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- いにしえからの挑戦状_第1章正解
いにしえからの挑戦状_第1章_正解発表!!
今回の全問正解率は24.9%でした!第9問が難問だったかな?
※問題・正解・一言解説の一覧はこちら(PDF)
第1問_隠岐産の黒曜石
下の写真は旧石器時代に石器の材料として利用された石です。このうち中国地方の多くの遺跡でみつかる、隠岐産の黒曜石はどれでしょう?
Aの石
Bの石
Cの石
【正解は…
・・・B】
Bが黒曜石で、Aは水晶、Cは安山岩です。全て島根県の遺跡で出土したものです。黒曜石は火山活動で生成される天然ガラスで産出地が限られます。
第2問_「歌聖」とよばれる万葉歌人
『万葉集』の歌人で「歌聖」ともよばれ、石見国に国司としてやってきて多くの歌をのこしたのは誰でしょう?
[『百人一首(国文研蔵)』を改変(CCBY-SA4.0)]
A.大伴家持
B.門部王
C.柿本人麻呂
【正解は…
・・・C】
石見地方には人麻呂の歌の舞台とされる場所や人麻呂をまつった神社など、人麻呂ゆかりの地が多くあります。大伴家持は『万葉集』の編者とされています。門部王も『万葉集』の歌人で、出雲国司としてやってきて、出雲にまつわる歌をのこしています。
第3問_出雲大社の巨大神殿
2000年、出雲大社境内で巨大神殿を支える柱「宇豆柱」が発見されましたが、この柱はいつごろのものと考えられているでしょう?
A.平安時代
B.鎌倉時代
C.室町時代
【正解は…
・・・B】
2000年に出雲大社境内で発見された「宇豆柱」は、鎌倉時代の1248(宝治2)年に遷宮が行われた社殿と考えられています。この「宇豆柱」は国の重要文化財に指定されており、古代出雲歴史博物館で常設展示されています。
第4問_島根で発明「たたら製鉄」の送風機
江戸時代、たたら製鉄において炉内に風を送るための足踏み式の装置が石見地方で発明され、鉄の生産量が飛躍的に増大しました。さて、その装置の名前は何でしょう?
(古代出雲歴史博物館蔵)
A.天秤ふいご
B.羽口
C.高殿
【正解は…
・・・A】
17~18世紀の天秤ふいごの開発によって、製鉄炉への送風能力が向上するとともに必要な労働力も軽減され、生産効率は従来の2倍になったと言われています。羽口は炉とふいごをつなぐ送風管、高殿は炉が設けられた建物を指します。
第5問_加茂岩倉遺跡出土10号銅鐸
加茂岩倉遺跡からは39個もの銅鐸が出土しましたが、そのうちの10号銅鐸の鈕(ちゅう)部分には生き物が描かれています。これは何でしょう?
(↓拡大)
[文化庁蔵、古代出雲歴史博物館保管]
A.トンボ
B.シカ
C.ウミガメ
【正解は…
・・・C】
加茂岩倉遺跡では7個の銅鐸に絵画が描かれています。トンボ、シカ、人の顔などが描かれていますが、ウミガメが描かれているのは10号銅鐸だけです。出土したすべての銅鐸は国宝に指定され、古代出雲歴史博物館で常設展示されています。
第6問_平所遺跡の「○○の鹿」
下の写真は、国の重要文化財に指定されている、松江市平所遺跡から出土した鹿形埴輪です。通称、何と呼ばれているでしょう?
A.驚きの鹿
B.見返りの鹿
C.考える鹿
【正解は…
・・・B】
耳を立て後ろを振り返る姿から「見返りの鹿」と呼ばれています。平所遺跡では鹿以外に人間、馬、家など色々な形の埴輪が出土しています。これらの埴輪は国の重要文化財に指定され、八雲立つ風土記の丘展示学習館で常設展示されています。
第7問_隠岐諸島『古事記』に登場
『古事記』の神話では、イザナキ・イザナミが日本列島のさまざまな島を生んだと語られています。では隠岐諸島の名前は何と書かれているでしょう?
A.隠伎の双子島
B.隠伎の三つ子島
C.隠伎の四つ子島
【正解は…
・・・B】
現在の隠岐諸島は主に四島で構成されていますが、「隠伎の三つ子島」は島前の三島を指すと考えられています。島後が三つ子の親に見立てられているとする説もあります。
第8問_「因幡の白うさぎ」
オオクニヌシがサメに襲われたウサギを助ける、いわゆる「因幡の白うさぎ」の神話は、奈良時代のどの書物に記されているでしょう?
A.古事記
B.日本書紀
C.出雲国風土記
【正解は…
・・・A】
『古事記』にはほかにも根の堅州国での須佐之男命の試練の話など、大国主命が活躍するさまざまな神話が語られていますが、実はそれらは『日本書紀』では全く記されていません。
第9問_中世杵築大社の主祭神
出雲大社は江戸時代まで杵築大社ともよばれていましたが、中世の杵築大社の主祭神は、次のうちどの神様だったでしょう?
A.アマテラス
B.スサノオ
C.オオクニヌシ
【正解は…
・・・B】
古代、あるいは江戸時代から現在まで出雲(杵築)大社の祭神とされたのはオオクニヌシ(オオナムチ)でしたが、中世ではスサノオが祭神とされました。これは古代と大きく異なった中世独自の神話観によるもので、鰐淵寺の蔵王信仰とも密接に関係していたと考えられています。また、『古事記』『日本書紀』などで皇祖神として登場するアマテラスはスサノオの姉とされています。
第10問_承久の乱で隠岐へ
古来隠岐は流罪の地でしたが、鎌倉時代の1221年、承久の乱で鎌倉幕府側に敗れ、隠岐に流されたのは次のうち誰でしょう?
[『頭書和歌注訳(国文研蔵)』を改変(CCBY-SA4.0)]
A.後鳥羽上皇
B.後醍醐天皇
C.後白河法皇
【正解は…
・・・A】
後鳥羽上皇は『新古今和歌集』を編さんしたことでも有名です。1239年、流された隠岐でなくなりました。後醍醐天皇は鎌倉時代末期に幕府と対立し隠岐に流されましたが、のちに脱出し帰京して建武の新政を行いました。後白河法皇は平安時代末期の天皇でのちに出家しました。院政をしいて大きな権力をもち、また歌謡書を編集するなど、文化事業でも後世に大きな影響をあたえました。
第11問_西ノ島町の由緒ある芸能
隠岐には近畿地方との関係の深い祭礼や芸能が現在まで数多くのこっていますが、このうち西ノ島町の美田八幡宮・日吉神社で行われる、中世に起源をもつとされる芸能は何でしょう?
A.鷺舞
B.田楽・庭の舞
C.蓮華会舞
【正解は…
・・・B】
美田八幡宮では「田楽」、日吉神社では「庭の舞」と呼ばれる類似した祭礼が、隔年で交互に奉納されています。鷺舞は津和野町の弥栄神社で行われる祭礼、蓮華会舞は隠岐の島町の隠岐国分寺に伝わる舞楽系の芸能です。
第12問_大名茶人で知られる松江藩主
下の自画像は、江戸時代中期のある松江藩主のものです。これは誰でしょう?
A.松平治郷
B.松平直政
C.松平定安
【正解は…
・・・A】
松平治郷は「御立派の改革」と呼ばれる藩政改革を行い、財政再建を図りました。また、大名茶人として石州流不昧派を興し、「不昧公」の名で今も多くの人に親しまれています。松平直政は松平家初代藩主で、1638年に信濃の松本藩から松江藩に移りました。松平定安は最後の松江藩主で、西洋技術を積極的に導入しました。
第13問_山陰出身初の首相
松江市雑賀町に生まれた政治家で、山陰両県出身者で初めて総理大臣になった人物は誰でしょう?
A.福岡世徳
B.若槻礼次郎
C.櫻内幸雄
【正解は…
・・・B】
若槻礼次郎は、大蔵省に入った後の1926年、59歳で総理大臣となりました。歴代首相のうち山陰出身者は若槻礼次郎と竹下登の2人だけです。福岡世徳は初代松江市長、櫻内幸雄は第2次若槻内閣の商工大臣を務めた人物です。
第14問_奥出雲町の風土記ゆかりの名勝
女神に恋したワニ(サメ)が川をさかのぼってきたという、『出雲国風土記』の神話の舞台はどこでしょう?
A.琴引山
B.鬼の舌震
C.玉峰山
【正解は…
・・・B】
『出雲国風土記』では「恋山(したいやま)」とあります。大岩が川をふさぐように連なっており、紅葉の名所としても有名です。琴引山は大穴持命の琴があるとされ、玉峰山は玉上神が鎮座すると記されています。
第15問_不老長寿の比丘尼の隠岐伝説
隠岐の島町・玉若酢命神社の境内にある、国の天然記念物にもなっている写真の木は何でしょう?
A.しだれ桜
B.スダジイ
C.八百杉
【正解は…
・・・C】
伝説では、若狭国から比丘尼がやって来て杉を植えて、「800年後にまたここに来るだろう」と言ったことがその名の由来とされています。邑南町雪田長源寺や江津市川平町山本のしだれ桜、また松江市八雲町志多備神社のスダジイは、県指定天然記念物となっています。
第16問_本州最西端の銅鐸
1924年、島根県のある遺跡から銅鐸2個が発見されました。本州最西端の銅鐸出土地としても知られるこの遺跡は、次のうちどれでしょう?
A.中野仮屋遺跡
B.上条遺跡
C.志谷奥遺跡
【正解は…
・・・B】
浜田市の上条遺跡、邑南町の中野仮屋遺跡ではそれぞれ2個の銅鐸が出土していますが、本州最西端の出土地は上条遺跡です。また志谷奥遺跡では3個の銅鐸の他に銅剣6本が出土しています。
第17問_卑弥呼の鏡が島根に?
神原神社古墳から出土した三角縁神獣鏡には、中国のある年号が記されています。この年号の記された銅鏡は国内に2点しかありません。さて、その年号は次のうちどれでしょう?
[文化庁蔵、古代出雲歴史博物館保管]
A.永初元年
B.建武中元二年
C.景初三年
【正解は…
・・・C】
「景初」は中国の三国時代の魏の元号です。景初三年は239年にあたり、邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送り銅鏡100枚を賜ったとされる年です。「景初三年」銘のある銅鏡は、ほかに大阪府和泉市の和泉黄金塚古墳でも出土しています。
第18問_『出雲国風土記』の文字数
奈良時代の出雲国の情報を網羅する『出雲国風土記』は、ほぼ完全な形で現在に伝わる唯一の風土記ですが、全部で何文字で書かれているでしょう?
A.約700文字
B.約7000文字
C.約17000文字
【正解は…
・・・C】
現存する5つの風土記のうち『出雲国風土記』は最も文字数が多く、その内容がほぼ完全に今に伝わっています。記されている出雲の地名は800にものぼります。ちなみに、次に文字数が多いのが今の兵庫県南部にあたる『播磨国風土記』の約12,000字で、360か所ほどの地名が伝わります。
第19問_石見国の○○で「斉衡」に改元
平安時代の854年、石見国でのある出来事がきっかけとなり、「斉衡」に改元されました。さて、それは何でしょう?
A.あまい水(醴泉)が出た
B.金が出た(産金)
C.珍しい亀(白亀)が出た
【正解は…
・・・A】
あまい水(醴泉)は祥瑞(縁起のよいしるし)とされていました。報告した石見国美濃郡の郡司には高位が与えられ、また美濃郡の人々の税も免除されました。奈良時代には金が出たことで「大宝」、白い亀が出たことで「神亀」などの改元が行われました。
第20問_日本海を渡った外交使節
平安時代のはじめ、出雲や隠岐にある国の使節がやってきました。その使節とは、次のうちどれでしょう?
A.遣唐使
B.渤海使
C.朝鮮通信使
【正解は…
・・・B】
渤海は7世紀末から10世紀初めに中国東北部にあった国。出雲や隠岐に来着した渤海の人々は、入京を許されず帰国させられたこともありました。古代の日本から中国・唐に派遣されたのが遣唐使です。朝鮮通信使は江戸時代に朝鮮国王が幕府に派遣した使節です。
第21問_「安来(やすき)」はどれ?
中国・明時代につくられた日本地図『日本図纂』や『籌海図編』には島根の地名がたくさん出てきます。それらは一音を漢字一字であらわす表音文字で記されていますが、次の地名のうち、「安来(やすき)」を示すのはどれでしょう?
A.有奴子
B.番場羅
C.也生忌
【正解は…
・・・C】
『日本図纂』や『籌海図編』には「也生忌(安来)」の他に「有奴子」(温泉津)「番馬羅・番馬搭」(浜田)など、日本海沿岸の島根県内地名が「寄語」と呼ばれる表音文字で記載されています。
第22問_大航海時代の地図に島根の名所
ポルトガルのテイセラがつくった『日本図』には、当時ヨーロッパで有名だった島根のある場所が「Argenti_fodinae」と記されています。さて、これは何を指すでしょう?
[古代出雲歴史博物館蔵]
A.出雲大社
B.石見銀山
C.松江城
【正解は…
・・・B】
『日本図』には「Hivami」(石見)、「Hizumi」(出雲)とともに、石見銀山を指すと思われる「Argenti_fodinae」(銀鉱山)が記されています。
第23問_歴代松江藩主の墓所
徳川家康の孫の松平直政をはじめ、歴代の松平家松江藩主の墓所がある松江市のお寺はどこでしょう?
A.成相寺
B.月照寺
C.華蔵寺
【正解は…
・・・B】
松江藩初代藩主の松平直政は1664年、母月照院の霊碑を安置するために月照寺を建立しました。四代藩主吉透以降は、江戸と松江の両方に墓所がありましたが、関東大震災を機に月照寺に統合されました。
第24問_島根の飢饉を救った「○○代官」
江戸時代中期の享保の飢饉のとき、石見国でサツマイモの移植に尽力した大森代官は、誰でしょう?
A.大久保長安
B.川崎平右衛門
C.井戸平左衛門
【正解は…
・・・C】
井戸平左衛門は飢饉対策としてその他にも大幅な年貢の減免政策を行いました。多くの領民が飢餓から救われたことから、後年、山陰各地に「芋代官」の頌徳碑が建てられました。今でも、頌徳碑前に甘藷の初穂を供え感謝の念を捧げる「芋法要」の風習が残る地域があります。大久保長安は関ヶ原の戦い後、銀山奉行として石見銀山の再開発にあたりました。川崎平右衛門は代官として大田市にあった波根湖の新田開発と治水、また石見銀山の経営改善に尽力しました。
第25問_山陰初の灯台
1898(明治31)年に、山陰地方で最初に設置された灯台は、次のうちどれでしょう?
A.美保関灯台
B.日御碕灯台
C.西郷岬灯台
【正解は…
・・・A】
歴史的、文化的、建築技術的に高く評価された美保関灯台は、2007年に県の登録有形文化財となりました。なお、日御碕灯台は1903(明治36)年、西郷岬灯台は1921(大正10)年にそれぞれ建てられました。
第26問_「山」「水」「土」が組み合わさると?
下の写真は、出雲国府跡から出土した土器に書かれていた文字で、「山」「水」「土」が組み合わさっています。さて、何という意味でしょう?
A.天
B.地
C.人
【正解は…
・・・B】
これは700年頃の中国の女帝・則天武后が制定した則天文字です。土の上に山・水があることを意味します。ほかには「水戸黄門」のモデルとされる徳川光圀の「圀」も則天文字です。
第27問_益田氏の七尾城の門をお寺に
下の写真は島根県指定文化財となっている、あるお寺の門です。中世益田氏の拠点である七尾城の大手門を移転したと伝わる、この門のあるお寺はどれでしょう?
A.医光寺
B.福王寺
C.萬福寺
【正解は…
・・・A】
現在の医光寺の総門は、七尾城大手門を移転したものとされており、戦国時代末期の高麗門の姿を現在に伝えています。福王寺、萬福寺も益田市内に所在する寺院で、福王寺石造十三重塔(県指定文化財)や萬福寺本堂(国重要文化財)などの文化財を今に伝えています。
第28問_津和野の吉見正頼が写した○○物語
室町時代の津和野の領主・吉見正頼は、ある有名な文学作品を入手し書き写しています。その書き写した本は現在まで伝わり国の重要文化財となっていますが、それは何でしょう?
A.源氏物語
B.平家物語
C.竹取物語
【正解は…
・・・A】
『源氏物語』の最良本とされる大島本(古代学協会所蔵・国重要文化財)の「桐壺」「夢浮橋」にみえる永禄7年(1574)の奥書には、吉見正頼が入手し写本を作成したことが記されています。
第29問_分銅型が刻まれた石垣
戦国時代や江戸時代の城の石垣には、築城した大名家の家紋が刻まれた石がよくみられます。下の写真は島根のある城の石垣です。この城は次のうちどれでしょう?
(↓拡大)
A.浜田城
B.月山富田城
C.松江城
【正解は…
・・・C】
分銅文は松江城を築城した堀尾家の家紋です。松江城では16個の分銅文の刻印がある石が確認されています。他に「△」、「扇に一」などの刻印のある石もあり、刻印や墨書のある石は現在のところ1011個も見つかっています。
第30問_隠岐汽船のルーツ
明治時代、私財を投げうって蒸気船を買い、隠岐と島根本土を結ぶ隠岐航路を開いた人物は誰でしょう?
A.岡崎運兵衛
B.中沼了三
C.松浦斌(さかる)
【正解は…
・・・C】
西ノ島町焼火神社の宮司であった松浦斌は、隠岐汽船の基礎を築くとともに、明治初期の隠岐島振興に大きく貢献しました。一方で、斌は資金捻出のため所有する焼火山の多くの山林を売却したため、焼火山ははげ山と化しました。
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