹島の爆撃訓練地域は削除することが合意され、日米合同委員会で承認されて正式に竹島は演習区域から解除された。なおGHQは平和条約の発効をもって廃止された。
2、隠岐島漁業協同組合連合会の発足
マッカーサー・ラインの撤廃、島根県海面漁業調整規則の改正等、戦後の島根県の漁業行政改正が続く中で、昭和28年1月25日隠岐島漁業協同組合連合会が結成された。隠岐全島の漁協の代表者と、理事になった県会議員等の32人が会員で、初代の代表理事・会長には西郷町在住の県会議員中川秀政氏が就任した。中川は西郷町長を務めた後、昭和22年から6期県会議員であり、県議会副議長、議長にもなっている。連合会のリーダーとして彼は「竹島の領土権確保と島民の利益擁護に関する陳情」等積極的に県や国に陳情を繰り返した。竹島問題に関する資料を多数整理して所持し、昭和58(1983)年に逝去すると遺族がそれらを島根県議会事務局に寄贈した。
連合会は5人の理事と3人の監事が運営の中心となったが、初代の監事の一人には久見漁協の組合長脇田敏が就任している。脇田は翌昭和29(1954)年5月、県の依頼で地区の他の漁師10人とともに、李承晩ラインで韓国側に取り込まれていた竹島で漁労行為を実践した。
隠岐島漁業協同組合連合会の順調な出発を確認した島根県は昭和28年6月5日島根県告示で竹島での共同漁業権について指示を発表した。「漁場の区域」は竹島周囲最大高潮時海岸線(沿岸島嶼を含む)から500メートルの線によって囲まれた区域であり、「漁業の種類」はわかめ、いわのり、てんぐさ、あわび、さざえ、なまこ、たこ、うに漁業であった。「関係地区」は穏地郡五箇村、都万村、周吉郡西郷町、東郷村、布施村、中村、磯村、海士郡海士村、知夫郡浦郷町、黒木村、知夫村である。
連合会は昭和55年から代表理事・会長は家中高吉、昭和63年から名越隆正、平成4年から葛西清秀、平成10年から小中竹雄、平成16年から濱田利長が務めて現在に至っている。中川、名越を始め多くが島後の現在の隠岐の島町出身であるが、2代目の家中は島前の西ノ島町、5代目の小中は海士町の出身である。その間脇田敏は昭和52年からは理事を務めており、現在隠岐での竹島領土権確立運動推進に関わる八幡昭三は平成10年から理事になった。
3、隠岐島漁業協同組合連合会の活動
昭和28年6月5日連合会に竹島周辺での海草や貝類等の共同漁業権を与えた島根県は同年6月19日島根県知事恒松安夫の名で許可漁業として「あしか漁業」を追加した。李承晩ラインのある中で、現実的なアシカの捕獲は困難にみえたが、橋岡忠重、八幡数馬、池田邦幸が許可申請を提出し、許可された。
この時松江市北堀町に在住していた中井養一も申請したが、彼は不許可となっている。橋岡忠重は戦前もアシカ猟の権利を持っていた人物であり、八幡数馬と池田邦幸は同様に戦前捕獲権利を持っていた八幡長四郎、池田幸一の後継者であった。
橋岡は戦前のアシカ漁に関する貴重な自筆の資料を残しているが、戦後も久見漁協の一員として、また昭和40年代連合会の監事、昭和21年から昭和46年の長期間五箇村の村会議員としても活躍している。なお戦後のアシカ漁復活には橋岡が県に提出していた「嘆願書」の影響も考えられる。
嘆願書によると、
「(前略)今は故人である八幡長四郎が昭和24年死亡する間際に「三家代々受け継いで来た竹島の漁業が再び日本人の手に返る時が来たなら、必ず残る者の手で竹島を乱獲から守るため漁業権を獲得してもらいたい」と遺言してみまかりました。久見港より五十数里を距てて点在する無人の孤島に出かけて特殊な方法で海驢を生捕る事は多年の経験と技術を要するものであり、繁殖をさまたげない適量の捕獲も必要とする漁労の特殊性もご配慮の上、終戦までの経験を持つ我々に漁猟を許可いただきたい。」
としている。
橋岡は県からアシカ猟の許可を得た直後、竹島に行きアシカの生息状況を確認する機会をもった。昭和28年竹島に韓国人がいるとの情報が入り、同年6月25日隠岐高校水産科の実習船「鵬丸」で関係者が事実関係を確認するために渡島した際、橋岡も加わっている。竹島には韓国人6人がおり米、タバコ、焼酎を与えるとアシカの子を料理してくれ、月下で歌い踊る酒宴となったという。
戦後のアシカ猟の許可をもらった3人の内、昭和3年生まれの池田邦幸は健在で県職員として平成元年3月西郷農業改良普及所所長補佐の職で退職した。その後五箇村村会議員3期12年、さらに議会議長も務め、久見地区の区長、老人会長等も務められ現在は悠々自適の生活を送っておられる。
アシカ猟については実績のないまま昭和40年の「島根県海面漁業調整規則」の全面改定でも「あしか漁業」、許可制として継続され現在にいたっている。しかし、平成14年公布された「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」の学術研究の目的、鳥獣による生活環境、農林水産業又は生態系に係る被害の防止の目的、特定鳥獣等に数の調整の目的、その他環境省令による博物館、動物園等の施設における展示目的の採捕等について、環境大臣又は都道府県知事の許可を受けなければならないという規定の適用を受け、実質「あしか漁業」は不可能になっている。
連合会の活動は李承晩ラインの撤廃、竹島の領土権確保の要望、陳情が数多くなされた。昭和38年1月、昭和40年1月、9月、10月、昭和51年1月、昭和52年4月、昭和53年5月等の初期の文案も残存している。また、上京して総理大臣等に陳情する姿の写る写真も残っている。
隠岐島内では町村会と共に島民大会を開催して団結の力をみせた。竹島での共同漁業権も昭和36年を始めとして更新が継続された。昭和58年の更新を前にした総会では、権利を保持しながら操業が出来ない以上国に対し補償を要求すべきとの意見も出ている。
各地の漁協の合併も増え、連合会の会員数もしだいに減り、平成4年には15人、平成15年には8人、平成16年には4人となった。この頃島根県内の全漁協が「JF(全国漁業協同組合連合会)しまね」の単一組織に入るべきとの提案があった。しかし、竹島の共同漁業権等は隠岐島独自で守るべきとする海士漁協とその他の隠岐島内漁協の統一組織の会員2名だけで平成17年以降、隠岐島漁業協同組合連合会は現在も存続している。平成23年2月1日に開かれた通常総会は第59回のこの組織の総会であった。
写真1中川秀政、脇田敏等の署名、捺印のある連合会の会議録
(隠岐の島町五箇支所蔵)
写真2昭和28年島根県が発行した「あしか漁」の許可書
(島根県農林水産部水産課所蔵)
写真3「あしか漁」の許可書をもらった健在の池田邦幸氏
(池田邦幸氏提供)
写真4「あしか漁」の許可証をもらった八幡数馬氏
(数馬氏の姪杉原由美子氏提供)
写真5「あしか漁」の許可証をもらった橋岡忠重氏
(『五箇村誌』掲載)
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