2月8日質問項目2
2.新型コロナウイルス感染症
○NHK:NHKの猪俣です。お願いします。
先ほどお話があったと思うんですけれども、コロナのワクチンが、まさに秋冬、今日の厚労省の部会で示されたということで、重症化リスクの方には追加の接種も留意するというようなことも含まれていますけれども、経済とは別に、安全面ですとか、そういうところから見て、知事、この国の方針というのをどういうふうに受け止めてらっしゃるでしょうか。
○丸山知事:5類にしたらコロナがなくなるとか、何かそんな本末転倒な発想になっているんじゃないかという気がしますけど。マスクの話も含めて、自分で感染自体を避けるとか、感染しても大ごとにならないという、我々が選択できるツールをやらなくていいとか、できないようにするとか、何かそんなことを一生懸命考えておられるけど、本当に責任が取れるような範囲、責任を問われるようなことになるんじゃないかっていう危惧はありますよね。発症予防も感染予防も、感染予防はなかなか難しいって話はあっても、発症予防の効果があったりって認められてるものを減らすわけなので、私からすると、まずはもう、これだけ軽症だインフルエンザ並みだとかっていう言い方を政府がやった結果、もうワクチンを打つ人がこれだけ減っちゃったので、購入量を半分とかにすればいいんですよ、まず。全員分買って、多分半分ぐらい捨てることになってると思いますけどね、それで半分にできますよ。もう打たない人が、若い人を中心にこれだけいるわけだから、それを前提に購入量を見直せば、1回分の、多分捨てられるワクチンを含めた1回分で2回できますよ。何か本当にワクチンをこれだけ、一応頻度高く打って、いろんな対策を講じても、なお1月中に500人とかって毎日人が亡くなっていったっていうことを事実として受け止めてないんでしょうね。だから、危険な対応ではないかと。何というか、我々からすると、身を守る道具をどんどん奪っていくような対応をこんなにまとめてやって大丈夫なんですかと、本当に決めてる人たちは責任取れるんですか。何か申し訳ないけど、役人は責任取らないからね、専門家に了解取ったからとかって言って異動になったりするけど、政治は逃げられませんからね。財務省から言われたことでも、財務省は責任取らないんだから。厚労省がオーケーって言ったから。無責任体制なんですよ、私の人生経験上でいうとね。誰も責任取らないよ、誰がこれを決めたかって分からないんだから。みんなで決めたんだ。
言葉は悪いですけど、5類化を進めるっていうこと、そもそもが、5類化を5月8日にするって決めたときに、ワクチンをどうするのかとか、公費医療をどうするのかとか、そういうものが、もろもろの懸念事項に対して、要するに5類化というのは、基本的には感染拡大要素なんだから、感染拡大要素っていうことは、一定割合で亡くなるので、死亡増加要素なわけですよ。それをするっていうことに対して、そういう懸念が現実化しないように、こういうことを経過措置として一定期間やりますとかっていうことが何も示されなかったんだ、段階的にやっていきますって書いてあるだけで。後ずれでこんなことがぽろぽろぽろぽろ出てきて、本当は5類化のときにセットで決めとかなきゃいけないことが決められずに5類化が決まって、後からこういう、申し訳ないけど、ひどい内容が出てくるって、何かぼったくりバーみたいだ。ピーナッツ5万円とか、1粒。何か後から訳の分かんない請求書がどんどん出てきて。
私は、一国民として見ると、今回のワクチンの対応なんて、ええっ、そんなことすんの。厚生労働省の事務方の案なんでしょうけど、本当にみんなが病院にかかれるかどうかも分かんないんですよ、5類化で。発熱外来、お金をつけてやってもらってて、診療報酬も引上げをしてて、いろんなお金を出しても、なおやってくれなかったところが相当ある中で、発熱外来よりも広がるっていう、そういう幻想の下に5類化の話が進んでますけど、マスメディアの皆さんも全然真面目に書かないから、誰が保証してるのかって私は聞いてみたいけど。何で特別なお金をもらってもなおできなかったところが、特別なお金を配らなくてできるようになるのか。何で。できなかったところは理由があるんですよ。自分のところであれだけの感染力があるもの、ある患者さんが裸で来られちゃったら、スタッフも感染するかもしれないし、お客さん、患者さんですよ、も感染するかもしれないし。個人診療の診療所とかクリニックって、事業者として見ると、個人事業者なんです。お医者さんが休んじゃうと売上げゼロですよ。看護師さんだったらまだあれだけど、もうお医者さんが感染しちゃったら診療報酬取れないんだから。だから経営に関わるわけですよ。だから、診たくないから診ないっていう話じゃなくて、理由があって診てないので、それがいろんなお金の関係を削ってできるようになるのか。だって、そういう何か、診れるのに診てないって決めつけてる人がいますけど、診れない人には診れない理由があるので、それを解消していかないといけないでしょう。だって、動線を分離するとかということができなかったわけだしね。だから、どうやって入院調整とかするの。誰が入院調整するんですかね。入院調整するかどうかも決まってないんですよ。
私、もう保証しますけど、インフルエンザだったら自分の、大学だったら出身の医局とか、医局の関連病院とか、自分がいつも入院をお願いしている周囲の中核病院とかにクリニックのお医者さんが電話して、こういう症状なので受け入れてくれといって、相対で入院を決めてるんですよ。今、かかりつけにかからずに大きな病院に行ったら5,000円だか1万円だか取られますからね。入院が決まるプロセスというのは一回診療所、クリニックで診察をしてもらって、そこの医療機関からの紹介で病院に行ってとか、そんな形ですからね。だから入院調整って、今はインフルエンザとかだと開業医の先生がやってるわけですよ。それをインフルエンザと同じようにクリニックの先生と病院が相対で入院決めれるの。数字も、確保病床があるかどうかも決めてないけど。
だから、どういうふうに5類化に伴ってなるかということがほぼ明らかになってない。5類化になることだけ決まってる。その状況で、国民からすると、身を守る道具であるワクチンが、まあ年に1回でいいでしょってなっちゃうって、ちょっとアンビリーバブルですね。そんなんだったら、まだ何か廃棄してしまうようなやつを買わずにおいて2回やるとか、自己負担若干入れてやってもらうとか、本当に回数減らすって、そんな、年に1回だよ。本当に要するにインフルエンザ並みに本当にしようとしているわけよ、1年間流行するものに対して。季節性のインフルエンザだったら、要するに冬に対応すれば足りるから、季節性で。流行するのは基本的に冬季に限られるっていう感染症と、通年で感染が広がるものと同じような対応をしようとしてるということって、科学的合理性があるのか。だから、重症化予防と死亡予防に着目すれば1年間もつとかって、そんな理屈だったっけ、何か新聞にあったのは。死ななきゃいいでしょって言われてんのよ。もう死ななきゃいいでしょって扱いなのよ。だから、ちょっと話が違うと、こんなので5類化して大丈夫なんですかってなっちゃうんじゃないですかね。そもそも5類化が、何も決めない5類化だったから。公費は当面継続するっていっても、その中身は不明。ワクチン接種も当面継続する、ワクチン接種は続けるだったけど、来年になったら2年に1回とかになるかもしらんな、こんな調子でいくと。
だから、トータルパッケージで示されるべきものが全く示されずに5類化が決まって、ぽろぽろ出てくる、マスクだ、ワクチンだっていうのが個別に出てきて、そろってみたら何かね、ふぞろいの林檎たちみたいになってるじゃないの。それぞれがそれぞれに影響しますよね。診療体制どうするかとか、病床確保どうするかとか、一体で決めないと、ワクチンだけ先決めてとか、マスクだけ先に決めるのか後で決めるのか分かんないけど、やっぱり毎日、過去最大の死者が出てるっていう客観的事実を忘れてる対応だと思いますけど、多分忘れようとしてるんでしょうね。
5類化というのは、基本的には多分、経過措置なしに実施されそうなものって大きく2つあって、一つは隔離措置ですよね。入院とか自宅待機をしてもらうってことを、それをなくす。ですから、感染者が別に日常生活の中におられるっていうことを前提とする社会にしていくということが、これ一つ。もう一つ経過措置がないのは、恐らく定点観測になりますから、死者数は日々集計しません。死者が増えても分からない。死者が増えても分かるのは、人口動態調査という厚労省の統計数値の暫定版と確定版か何か、2回に分かれるのかな。正確な確定版は1年後にしか出てこないと。ですので死者数が分からない世界に入っていくんです。だから、どれだけ感染が拡大しているかっていうこと、どれだけ死者が出てるかって分からないという世界に入っていくということは決まっているんだけど、どういう医療を受けられるのか、どれぐらい公費支援を受けられるのか、どれぐらいワクチンの接種が受けられるのかということはおぼろげながら出してますけど、全部後決めなわけですよね。
私からすると、そんな指摘もできない日本のマスメディアがそろってるってことですよ。東京本社の皆さんの本社の皆さんは、そんな指摘すらできないわけです。要するにリスク要因だけ決めて、そのリスクをカバーする措置を決めずに物を決めてるという政府の対応を疑問視する姿勢がないからね、全く。だからマスメディアの皆さんも政府と同じ姿勢ですよね、東京の皆さんは。
だから死者が見えない世界に入っていくんですよ。日本全体でどれぐらいの死者が出てるかっていう、そういう感染状況も分からない。定点観測の数字しか分からない。死者数、直近1週間とか直近1か月の死者数も不明と、そういう世界に入っていく。それは、私は、別に感染力が落ちてるわけでもないし、恐らく病原性が変わってるわけでもないので、ある意味、暗闇の世界に入っていくという感じが正しいと思いますね。暗闇、よく見えない、定点観測だから。感染者数も正確には分からない、死者数が分からない。だから、それって普通は暗闇の中をライトつけずに車走らせてるような感じがするので、スピードを落として運転しなきゃいけない、そんな状況なんだけど、何か60キロとか70キロ出して走ろうとしてるっていう怖さを感じて、私は何かやっぱりちょっと5類化というのは、基本的には足元の感染状況も分かりにくくなるし、感染してる方というのが基本的には行動ができるということになりますから、そういう日本社会、死者が増える方向で働くインパクトがありながら死者数も分からなくなるという意味で、慎重に進めなきゃいけないことだと思っていて、その慎重さがちょっと足りないんじゃないかというのが私の、ワクチンの回数がもし秋冬で1回きりとかっていうのが本当なのであれば、そんな怖いことするんですかっていう感じですね。長話ですみません。
○山陰中央新報:すみません、コロナに話題が戻っちゃうんですけど、国が今ちょっと検討を進めてる卒業式なり入学式でのマスク着用の検討状況というか、こうしたこと、県内の子どもたちにも関わることだと思うんですけども、その点について、ちょっと結論はまだ見てないところではあるんですが、知事の御所感が伺えればと思います。よろしくお願いします。
○丸山知事:私は、基本的には5類化との兼ね合いでいうと、5類化に合わせてマスク着用について、着用しなくていいよというふうな方向で、行政としてかじを切ることは慎重であるべきだというふうに思っています。なぜならば、先ほど申し上げたように、5類化自体が、まだ中身も固まっていない、ワクチン接種がこんなになるなんてみんな知ってましたか、5類化になったときに。こんなことになるなんて予想してましたか。なるかもしんないんですよ。どんなことになるか分かんないのに、まだ、公費負担の継続っていったって、もしかすると50%、自己負担の半分負担とかで、全額公費じゃないかもしれませんよ、こんな勢いだと。何が出てくるか分かんないわけだから。そういう、基本的に感染が拡大しかねないモード、なぜならば行動制限、飲食じゃないですよ。感染した人は家にいてくださいねとか動かないでくださいねという、そういう行動制限がなくなる。感染拡大要素。感染拡大要素ということは、感染の一定割合の人が亡くなられるわけですから、それは死者が増加するモード。なおかつその状況がタイムリーに分からなくなるという、感染状況が把握できないということになるということを考えると、5類化というのは、ああ、よかったよかったという話というよりは、うまくやらないと死亡者がすごく増えたり、知らないうちに救急が逼迫してて、どこにも入院できないというふうになってたり、誰もマスコミは報道してくれないけど、いざ自分がけがしてみたら、どこも入れなかったとか、胸が痛くなって、心筋梗塞じゃないけど、心不全起こしたらどこも受け入れてくんなかったって、家族や自分がなるかもしんないっていう、そういうことなわけですよ。マスコミが取材しに行こうと思ったって、今感染が拡大してるかどうか分かんないから取材に行くタイミングかどうかも分からないわけですよ。だから、そういう厳しい、そういう、慎重に進めなきゃいけないのが5類であって、うまく進めなきゃいけないのが5類化であって、それがうまく処理できた後にやれば、マスクの緩和をできるのかできないのか、やるべきか、やっていいのかどうかっていうことを段階を踏んでやらないといけないと思います。
よく世の中で言われる、自助、共助、公助ってあるでしょ。5類化というのは基本的には公助を弱めることなんです。行政の役割を減らすってことでしょ。それは財政支出という意味でも、規制という意味でも、行政の出番が減るってことなんです。だから公助が縮小するんですよ。マスクをつけるというのは、自分の感染を防ぐという意味では自助、ほかの人にうつさないという意味では共助ですよ。公助を弱めるときに自助、共助まで弱めるって、一緒にやる必要はないんじゃないかと。公助を弱めるということが問題なくできるかどうかという、これは一大事業だと思うんです、5類化というのは。みんな軽く考えてますけど。これをちゃんと実現した上で、その状況を見て、その5類化の姿がどういう状況かというのを見てから自助とか共助みたいなところをどう緩めていくか。
今の状況だと、何か冬の吹雪の中に家から出ていけ、出ていきますよ、もう2類じゃないです、5類ですよっていうのは、家の中から外に出ていくようなもんなんです。寒空に出ていくようなもんなんです。そんなときにコートまで脱いだり、ジャケット脱いだりするのを一緒にやろうとしてるようなもんなんだと私は思うんです。一つ一つやればいいと。どっちも重要なツールですよ。マスクで相当感染を防いできたのは間違いないでしょう。だってマスクに効果がないって言う人がいるけど、私はそんな人の言うことは全然聞く必要ないと思う。だって、コロナが出る前から、手術室ではみんなオペに関わる人はみんなマスクしてますよね。それは自分が患者に感染させない、自分が感染しないっていうことで、効果があるからやってるんでしょう。医療のプロの人たちがやってることなんだから、効果がないわけがない。それが100%感染を防げるわけじゃないということ、それは事実でしょう。でも、これは確率論だから、100かゼロかの話じゃないので、20%でも30%でも減らせれば、これはもう公衆衛生上は十分な効果があるんですよ。だって、マスクをしてる人が、私から次の人、次の人、次の人、次の人、0.7掛けでリスクが減っていくんですよ、伝播する経路を考えると。0.7の10乗とかになるわけです、累乗だから。そうですよね。私があなたにうつす確率が70%減って、その次の人に、0.7掛け0.7だから0.49で半分に減るわけですよ。十分な効果でしょう。だから、マスクに効果がないとか意味がないと言ってる人の話というのは、もう採用すべきじゃないと。聞くに値しないと私は思う。その瞬間に、その人の言うことを私は聞かないと。聞く必要がなくなる。なので、私が誰か報道してくれると、そんなことをぬかして、おまえ、マスクしてないじゃねえかといってたたかれるんだけど、まあこれ距離取ってるからね。マスクに効果があるからみんな医療従事者もやってるし、そんなものに効果がないと言ってる人の言うことなんか聞いちゃ駄目だと思う。これ科学でやってるんだから。だから、マスクに効果はあるし、効果があるものをやめるかどうかを決めようとしてるわけよ。
私からすると、学校、卒業式の話もそうですけど、自分は感染してもいいと思うのは自由です。かかっても軽症なんだから感染してもいいんだと思う人がおられて、それは自由だと思いますよ。ただ、風邪やインフルエンザと同じだとしても、自分はかかりたくないと思う人だっているわけですよ。風邪やインフルエンザと同じだとしても。感染力が違うから違うんだ、私は違うと思うけど、公衆衛生上の影響はね。ミクロではあまり変わらない、それが事実だとしても、それを、だから感染してもいいと思う人がいるのは分かる。でも、感染したくないと思う人だっている。どっちに合わせるかですよ。自分は感染してもいいからマスクなんかしない。それは自由だけど、でも、自分が人にうつすリスクはあるんですよ。自分が感染してもいいと思うことは、自分が感染してもいいと思うのは構わないけど、だからマスクつけないというのは構わないけど、それは論理的だけど、でも、人にうつしても構わないと思うのも自由だけど、それを周りの人が許容しなきゃいけない義務はないでしょう。だから、自分が感染してもいいからマスクつけない、俺の自由だというのは半分しか当たってない。要するに自助の世界を自分がどう設定するかは自分の自由だと、それは分かる。共助の役割も担ってるから、人に感染させないという役割も担ってるんだから、それをしないという人を周りがどう評価するか。自助をちゃんとしようと思ってる人からすると、人にうつしても構わないと思ってる人と同じ空間にいたくないというのだって、それも個人の選択でしょう。だから、個人の判断なんかに任せたら、例えば卒業式、みんな出たいよね。出たいけど、今、県立高校の卒業式は、国公立大学の二次試験の前に設定されてますよ。そんなとこで感染なんかしたくないでしょう、誰も。風邪やインフルエンザと同じだといったところで、受験生、誰も鼻水垂らして、せきして、熱出して二次試験受けられるなんて誰も思わないでしょうが。そうしたら、そこを何か、参加するのはどっちも自由だとかなったら、つけてこない人もいるかもしれないというところに出ていきたくないと思う人だっているよ。だって、二次試験控えているのに、隣の人がマスクしてないかもしれないってところに出ていかなきゃいけないのか。出席したくないっていう人が出てくるかもしれないです。
だから、マスクを外したらみんな喜ぶなんて思ってる人たちが言ってるんだろうけど、マスクを外してもらったら不安だという人だっているんだから、特に卒業式というのは、少なくとも島根県内の県立高校の卒業式は3月の1日とかですよ。だから国公立大学の試験の前にある(補足事項:国公立大学2次試験は、前期日程が2月25日から、中期・後期日程は3月8日以降に実施)。だから、ちょっとまとまらないですけど、結論は、私は権限がないので、県教育委員会とか市町村教育委員会が子どもさんのために何が一番いいかと、一部の人のじゃなくて、全体を見てですよ、全体を見て一番いいやり方でやるべきだと。もう正直言って、今の議論の状況を見てると、文部科学省の通知が変わったからどうこうなんて、あんまり気にしないほうがいいと思う。子どものことを多面的に考えてちゃんと判断できるのは学校現場でしょうね。だから、マスクを外してあげたほうがいいっていうのは正しい側面もあるだろうけど、外したところに行きたくないという人だっていて、その人たちのことも考えてやらないといけないんじゃないか。特に入学試験を控えてる人たちがそんな場所に出ていきたくないと思うんじゃないかと。
みんなが整然と参加できる卒業式が求められてる姿なので、私は、つけたくない人につけてもらわなきゃいけないけど、外してもらうとそういう問題も起きるので、まあ正直言って、つけるぐらい大したことないんだからさ、外したら病気になるかもしんないんだから、病気になるかもしんない話と、つけたくないという願望と、どっち重視するかといったら、それは病気になりたくないという願望を重視するほうが普通だと私は思うけど、けど、県教委が判断すること。
私は、ともかく今の新聞報道で流れてくる議論が、子どもにマスクを外させてあげるっていうことが子どもさんのためだっていうことが表面つらで議論されてるんだとすると、それは間違ってると思う。自分の両親は医療機関に勤めていたり高齢者施設で勤めていたりするので、ともかく自分を通じて家庭内感染でそういうところに感染を持ち込みたくないと思われる方だっていますよ。自分の試験のことを考えたり、自分の家族の職場のことを考えたり、自分の同居している家族の中に高齢のおじいちゃん、おばあちゃんがいたりする、体の弱い兄弟がいたりするってときに、そういうことも含めて、私は、風邪やインフルエンザと同じだと、仮にそうだとしても、だから感染していいって思う人はいないと思います。私は、そういう人もいるかもしれないけど、そうじゃない人もいっぱいいるから、そっちの人たちを軸に考えて、そっちの人たちのことも考えてくんないといけないというのが基本的な考え方で、何か一方的な見方で、一方的な議論が進んでる感じが、文部科学省から発信される情報を見るとするので、文部科学省でこんな検討してるとかっていう話を聞くとね。私はともかく参加する人の立場に立って考えてみなさいと。そんなの自由ですよといって、マスクしてない人がいっぱいいたら、出たくない、そんなところで感染して受験に臨むなんて真っ平御免だと、私だったらそうするね。出ないことも考えるよ、そんなもう。そんな、御自由にしてくださいなんて言われたらさ、御自由になってる場所に出なきゃいけないのか。慎重な人は行かないと思いますよ、卒業式。そんな場所にしたいのかと。もうちょっと具体的に考えてみろと、親の立場とか子どもの立場になって。
何か外してあげたら子どもが喜ぶとか親が喜ぶって、一部の人の感性で物事決めてるんじゃないか。だからマスク外しますかといって、外すっていう人はそんなにいないでしょう。だって、日本人は衛生観念が高いんだから。欧米人よりも衛生観念が高いだけで、何で低いほうに合わせないかんのかっていうこと。衛生観念が高くて、感染症を抑えてきてるというそのアドバンテージを、何のために衛生観念の低い他国に合わせるのか。なぜ国民性という意味でのアドバンテージをわざわざ捨て去るのかというのが私は分からなくて、つけることが難しい方がおられるんだったら、自分で配慮して外してもらえばいいと思いますけど、つけれる方につけてもらうというのは、特に5類化をまだ終わらせてない状況では、安易に緩める必要はないんじゃないか。少なくとも5類化をうまく成し遂げた後でマスクをどうやって外せるかということを具体的に考えればいいんであって、5類化をやるよりも先にマスクを緩めるなんて、私からすると本末転倒。
5類化を先に決めたんだから、5類化をちゃんとやれるように制度設計をして、5類化をちゃんとやって、いろいろあったけれどもちゃんとできましたねとなった後に、自助、公助の話として、基本的な感染症対策なんですよ、これまでさんざん言ってきた。三密回避、マスク、手洗い。基本的感染症対策を緩めるって、基本的、根本的な問題なんですよ。だから、基本的感染対策を緩めるというのは、大幅に感染対策を緩めるということだと思うんですよ。そんなことは、まずは5類化を工夫しながらちゃんとやってからやればいいって思っています。
だから、卒業式は、権限外だけど、個人的感想として言えば、マスクを外したくないというか、マスクを外しているようなところに行きたくないという卒業生もいることをちゃんと考えてやるべきだと。文部科学省がそんなことを考えてる雰囲気がないので、文部科学省の通知がどんな通知が出ようが、子どものことを第一に考えて、みんなが出れる、出席できる卒業式にしてもらうということを優先して考えてもらうのがいいんじゃないかなというふうに思います。つけない人はつけなくてもいいとなったら、受験前の卒業生は出席を控える可能性がありますよ。でも、出席を控えなくて感染したら裁判になるかもしらんよ。そのときはもう国家賠償訴訟で文部科学省を訴えてほしいよ。人の一生に関わるんだよ。何か卒業式を、マスク外してあげたらみんな喜ぶんじゃないかっていう単純な話じゃないということをよく踏まえて、文部科学省さんがそんなことを聞いてくれるかどうか分かりませんけど、そんなことを考えてくれないガイドラインになったら、やっぱり学校の先生と教育委員会が卒業生のためになるように、何がベストかっていうことを踏まえて、具体的な現場感覚で判断してもらうと。
だって、文部科学省に現場感覚なんかないんだから、はっきり言って。通知、一遍出して終わりなんだ、彼らは。何の責任も取らないだろう、どうせ、そこで感染広がったって。そんな人たちよりも、子どもさんを預かってる学校と教育委員会が雑音、私の話も雑音だけどね、よその誰が言ってるかは抜きにして、生徒さんのために、みんながみんな100点ってならないけど、マスクを外したい人もいるだろうけど、お互いの顔を見れる場所は教室でつくるとかね、写真を無言で撮る時間を取るとか、そういう工夫の問題で、式典の話じゃないと私は思いますけどね。だから、お互いの顔が分からずにというのであれば、それはクラスの中でやればいいと思う。しゃべらず、お互い写真を撮り合うとか、一緒に写真に収まる、仲のいい人同士で収まるような時間を個別に、マスク取ってやる時間をつくってあげるとかね、そういう身近な話なんじゃないかと思うんですよ。マスクを外した卒業式を何か上段からパチャっと撮って、そういう姿を個々の卒業生が望んでるわけじゃないと思います。身近な同級生とマスクを外す時間があったらいいなと思ってると思いますけど、それは卒業式で、講堂でやるような話じゃないんじゃないかと。教室とかでどういうふうな、最後、卒業式が終わった後なのか、卒業式の前なのか、クラスの中の時間の使い方でどういうふうな工夫ができるかっていうことじゃないかと思いますけどね。
○山陰中央新報:ありがとうございます。
○丸山知事:国公立の試験が残っているのは、中期、後期だそうですね。前期は終わってる。
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