杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」
第26回サンフランシスコ平和条約と竹島
日本は昭和20(1945)年4月1日アメリカ軍の沖縄上陸、8月6日広島、9日長崎への原子爆弾投下を受け、無条件降伏を勧告するポツダム宣言を受諾し、8月15日に降伏しました。日本本土には連合国が占領、管理する連合国最高司令官総司令部(GHQ)が設置され、初代の最高司令官にはアメリカの太平洋陸軍総司官であったマッカーサー元帥が着任し来日しました。当初は横浜、9月15日からは東京都日比谷に本部が置かれ、昭和23年頃には文官3850人を含む約6000人のスタッフを擁しました。小学生であった私は松江市内でインド人の兵隊さんを数多く見かけた記憶があります。
日本の領土については、すでに昭和18年12月に発表されたカイロ宣言で「(同盟国の目的は)1914年の第一次世界大戦の開始以降に日本国が奪取し又占領した太平洋におけるすべての島を日本からはく奪すること、並びに満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。日本国は、また、暴力及び強欲により日本国が略取し他のすべての地域から駆逐される」となされていました。
また、昭和20年7月のポツダム宣言では、「カイロ宣言の条項は履行せられるべく、また、日本の主権は本州、北海道、九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に極限せらるべし」とされました。
GHQの統治になってからは、連合国最高司令官総司令部覚書(SCAPIN)という形で指令が出されています。その中で昭和21年1月に出された「若干の外域地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」は注目されます。日本政府の統治から切り離された地域が示されたのです。「(a)鬱陵島、竹島、済州島、(b)北緯30度以南の琉球列島、伊豆、南方、小笠原、硫黄諸島、大東諸島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外郭太平洋全諸島、(c)千島列島、歯舞群島、色丹島」です。これらの中には後に日本の統治下に復帰する所が多くありますが、覚書の別の条項で示された「(a)委任統治領などの太平洋諸島、(b)満州、台湾、澎湖諸島、(c)朝鮮、(d)樺太」とともに、竹島などの島嶼も日本政府が権力行使をしてはならない地域とされました。
竹島については、昭和21年6月に出されたGHQの「日本の漁業及び捕鯨業に認可された区域に関する覚書」の「日本の船舶及びその乗組員は、竹島から12マイル以内に近づいてはならない。またこの島とは一切接触を持ってはならない」という部分が、さらに意味を具体化しています。竹島がアメリカ軍の爆撃訓練の標的とされました。この処置は昭和28年6月まで続きますが、昭和23年に竹島へ上陸してワカメ刈りをしていた韓国人14名が、アメリカ空軍爆撃によって死亡するという悲劇も起こっています。昭和24年、肥料にする鳥の糞採集に、敢て竹島に渡った鳥取県米子市の奥村亮氏はおびただしい血痕を見ています。
日本はGHQの統治下で、昭和21年に平和主義に貫かれた「日本国憲法」を制定しましたし、次の年には教育基本法、学校教育法のもとで教育改革にも乗り出しました。こうした日本の民主化と、一方で戦争終結と共に表面化してきたアメリカとソ連との対立、いわゆる冷たい戦争は、日本の国際復帰、対日講和を促すことになりました。
昭和26(1951)年9月、第2次大戦の戦勝側の連合国の内、ソ連、ポーランド、チェコスロバキアの社会主義諸国を含む52ヶ国がアメリカのサンフランシスコに集まりました。いわゆるサンフランシスコ講和会議の開催です。中国大陸に誕生した中華人民共和国と台湾の中華民国は中国代表権問題が発生していたので、招請されませんでしたし、インド、ビルマ、ユーゴスラビアは欠席しました。
講和条約が成立すれば、それによって日本の領土処分が決まります。また占領が終了し、連合国最高司令官の覚書も終了します。そこで、竹島が最終的にどうなったかが問題です。
講和条約(平和条約)の草案は、はじめアメリカの国務省で準備されました。昭和24年11月までの国務省草案では、竹島は朝鮮の一部として規定されていました。この11月草案に対して国務省から見を求められたシ−ボルト駐日アメリカ政治顧問代理は、竹島に対する日本の領土主張は古く正当であると思われるとして再考を勧告しました。
これを受けて、昭和24年12月の草案から竹島は日本の保有する領域に加えられました。ダレスという政治家が対日講和問題担当の国務長官顧問として主導した昭和25年8月以降の草案は全体に簡潔なものとなり、日本に残す島を列挙するのではなく日本から分離する領土だけを規定するようになりました。昭和26年9月8日に調印されたサンフランシスコ平和条約には、「日本国は、朝鮮の独立を承認して済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原、及び請求権を放棄する」とあります。平和条約作成の最終段階で、韓国がこの条項に「独島」を書き加えてほしいとアメリカに要望したことが記録によって知られます。アメリカは、竹島は日本の島根県に所属するとして韓国の修正要望を断りました。こうして、竹島は、従前どおり日本の領土であることが確定しました。
米国の海図に記載される鬱陵島と竹島(LiancourtRks)
〔1949年12月第5版の1965年改訂版〕(個人蔵)
(主な参考文献)
・塚本孝「サンフランシスコ平和条約における竹島の取り扱い」平成17年9月27日竹島問題研究会「研究メモ」(『「竹島問題に関する調査研究」最終報告書』〔竹島問題研究会平成19年発行〕に収録)
・田村清三郎『島根県竹島の新研究』島根県昭和40(1965)年
・『日本の歴史』小学館平成元(1989)年
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