韓国が知らない10の独島の虚偽
第4回
「日本は17世紀末、欝陵…竹島への渡航は禁止しませんでした。」の正当性
東北アジア歴史財団は、日本の外務省が刊行した『竹島問題を理解するための10のポイント』の内、「4.日本は、17世紀末、欝陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止しませんでした。」を以下のように要約し、次の1〜2を根拠にとして、「日本の主張はこれだから誤りだ」と批判した。
【要約】
「1696年、幕府は欝陵島が朝鮮領土と判断し、欝陵島渡海を禁止したが、独島渡海を禁止することはなかった。これによって当時から日本が独島を自国の領土と考えていたことは明らかである。」
【韓国側の批判1】
日本の資料である大谷家の文書に見える"竹島近辺の松島(竹島近辺松嶋)"(1659年)、"竹島(欝陵島)内の松島(独島)(竹嶋内松嶋)"(1660年)等の記録が説明するように、昔から"独島は欝陵島の附属島嶼(属島)"とみなしてきた。したがって1696年1月、欝陵島渡海禁止措置には当然、独島渡海禁止も含まれていた。
【東北アジア歴史財団による歴史の捏造】
元禄九(1696)年1月28日、江戸幕府は鳥取藩に対し、竹嶋(欝陵島)への渡海を禁じた。したがって東北アジア歴史財団が、「1696年1月、欝陵島渡海禁止措置には当然、独島渡海禁止も含まれていた」とする批判は、批判のためにする批判である。なぜなら幕府が米子の町人に与えた「渡海免許」には、「竹嶋(欝陵島)江先年船相渡之由候」と明記され、渡海を禁じた奉書には「向後、竹嶋江渡海之儀、制禁可申付旨、被仰出候」と記されているが、独島(竹島)については全く触れられていないからだ。
それを東北アジア歴史財団は、渡海が禁じられた欝陵島には属島としての独島(現、竹島)が含まれ、独島への渡海も禁止されたと主張するのである。ではその根拠はどこにあるのか。東北アジア歴史財団は、その根拠として大谷家に関する文書の中の「竹嶋近辺松嶋」、「竹嶋之内、松嶋」の文言に注目し、日本では「昔から"独島は欝陵島の附属島嶼(属島)"とみなしてきた」として、「欝陵島渡海禁止措置には当然、独島渡海禁止も含まれていた」と主張したのである。
だが「竹嶋近辺松嶋」と「竹嶋之内、松嶋」の文言を根拠に、松嶋(竹島)を欝陵島の属島とすることはできない。川上健三氏の『竹島の歴史地理学的研究』によると、この「竹嶋近辺松嶋」と「竹嶋之内松嶋」の文言は、万治二年(1659年)から寛文元年(1661年)頃にかけ、幕府の内意を得た鳥取藩米子の大谷・村川家が、松嶋(現、竹島)でも漁撈に従事することになる経緯を述べた部分に登場する。そこでの松嶋(竹島)は、竹嶋(欝陵島)に渡る道筋の島として、明記されているからだ。東北アジア歴史財団は、前後の文脈を無視して「竹嶋近辺松嶋」、「竹嶋之内、松嶋」の文言だけに着目し、松嶋(竹島)を欝陵島の属島と決め付けていたのである。だが「竹嶋近辺松嶋」、「竹嶋之内松嶋」の前後には、「来年御手前舟、竹嶋へ渡海、松嶋へも初而舟可被指越之旨」、「竹嶋渡海筋、松嶋への小舟の儀」等の記述がある。前者の「来年、お手前の舟、竹嶋へ渡海、松嶋へも初めて舟、指し越され」には、「来年、竹嶋(欝陵島)に渡海する際、松嶋(竹島)へも初めて舟が送られ」の意味があり、後者の「竹嶋渡海筋」は、文字通り欝陵島への渡海の道筋に松嶋(竹島)が在るとの意である。
東北アジア歴史財団は、「竹嶋近辺松嶋」と「竹嶋之内、松嶋」の文言から松嶋を欝陵島の属島と読んだが、その欝陵島と松嶋の位置関係は、寛文七年(1667年)8月、松江藩の齋藤豊仙が著した『隠州視聴合記』(「国代記」)によって確認ができる。そこでは隠岐島から「行二日一夜にして松島(現、竹島)あり。また一日の程にして竹島(現、欝陵島)あり」とされ、松嶋から欝陵島までは「一日の程」があるとされている。この航程は当然、「竹嶋近辺松嶋」、「竹嶋之内、松嶋」を説明するものでもある。航程が「一日の程」も離れた島を、軽々に属島とするだろうか。
現に、鳥取藩から幕府に提出された元禄八年(1695年)12月25日付の書付(「伯耆守江段々相尋候付、又々書付差出候覚」)(注1)には、「右松嶋、両国江附属ニ而ハ無御座候。竹嶋江渡海之筋ニ在之嶋ニ而御座候」と記され、松嶋(現、竹島)を「欝陵島に渡る道筋に在る島」と、明記しているからだ。松嶋を欝陵島に渡る「道筋」の島とするこの地理的認識は、元禄九年(1696年)正月23日付の松平伯耆守の覚でも示されており、「松嶋へ猟に参候儀、竹嶋へ渡海の節、通筋にて御座候故、立寄猟仕候」と、松嶋を欝陵島に渡る「通筋」の島としている。松嶋は、欝陵島の属島としては、認識されていなかったのである。
それを東北アジア歴史財団は、「竹島近辺松嶋」、「竹嶋之内松嶋」の文言にのみ着目して、日本では「昔から"独島は欝陵島の附属島嶼(属島)"とみなしてきた」証拠とし、「したがって1696年1月、欝陵島渡海禁止措置には当然、独島渡海禁止も含まれていた」としたのである。だがこの東北アジア歴史財団の反論は事実無根、牽強付会の憶説である。
大谷・村川家が「竹島近辺松嶋」、「竹嶋之内松嶋」での漁撈に関心を示し、幕府から内意を得るのは寛文年間。それは元和四年(1618年)(注2)、幕府が欝陵島への渡海を許した40年程後である。幕府の「渡海免許」に、属島としての松嶋(竹島)が含まれていれば、改めて幕府の内意を得る必要など、ないはずである。幕府の渡海免許の外に、松嶋での漁撈活動に内意を得ようとした事実は、渡海を許された竹嶋(欝陵島)に、松嶋(竹島)は含まれていなかった証である。それを東北アジア歴史財団は、「竹島近辺松嶋」、「竹嶋之内松嶋」の文言を曲解し、その事実無根の根拠に依拠して、「1696年1月、欝陵島渡海禁止措置には当然、独島渡海禁止も含まれていた」としたのである。
東北アジア歴史財団は、ここでも事実無根の歴史を捏造し、それを反論と称していたのである。歴史の事実として、江戸幕府が渡海を許したのは竹嶋(欝陵島)で、禁じたのも竹嶋(欝陵島)だったのである。その中に、属島としての竹島は入る余地がないのである。
(注1)『磯竹島事略』(竹島問題研究会編『竹島問題に関する調査研究』報告書(資料編)所収、16頁)
(注2)寛永二年(1625年)との説もある。
【韓国側の批判2】
日本政府が主張するように、"日本は欝陵島に渡る時、停泊場や魚採地として独島を利用"したという程度だったので、当初から独島渡海だけを目的とする"独島渡海免許"というものは存在しなかった。したがって別に"独島渡海禁止令"を下す必要がなかったのだ。17世紀末、欝陵島渡海禁止によって独島渡海も共に禁止されたと見ることが妥当だ
【東北アジア歴史財団による歴史の捏造】
この【韓国側の批判2】は、【韓国側の批判1】と同様、事実無根の批判である。東北アジア歴史財団としては、元禄九年1月28日、江戸幕府が渡海を禁じた欝陵島に、何としても現在の竹島(独島)が含まれていたとする歴史を、捏造したいのであろう。幕府が渡海禁止とした欝陵島に独島(竹島)が含まれていたとすれば、日本側は元禄九年(1696年)の時点で、竹島を日本領から除外したことになるからだ。そこで東北アジア歴史財団は、外務省も言及していない"独島渡海免許"や"独島渡海禁止令"等を勝手に争点とし、「欝陵島渡海禁止によって独島渡海も共に禁止されたと見ることが妥当だ」、としたのである。
だがすでに明らかにしたように、幕府の「渡海免許」には現在の竹島は含まれていない。それを東北アジア歴史財団は、何を根拠に「独島渡海も共に禁止されたと見ることが妥当だ」と、虚偽の主張をするのだろうか。それは独島(竹島)を欝陵島の属島とする先入見によって、竹島問題を論じているからである。だがそのためには、竹島が欝陵島の属島であったとする実証をしておかねばならない。
そこで韓国側が論拠としているのは、朝鮮政府が1770年に編纂した『東国文献備考』の分註である。そこには「輿地志に云う、欝陵・于山、皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂松島(現、竹島)なり」と、記されているからだ。韓国側ではこの分註に依拠して、日本の松島は韓国側の文献に登場する于山島とし、「欝陵・于山、皆于山国の地」を根拠に、松島(竹島)は欝陵島に属す島としてきたのである。
だがこの『東国文献備考』の分註については、すでに編纂の過程で改竄されていた事実が明らかになり、外務省の『竹島問題を理解するための10のポイント』でもその事実(注3)が指摘されている。韓国側には、竹島の領有権を主張する歴史的根拠がなくなってしまったのである。それは『東国文献備考』の分註に引用され、散逸したとされてきた柳馨遠の『東国輿地志』(注4)が発見され、分註の改竄が確認されたからである。柳馨遠の『東国輿地志』には、『東国文献備考』の分註に引用された「欝陵・于山、皆于山国の地。于山は則ち倭の所謂松島なり」の記述がなく、『新増東国輿地勝覧』の当該箇所を引用して、「一説、于山、欝陵本一島」とあったからだ。この柳馨遠の『東国輿地志』の出現で、『東国文献備考』の分註を根拠に「竹島を欝陵島の属島」とし、「于山島を日本の所謂松島とする」韓国側の根拠は、完全に崩れてしまったのである。
従って東北アジア歴史財団は、竹島が韓国領であったことを示す新たな根拠を提示する必要に迫られているのである。それができない限り、韓国側は歴史的根拠がないまま、竹島を不法占拠していることになるからである。
だが東北アジア歴史財団は、改竄が指摘された『東国文献備考』の分註については沈黙し、外務省の『竹島問題を理解するための10のポイント』を論難するための『日本が知らない10の独島の真実』を発表して、自らの侵略行為を正当化する隠蔽工作に走ったのである。そのため東北アジア歴史財団は元禄九年、幕府が禁止した欝陵島渡海の中に、属島としての竹島を含めようと躍起なのである。だが東北アジア歴史財団が掲げた「竹島近辺松嶋」、「竹嶋之内松嶋」には、松嶋を欝陵島の属島とする意味はなかった。東北アジア歴史財団による反論のための反論は、墓穴を掘っただけである。歴史的権原がないまま竹島を占拠し続ける韓国政府は、今や歴史事実の前に、謙虚になるべき時に来ているのである。
(注3)『竹島問題を理解するための10のポイント』(4頁)には次のように記されている。
「3.また、韓国側は、『東国文献備考』、『増補文献備考』、『萬機要覧』に引用された『輿地志』(1656年)を根拠に、「于山島は日本のいう松島(現在の竹島)と主張しています。これに対し、『輿地志』の本来の記述は、于山島と欝陵島は同一の島としており、『東国文献備考』等の記述は『輿地志』から直接、正しく引用されたものではないと批判する研究もあります。その研究は、『東国文献備考』等の記述は安龍福の信憑性の低い供述(5.参照)を無批判に取り入れた別の文献(『疆界考』(『疆界誌』)、1756年)を底本にしていると指摘しています」。
だが東北アジア歴史財団の『日本が知らない10の独島の真実』では、この指摘に対して沈黙を続け、竹島の領有権を主張する歴史的根拠が崩れたにもかかわらず、その事実を隠蔽している。東北アジア歴史財団の『日本が知らない10の独島の真実』を、『韓国が知らない10の独島の虚偽』とする理由がここにある。
(注4)柳馨遠『東国輿地志』(1656年)奎章閣蔵
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