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いにしえからの挑戦状_第2章_正解発表!!

挑戦状タイトル

 

 

※全問正解率は48.2%でした!「隠岐県」ご存じでしたか?(第29問)

※問題・正解・一言解説の一覧はこちら(PDFファイル

 

第1問_隠岐の久見神楽はどれ?

島根県内には出雲・石見・隠岐それぞれの地域で特色ある神楽が伝承され、現在、約250の神楽団体が活動していますが、隠岐神楽(島後久見神楽の「巫女舞」)は次のうちどれでしょう?

第1問画像A第1問画像B第1問C

Aの神楽
Bの神楽
Cの神楽

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

Bが隠岐神楽の一つ、島後久見神楽(隠岐の島町久見)の「巫女舞」です。Aは出雲神楽の一つ、見々久神楽(出雲市見々久町)の「田村」、Cは石見神楽の一つ、井野神楽の「鍾馗」(浜田市三隅町井野)です。

 

第2問_荒神谷遺跡の青銅器

358本の銅剣が出土した荒神谷遺跡では他にも青銅器が出土しています。では、荒神谷遺跡から出土していない青銅器は、次のうちどれでしょう?

A.銅鐸
B.銅矛
C.銅戈

 

 

 

 

 

 

【正解は…

・・・C】

荒神谷遺跡では銅剣の他に銅矛16本と銅鐸6個が発見されていますが銅戈は見つかっていません。銅戈とは柄の先端に直交するよう装着する武器ですが、島根県での出土例は少なく、出雲市の真名井遺跡で1点、益田市の水田ノ上遺跡で1点の合計2点しか見つかっていません。

 

第3問_出雲産の碧玉はどれ?

出雲は古墳時代には全国有数の玉の生産地でした。次の写真のうち、碧玉とよばれる石はどれでしょう?

第3問画像A第3問画像B第3問画像C

[すべて県埋蔵文化財調査センター所蔵]

Aの石
Bの石
Cの石

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

Aが碧玉で、Bは瑪瑙、Cは水晶です。どの石も玉の材料として利用されました。これらの石が採取できた松江市の花仙山とその周辺は、古墳時代には日本の玉作の中心地となりました。ちなみに花仙山は『出雲国風土記』には「玉作山」と記されています。

 

第4問_岩盤に掘られた古墳時代の横穴

次の写真は安来市で見つかった古墳時代の遺跡です。山の斜面の岩盤に、たくさんの横穴が掘られています。この横穴は、古墳時代に何に使われたでしょう?

第4問画像

A.住居
B.修行
C.お墓

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

遺体を埋葬するための施設で、横穴墓(おうけつぼ・よこあなぼ)と呼ばれています。全国に見られますが、島根県は非常に多く分布する地域のひとつです。写真は安来市にある高広横穴墓群の発掘当時の様子です。

 

第5問_隠岐国から平城京へ

平城京など、奈良の都の遺跡からは、隠岐国から税として運ばれたものに伝票として付けられていた木簡が多数出土しています。ではその木簡からわかる、隠岐国から都に運ばれたものは何でしょう?

第5問画像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[平城京から出土した木簡(複製品、古代出雲歴史博物館蔵)]

A.お米
B.海産物
C.鉄

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

隠岐国からはワカメ、ノリ、アワビ、イカなどさまざまな海産物が都に運ばれ、天皇や貴族が食しました。お米や鉄といった重いものは、隠岐国ではなく都に近い国から運ばれる決まりでした。

 

第6問_尼子義久に名前を授けた将軍

戦国時代末期の出雲の戦国大名・尼子義久に、自分の名前の一文字を与えて名乗らせた、室町幕府第13代将軍は誰でしょう?

A.足利義満
B.足利義教
C.足利義輝

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

尼子義久は13代将軍足利義輝から「義」字を与えられて「義久」と名乗り、将軍との結びつきをアピールしました。3代将軍足利義満や6代将軍足利義教のころ、尼子氏はまだ本家の京極氏から分かれておらず、将軍から一字を与えられることはありませんでした。

 

第7問_たたら製鉄でふいごを踏むのは?

島根で盛んだったたたら製鉄では、送風機である「ふいご」を3~4日の間、絶えず踏み続ける必要があります。では、交代でふいごを踏む役割の人のことを、何と呼ぶでしょう?

A.番子
B.村下
C.炭坂

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

炉内の温度を下げないよう絶えず踏み続ける必要があるため、3交代でおこなう重労働だったようです。この様子から「かわりばんこ」の語が生まれたと言われています。なお村下はたたらを取り仕切る職長、炭坂はそれに次ぐ職名です。

 

第8問_将軍家へ献上していた出雲の名物

江戸時代には、季節ごとに諸藩が将軍家へ国元の特産品を献上する「時献上」という儀礼がありましたが、松江藩が献上していたのは何でしょう?

A.しじみ
B.蕎麦(そば)
C.十六島海苔(うっぷるいのり)

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

松江藩が時献上していた名物には十六島海苔のほか、友嶋の鰤(ブリ)や大庭の梨子などがありました。蕎麦は松江藩7代藩主治郷が大層好んだと言われています。しじみは幕末頃作成の「出雲名物番付」にも記載のある名物でした。

 

第9問_美保神社「えびすさん」の好きなもの

松江市の美保神社には、祭神である事代主神(えびすさん)が好まれるという言い伝えにちなんだあるものが、江戸時代以降数多く奉納されています。それは次のうちどれでしょう?

第9問画像

[松江市_美保神社]

A.文房具
B.鉱物
C.楽器

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

美保神社の祭神である事代主神は、海上安全や商売繁盛など様々な福徳を授ける「えびすさん」として親しまれています。また、歌舞音曲の守護神としても知られているため、美保神社には和楽器や洋楽器などが多数奉納され、幕末に奉納された日本最古のスイス製オルゴール等などが現在にまで伝わっています。

 

第10問_石見神楽「大蛇」のヒント

石見神楽の「大蛇退治」などに登場する、約17メートルに及ぶ長い胴体を持った大蛇は、明治時代に考案されましたが、そのヒントとなったと言われるものは何でしょう?

第10問画像

[石見神楽の「大蛇退治」]

A.土管
B.提灯(ちょうちん)
C.ストロー

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

提灯の伸縮自在な形状から和紙と竹で作った蛇胴が考案されました。それまでの石見神楽の大蛇は短い尻尾が付いた布製の衣装だったと言われ、提灯蛇胴の誕生により石見神楽の「大蛇退治」は大きく変化しました。

 

第11問_初めて確認された四隅突出型墳丘墓

1968年から69年にかけて、島根県邑南町で全国で初めて、四隅突出型墳丘墓が発掘調査で確認されました。この「第1号」の四隅突出型墳丘墓は、次のうちどれでしょう?

A.順庵原1号墓
B.西谷3号墓
C.宮山IV号墓

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

四隅突出型墳丘墓は弥生時代の山陰、中国山地、北陸に築造された墳墓で、当初は古墳の一種と考えられ「四隅突出型方墳」と呼ばれていましたが、研究がすすみ弥生時代の墳墓であることがわかりました。ちなみに考古学では古墳時代の盛土をした墳墓を「古墳」、弥生時代の盛土をした墳墓を「墳丘墓」と呼んでいます。

 

第12問_かわらけ谷の大刀のデザイン

次の写真は、握りの下端部(柄頭)に、ある2匹の生き物が玉をくわえる形をデザインした装飾付大刀(かわらけ谷横穴墓群出土)です。こうしたデザインは中国や朝鮮半島に起源があると言われています。さて、その生き物は、次のうちどれでしょう?

第12問画像

[安来市かわらけ谷横穴墓群の大刀(古代出雲歴史博物館蔵)]

A.タツノオトシゴ
B.龍
C.エビ

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

大刀の柄頭には、龍のほかには鳳凰や獅子のような獣をデザインしたものが知られています。製作年代が古いものは、龍や鳳凰の姿がよくわかりますが、この柄頭はデザインの簡略化がかなり進んでいることから、6世紀終わりから7世紀初めごろに製作されたものと考えられています。

 

第13問_出雲の石棺式石室はどれ?

古墳時代後期、出雲地域の古墳では、家形の石棺を石室とした「石棺式石室」と呼ばれる横穴式石室がみられます。では、「石棺式石室」の写真は、次のうちどれでしょう?

第13問画像A第13問画像B 第13問画像C

Aの写真
Bの写真
Cの写真

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

Bが安来市飯梨岩舟古墳の石棺式石室です。石棺式石室は出雲のなかでも東部に多く、大きな板石をしっかりと組み合わせて四方の壁や床、天井を構築しています。Aの松江市安部谷横穴墓群は岩盤の斜面に直接掘り込まれた横穴墓で、Cは松江市徳連場古墳の舟形石棺です。

 

第14問_風土記時代の入海でとれた七珍

「すもうあしこし」で有名な宍道湖七珍のうち、奈良時代の『出雲国風土記』にも入海でとれる産物として記されているのは、次のうちどれでしょう?

第14問画像

[宍道湖七珍]

A.シジミ
B.アマサギ
C.スズキ

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

宍道湖七珍は「スズキ・モロゲエビ・ウナギ・アマサギ・シラウオ・コイ・シジミ」で、それぞれの頭文字を取って「すもうあしこし」と呼ばれています。スズキ(須受枳)は入海(今の宍道湖)や神門水海(今の神西湖)でとれる魚だと『出雲国風土記』に記されています。シジミは奈良時代の遺跡からたくさん貝殻が出土しますが、なぜか『出雲国風土記』には出てきません。

 

第15問_小野篁流罪の原因

平安時代初期の歌人として知られる小野篁(おののたかむら)は、838年に隠岐国に流されました。隠岐には彼にまつわる伝説の場所が数多くのこっています。では流罪に処せられた原因となった、彼の行動とは何でしょう?

A.遣唐使を辞退
B.庶民を迫害
C.平安京の内裏を放火

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

遣唐副使だった篁は、自身の乗船する予定だった船を替えられて激怒し、病と称して辞退しました。庶民を迫害したことで有名なのは尾張国司の藤原元命で、彼は988(永延2)年に同国の郡司や百姓の訴えにより任を解かれました。また、866(貞観8)年に平安宮(大内裏)の応天門を放火した罪で流罪となったのは伴善男で、彼は伊豆国に流されました。

 

第16問_三隅氏ゆかりの禅寺

中世の石見国では、「御神本」と呼ばれる一族がいくつかに分かれて勢力を張っていました。その一族のうちの三隅氏とゆかりが深く、貴重な三隅氏の系図も所蔵している、下の写真の寺院は、次のうちどれでしょう?

第16問画像

A.永明寺
B.萬福寺
C.龍雲寺

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

龍雲寺(浜田市)は三隅信兼が無端祖環を招いて開山したと伝わる曹洞宗寺院です。萬福寺(益田市)は三隅氏と同じく御神本一族の一流・益田氏の菩提寺です。永明寺は津和野町の曹洞宗寺院で、益田氏と対抗関係にあった吉見氏と所縁の深い寺院です。

 

第17問_現存最古の大社造り

現存する最古の「大社造り」の神社本殿として、1952年に国宝に指定されたのは、次のうちどれでしょう?

A.神魂神社本殿
B.出雲大社本殿
C.水若酢神社本殿

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

現在の神魂神社本殿(松江市)は1583(天正11)年に造られました。Bの出雲大社本殿(出雲市)は、全国一「高い」本殿ではありますが、1744(延享元)年造営で、国宝に指定されています。Cの水若酢神社本殿(隠岐の島町)は「大社造」から派生したとされる「隠岐造」という建築様式で、1795(寛政7)年造営です。国の重要文化財に指定されています。

 

第18問_京極忠高の築いた大土手

若狭国の領主だった京極忠高は、1634(寛永11)年に堀尾家にかわって出雲国へ入国しましたが、その翌年から始めたとされる斐伊川の氾濫対策事業で築いた大土手を俗に何というでしょう?

A.京極土手
B.若狭土手
C.出雲土手

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

京極忠高は大坂より水利学者川口昌賢を招き斐伊川の治水工事を行いました。この大土手は忠高の官名若狭守から「若狭土手」と呼ばれました(あるいは「帯刀土手」とも)。しかし、同氏の断絶によりその完成は続く松平氏の時代でした。忠高による治水工事は斐伊川のほか伯太川でも行われました。

 

第19問_浜田藩主が駅鈴を送ったのは…

江戸時代の浜田藩主松平康定は、ある人物から源氏物語の講釈を受けたお礼に、隠岐国の駅鈴の模造品を送っています。では、江戸時代の有名な国学者でもあるその人物は、次のうち誰でしょう?

A.本居宣長
B.賀茂真淵
C.平田篤胤

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

1795(寛政7)年、浜田藩主松平康定が伊勢神宮に参拝する途中に松阪に泊まった際に、本居宣長が康定に招かれて『源氏物語』の講釈をしました。その時、宣長は康定から隠岐国駅鈴の模造品を授かっています。ちなみに、鈴の音を好んだ宣長の書斎は「鈴屋」と名がつけられています。

 

第20問_隠岐・海軍遺跡出土のダニエル○○

隠岐の島町の御崎谷遺跡は、日露戦争の時の海軍の望楼跡として有名です。次の写真はその遺跡からの出土品ですが、これは何でしょう?

第20問画像

[県埋蔵文化財調査センター所蔵]

A.電池
B.機雷
C.弁当箱

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

写真はダニエル電池の容器です。ダニエル電池は亜鉛板と希硫酸をを白い磁器の容器に、銅板と硫酸銅を赤い素焼きの容器に入れて放電するしくみの電池です。御崎谷遺跡では、日露戦争(1904年~1905年)が勃発する前の1898年に設置された「西郷海軍望楼」の遺構が見つかっています。ダニエル電池は無線電信機の電力に使用されていたと考えられます。

 

第21問_往年のスプリンター吉岡隆徳

出雲市湖陵町出身の吉岡隆徳は、1932年ロサンゼルス五輪の男子100メートル走で6位入賞を果たしました。彼は現在でも、オリンピックの100メートル走における日本人唯一の決勝進出者です。では、当時彼につけられた異名は何でしょう?

A.暁の超特急
B.負けず屋
C.常勝将軍

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

「暁の超特急」とよばれた吉岡隆徳(たかよし)は、1935年には100メートル10秒3の当時の世界タイ記録をマークしました。「負けず屋」は松江市出身の幕末の力士陣幕久五郎、「常勝将軍」は松江市出身の戦前の囲碁棋士野沢竹朝の異名です。

 

第22問_松江市青年会主催の○○オリンピック

では、その吉岡隆徳を輩出するなど、山陰陸上競技界を牽引した、大正時代に始まった競技会は、次のうちどれでしょう?

A.松江オリンピック
B.島根オリンピック
C.山陰オリンピック

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

松江市青年会主催の山陰オリンピックはのちに「山陰陸上競技選手権大会」と改められ、現在も松江市で開催されている「全山陰陸上競技大会」へと続く歴史のある大会です。この大会からは多くの優秀な陸上競技選手が誕生しました。

 

第23問_石見地方の珍しい稲穂掛け

石見地方のある地域では、刈り取った稲を次の写真のように掛けますが、その形がある生き物と似ていると言われています。その生き物とは次のうちどれでしょう?

第23問画像

[ヨズクハデ]

A.キツネ
B.フクロウ
C.クモ

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

大田市温泉津町西田地区では、刈り取った稲500束ほどを使って「ヨズクハデ」と呼ばれる稲掛けを作ります。ヨズクとはフクロウのこと、ハデとは稲掛けのことで、フクロウが羽根を休めている姿に見えることからこう呼ばれます。

 

第24問_頼政の○○退治

石見神楽には、平安時代の武士・源頼政が活躍する「頼政」という演目が存在しますが、この話に登場する空想上の生き物はどれでしょう?

A.大蛇(おろち)
B.猩猩(しょうじょう)
C.鵺(ぬえ)

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

石見神楽の演目「頼政」は平安時代の武士・源頼政が、頭は猿、体は狸、尾は蛇、手足は虎の奇怪な獣・鵺を退治する内容です。石見神楽の代表的な演目の一つには大蛇(八岐大蛇)が登場する「大蛇」もありますが、これはスサノオノミコトによる大蛇退治の内容です。猩猩は、能の演目で猿に似た姿をした酒好きの動物として描かれる空想上の生き物で、鳥取県鳥取市宇部神社の麒麟獅子舞では先導役としても登場します。

 

第25問_京都祇園会と島根の芸能

次のA・B・Cの芸能は、いずれも国の重要無形民俗文化財に指定されている伝統あるものです。長い歴史を有するこれらの芸能の内、京都・八坂神社の祇園会と深く関係するとされるものはどれでしょう?

第25問画像

A.大土地神楽
B.大元神楽
C.鷺舞

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

鷺舞は、古く京都の祇園会で演じられていたものが山口の祇園会を通じて津和野町の弥栄神社の祭礼に伝えられたとされています。大土地神楽は、出雲市大社町に伝わる神楽で、大土地荒神社の例大祭などの祭礼で奉納されています。大元神楽は、邑智郡を中心に江津市と浜田市の一部に伝承される神楽で、域内各地の式年祭で実施されています。

 

第26問_壬申の乱で出雲○○が活躍

672年、皇位継承争いをきっかけとした壬申の乱が起こりました。『日本書紀』には、島根にゆかりのある、ある人物がその乱で活躍したことが記されています。さて、それは誰でしょう?

A.出雲振根
B.出雲臣狛
C.出雲臣広島

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

出雲臣狛は大海人皇子(のちの天武天皇)軍として、大友皇子側の城を攻略するなどの活躍をし、702年には従五位下を授けられました。出雲振根は『日本書紀』にみえる出雲大神の神宝の献上に関わる伝承に登場する人物です。出雲臣広島は奈良時代の出雲国造で、『出雲国風土記』の編さん者としても有名です。

 

第27問_法に背く石見国司を襲撃

平安時代の884(元慶8)年、石見国司の上毛野氏永の政治が法律に従っていないことに怒り、立ち上がった人たちが、氏永を襲撃する事件が起きました。では、立ち上がったのはどんな人たちでしょう?

A.郡司(郡の役人)
B.僧侶
C.神主

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

邇摩郡司と那賀郡司が中心になって、石見国守上毛野氏永を襲撃しました。処罰が決まったのは2年後の886(仁和2)年で、襲撃した郡司は懲役刑あるいは罰金刑が課され、襲撃された氏永も国司の職や位階が剥奪されました。

 

第28問_尼子氏の再興戦争

出雲の戦国大名・尼子氏は、毛利氏との攻防の末降伏し月山富田城を開城しますが、その後、山中幸盛(鹿介)たち旧家臣団が尼子家再興の兵を挙げます。この時、彼らに擁立された人物は、次のうちどれでしょう?

第28問画像

[古代出雲歴史博物館所蔵写真を加工]

A.尼子経久
B.尼子勝久
C.尼子倫久

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

尼子勝久は、尼子氏旧家臣団に擁立されて度々月山富田城を攻撃しますが、上月城の戦いで自刃します。倫久は毛利氏に降伏した当主・義久の弟で、毛利氏に従い朝鮮出兵に参加、関ヶ原の戦いでは近江国大津膳所城の城番を務めた人物。経久は、義久の曾祖父にあたる人物で、尼子氏が戦国大名として急成長するきっかけを作りました。

 

 

第29問_隠岐は明治2年に何県に?

幕末の動乱のなか、隠岐は松江藩の代官を追放し1年ほど住民自治を行いました。その後1869(明治2)年、明治政府による知県事の任命・着任などで、事態は沈静化しますが、このとき隠岐は最初に何県となったでしょう?

A.鳥取県
B.隠岐県
C.浜田県

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

隠岐の1年に及ぶ住民自治は隠岐騒動と呼ばれています。1869(明治2)年2月から半年ほど隠岐県となり、その後大森県・浜田県に所属します。さらにのちに一時鳥取県にも編入されましたが、1876(明治9)年以降は島根県となりました。

 

第30問_浜田地震で湧いた温泉

1872(明治5)年に起きた浜田地震はマグニチュード7.1と推定される大地震でしたが、この地震により温泉地で新たな湯が湧出したと伝わるのはどこでしょう?

第30問画像

[震湯カフェ内蔵丞]

A.海潮温泉
B.木部谷温泉
C.温泉津温泉

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

温泉津温泉(大田市温泉津町)では浜田地震によって「新湯」が新たに出現したとされており、戦前の観光パンフレット『島根県温泉津案内』にも「旧温泉」と「新温泉」が分けて記載されています。海潮温泉(雲南市大東町)は、江戸時代から多くの人に親しまれ、歴代の松江藩主も訪れました。木部谷温泉(鹿足郡吉賀町)は、1970(昭和45)年のボーリングにより全国でも珍しい間欠泉(一定時間をおいて噴出する温泉)となりました。

 

 

 

 

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