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杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」

第29回孤高の竹島−李承晩ラインから暫定水域へ−

 

島根県の津和野町出身の写真家に桑原史成氏がいらっしゃいます。桑原さんは九州で発生した水俣病(みなまたびょう)やベトナム戦争等を、冷静で鋭い視点で撮影された社会派の写真家として高い評価を獲得された方です。その桑原さんが昭和40(1965)年3月、韓国で激化していた日韓基本条約批准反対の学生デモを取材しようと同国に向かわれました。投石、逮捕者の出る激しい学生の行動を撮影し終わった桑原さんの頭をよぎったのは、李承晩ラインによって日本人が渡島出来ない竹島の将来でした。「李承晩ラインの存在する時代の竹島を撮影しておきたい、そのために操縱士と小型飛行機を準備して欲しい」と友人に頼み、その用意が出来ると友人、副操縱士も含め4人で竹島に向かって飛び立たちました。

日本は、李ラインが設定された後、昭和29年9月に竹島の領有権問題の国際司法裁判所への付託を韓国政府へ申し入れるなど、竹島問題解決を模索し続けました。韓国では李承晩大統領政権が昭和35年4月に倒れ、その後張勉(チャンミョン)、朴正煕(パクチョンヒ)政権に移りました。

桑原さんたちは軍事レーダーを避けるコースを選ながら竹島に近づき、急降下を5回繰り返して真っ青な海に凛(りん)として孤高の姿を映す竹島を撮影しました。現在島根県が桑原さんから借用して利用させてもらっている写真は、どれも見る人の心を打つものばかりです。

昭和40年12月、日本と韓国の国交成立などを記した日韓基本関係条約と付属協定である日韓漁業協定等が発効し、李承晩ラインは消滅しました。しかし、竹島問題は解決されませんでした。平成11(1999)年の新日韓漁業協定では、竹島方面の海域を含む広範な海域がどちらのものと決定しない「暫定水域」となりました。この水域では両国は自国の漁船だけを取り締まることが出来ます。その両国で漁法への対応や漁業資源保護に相違があるため、数多くのトラブルが発生しています。たとえば、ベニズワイガニ漁では韓国漁船の漁具が海底に張り巡らされているため、日本側の漁船は容易に入りこめない状態が生じ、島根県だけでも水揚げ量はかつての四分の一程度に減少してしまいました。

平成17年、島根県は漁民保護と竹島問題の早期解決を求めて、竹島が島根県所属と閣議決定された明治38(1905)年から100周年の年に「竹島の日」条例を制定、施行し、国民にこの問題への関心と協力を呼びかけました。

平成20年7月、日本政府は中学生の地理の学習で竹島問題を取り扱うことを、学習指導要領の解説書に明記し、若い世代の竹島問題の正しい理解を、教育を通じ拡大することに乗り出しました。

孤高の竹島が国民の共通した自国領の認識に支えられて笑顔の島に変わることを願わずにはおられません。


(主な参考文献)

 ・「フォトしまね」No.161特集「竹島」平成19(2007)年1月

 ・「天風録−竹島の写真−」『中国新聞』平成20(2008)年3月6日付


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