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朝鮮船の隠岐漂着について

 

 1月6日、隠岐の那久岬(なぐみさき・旧津万村)沖への北朝鮮船漂着は脱北者の船かと一時緊急ニュースとしてテレビ等で伝えられた。現在北朝鮮と韓国のある朝鮮半島と日本とは海をはさんで近距離にあるので、それぞれ相手国へ漁船を中心に漂着する事例が多くあった。江戸時代に限っても私は隠岐への朝鮮船の漂着を15例確認している。

 有名な漂着事例としては、安永6(1777)年、島後の西村へ江原道の13人が漂着があり、この時松江藩から幕府へ長崎送りの許可を求めたが、40日経過しても返事がこなかった。帰国を一日千秋の思いで待つ漂流民達から不穏な言動が見られ始めた。この事を憂慮した松江藩主松平治郷(はるさと・号は不昧公)は、長崎送りは当然のことだから許可など求めず一刻も早く漂流民を帰国の途に着かせ、漂着の報告はその後にすることを幕府に提案した。幕府も了解し「天明四年令」という名で全国に布告した。これにより朝鮮人漂流民の帰国は格段に早くなっている。

 文政3(1820)年、島前西ノ島の国賀海岸の絶壁の下に江原道の11人が漂着した。荒天が続き船で救助が出来ず地元の浦郷の人達はハラハラしながら断崖の上から見守るしかなかった。3日目になって東屋新助(あずまやしんすけ)なる者が「異国人とはいえ人の命は同じだ」と言い、自分の腰に綱を巻き、一方の端は地元の人達にゆだね合図したら綱を引くよう依頼して断崖を降り、漂流民を一人ずつ「魚を釣るように引き上げ」た。翌日、東屋新助が漂流民が収容されている建物へ出かけると、彼等は新助を取り囲み、手を合わせ何度も拝礼を繰り返したという。

慶応3(1867)年、慶尚道の6人が西ノ島美田(みた)村へ漂着した。松江藩は彼等を送り返そうと加賀浦まで運んだが、その時明治維新となった。新政府の漂流民に対する政策を確認する必要があるので、松江藩は漂流民を加賀浦に逗留させた。回答が来るまでに30日余りかかったが、その間加賀浦の人々は漂流民を親切に扱ったという。回答は今まで長崎奉行所に送り届けていたが、今後は長崎裁判所にすること、送還方法は今まで陸路が原則だったが、これからは船で海路とすること等であった。江戸時代、隠岐へ漂流があった場合、松江へ運び八軒屋町の旅館で一泊させ、現在の国道54号線にそって広島へ、そこから瀬戸内海にそって下関、九州へ渡り長崎到着には15、6日かかった。明治政府の指示にそって加賀浦から長崎へ船で向かうと3日で到着したという。

 今回の北朝鮮漁船の隠岐への漂着は日本への初めての出来事のように報道され、注目されたが、江戸時代の朝鮮八道からいうと咸鏡道、江原道北部が現在の北朝鮮の領土となる。咸鏡道から隠岐への漂着例はないが、島根半島の軽尾(かるび)浦、野波浦、出雲の河下浦へ漂着したことがある。江原道からは隠岐だけで5例ある。明治、大正時代については朝鮮総督府が道別に朝鮮船の日本への漂着を『朝鮮の災害調査資料』に載せているが、累計で咸鏡道からは299隻、江原道からは84隻となっている。

 昭和期については五箇村が海上保安庁へ福浦への航路標識設置を昭和27(1952)年陳情した時、「過去五ヶ年の遭難船実例」を添付しているが、昭和23(1948)年1月と昭和24(1949)年3月の五箇村への漂着船を「北朝鮮船」としている。

 明治時代の具体的な漂流として「皇城新聞」が、明治31(1898)年12月江原道蔚珍郡の漁民5人が隠岐の津戸村沖に漂着、1人死亡、1人重態、3人は凍傷で都万村の医院で治療を受けたと報じている。今回の那久岬は旧津万村に入り、津戸村も都万村に併合される村であり今回の北朝鮮船の漂着した場所と近い場所である。なお「山陰新聞」明治32(1899)年1月8日付けも同じ事件を漂着者の名前、年齢等も入れて詳しく報じているが、一つ注目されるのは鬱陵島島監裴季周が隠岐へ駆けつけ、朝鮮人と隠岐島民との間で通訳の仕事を受け持っていたことである。裴季周はこの年の2月、鬱陵島で木材を盗伐した島根県人を裁判所に告訴するため松江に現れているので、鬱陵島、隠岐、境港経由で松江に来たことがわかる。

 日本の外国船の漂着に対する対応は、宝亀5(774)年に太政官が布令した「恕(じょ・思いやり)の精神で船が破損していたら修理してやり、食料が無ければ支給して帰国させること。これは永久の命令である。」が基本となったと思われる。今回の日本政府や海上保安庁等の誠意ある対応が北朝鮮側にも伝わることを期待したい。

(島根県竹島問題研究顧問)

 

 

 

 

朝鮮船漂着事例

 

写真1江戸時代隠岐への朝鮮船漂着事例(杉原作成)

(「湖都松江」Vol.14『松江藩と漂流民』杉原隆より)

 

朝鮮人の様子

 

写真2隠岐海士村へ漂着した朝鮮人達を描いたスケッチ画(松江市個人所蔵)

 

朝鮮船

 

写真3鳥取八橋浦へ漂着した朝鮮船(『因府歴年大雑集』より)

 

 現在の北朝鮮で使用されていた漁船

 

写真4咸鏡道、江原道北部(現在の北朝鮮)で使用されていた漁船(『韓国水産誌』より)

 

皇城新聞

 

写真5『皇城新聞』が報ずる明治期の朝鮮船隠岐漂着

 

 

 

 

 

 


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