杉原通信「郷土の歴史から学ぶ竹島問題」
第11回ニホンアシカと竹島
ニホンアシカは江戸時代、明治・大正・昭和初期に存在したアシカと呼ばれる海獣種の一種です。現在は絶滅したと言われており、全世界で剥製として約10体しか残っていません。そのニホンアシカが昭和28年ごろまで鬱陵島や現在の竹島に群棲(ぐんせい)していました。
江戸時代この島に渡海した米子の町人大谷、村川家の人たちはこれを狩猟しました。皮も利用しますが、一番のねらいは身を釜(かま)で煮沸して油をとることでした。「一頭から数斗の油がとれる」と書いた文書がありますが、1斗とは10升のことですから、かなりの量の油がとれたと思われます。当時はガラスのびんがありませんから桶大工(おけだいく)が漁師と一緒に島に渡り、現地で桶を作りそれに油を入れて持ち帰りました。寛文6(1666)年大谷家の船が隠岐経由で米子に帰る時、暴風で朝鮮へ漂着したことがありますが、その船には300樽をこえる油の樽が乗っていたという記録があります。その油は石鹸にしたり、接着剤である膠(にかわ)にしたそうで、当時としては動物性の油として貴重だったようです。
現在の竹島でニホンアシカを盛んに取ったのは村川家でした。村川家の猟の様子を「松島(現在の竹島)で猟をすると取り損なったものは竹島(鬱陵島)に逃げておりそこで大量に取れる」と伝えた書状や、松島の岩礁に船をぶつけて大損害をしたことを記した文書も残っていますし、村川家は松島だけを描いた精密な絵図も所蔵していました。
江戸時代にはニホンアシカは「みち」とか「みちのうお」と呼ばれていました。現在の出雲大社の神事である相嘗(あいなめ)の儀は「みちの皮の上に膳を置いて行う」とあり、歴史のある神社には「みち」という呼称が残っています。
このニホンアシカの狩猟は明治時代にも継続しました。鳥取県倉吉出身の中井養三郎は隠岐で海鼠(なまこ)漁等さまざまな事業を行った後、明治36(1903)年から同郷の小原岩蔵等と現在の竹島でアシカ猟をした後、この島の明確な所属を政府に求めて東京へ出ました。この時の詳細はまたお話することがあると思いますが、結果的には明治38年2月22日に島根県隠岐郡の所属が決定し、同年から中井養三郎等は「竹島漁猟合資会社」を設立し県の許可を受け、アシカ猟を開始しました。明治39年は約1300頭、同40年は約2000頭、同41年は約1800頭を獲得しています。
竹島が島根県所属と決定した後の明治38年8月松永武吉島根県知事は数人の県職員と島に渡り、3頭の生きたアシカを連れて帰りました。この3頭はまもなく死亡し剥製にされたと当時の新聞が記載しています。その剥製の所在は長らくわかりませんでしたが、出雲高校、大社高校、松江北高校に保存されていることが明らかになりました。解剖学の権威鳥取大学医学部の井上教授の鑑定の結果ニホンアシカであり、同時期生息していたものであることがわかりました。現在ニホンアシカの剥製は島根大学に1体、大阪の天王寺動物園に3体と日本国内に合わせて7体と、江戸時代末期長崎に来日したシーボルトが持ち帰り、オランダのライデン市等に存在する3体が、確認されています。
明治期中井養三郎のもとで30年余りアシカ猟をした人物に中渡瀬仁助という人物がいます。竹島の岩礁の上から鉄砲で射止める名手で、明治38年5月27、28日の日露戦争での日本海海戦を竹島にいて間近に目撃したと語っています。
昭和期に入ると生きたアシカをサーカス等で求めるようになり、隠岐の漁師は竹島の洞窟の前に網を張り追い出す様式で捕獲しました。現在96歳でその猟を体験された吉山武さんは、子育て期の親アシカの捕獲は危険を伴う緊張した作業だったと語っておられます。昭和10年に生きたアシカ30頭の捕獲を求められた橋岡忠重は、生きたまま境港に運ぶ条件で1頭140円の契約をしておられます。当時の100円は現在の5、60万円にあたりかなりの高額の取り引きでした。
竹島のアシカは157キロメートル離れた隠岐諸島へも昭和初期には姿を見せていたそうです。昭和3年生まれの隠岐の島町の八幡昭三さんは、海で泳いでいるとアシカが来て一緒に泳ぎ、魚を与え続けると、家に帰る時陸上まで後について来て可愛かったと語られ、西ノ島町の真野享男(まのたかお)さんも三度(みたべ)という港でたびたび見たと話しておられます。
韓国では日本の乱獲で昭和20年頃絶滅したと批判を含める論文も発表されていますが、昭和26年11月竹島に渡った境高校水産科の皆さんは自分等の船に並んで泳ぐアシカがいたことを証言されていますし、昭和28年6月竹島を訪れた隠岐高校水産科等の方々もニホンアシカの存在を証言されています。
図1みちのうを図(大谷家古文書)
図2ニホンアシカの剥製(島根県立出雲高校所蔵)
(主な参考文献)
・『「竹島問題に関する調査報告」中間報告書』竹島問題研究会島根県2006年
・『「竹島問題に関する調査研究」最終報告書』竹島問題研究会島根県2007年
・『大谷家古文書』大谷文子1984年
・「竹島一件書類」明治38〜39年島根県所蔵
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