しまねの日本遺産ミステリー
A~Gの写真は、1~7にあるどの日本遺産のことを示しているのかな?!
A
ある町では、150年くらい前と変わらない風景を、今でも見ることができます。
B
奥出雲町の棚田、安来市や出雲市の大きな平野。実はどちらも「あること」が原因で形成されました。
C
浜田市の海沿いにある日和山(ひよりやま)には、方角が刻まれた石が残っています。
D
夕日の聖地といわれている場所があります。
E
お祭りのほかに、お店のイベントなどでも上演されるほど人気な舞があります。
F
縄文時代の杉の大木を見ることができる場所があります。
G
鎌倉~室町時代に朝鮮半島や中国、東南アジアと盛んに交易していた地域があります。写真は「荷揚げ場跡」です。
1.日が沈む聖地出雲~神が創り出した地の夕日を巡る~
古代、政治の中心だった奈良の都から見ると、出雲は日の沈む方角に位置します。夕暮れ時、紅に染まる空と弁天島のシルエットが美しい稲佐(いなさ)の浜は、「国譲り神話」の舞台と伝えられています。出雲が古事記などに「黄泉(よみ)の国」と「地上世界」をつなぐ地と記されているのは、日が沈む聖地の印象が強かったからかもしれません。
2.荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~
北前船の船乗りが、出港の前に潮流や方角を確認するために、東西南北と十二支が刻まれた「方角石(ほうがくいし)」を使っていました。日和山に囲まれるようにある入り江は、「外ノ浦(とのうら)」という北前船が風を待つための港で、廻船問屋が立ち並ぶ浜田藩最大の貿易港としてにぎわっていました。
3.中世日本の傑作益田を味わう~地方の時代に輝き再び~
県の西端に位置する益田市は、日本海を介した盛んな交易と、領主である益田氏による安定した政治によって、中世に大いに栄えていました。発掘調査では、石が敷き詰められた船着き場や、中国、朝鮮半島、東南アジアの交易品が見つかり、国内外に開かれた港湾都市であったことがわかりました。
4.津和野今昔~百景図を歩く~
幕末期に描かれた「津和野百景図」には、お寺や神社、お祭り、自然など、当時の風景や人々の暮らしぶりが描かれています。その風景を残そうと住民が町を守ってきたため、現在の津和野町には絵図と変わらない美しい景色が今なお色濃く残っています。
5.神々や鬼たちが躍動する神話の世界~石見地域で伝承される神楽~
石見地域の神楽は、地域によって、舞のテンポや、同じ演目でも動きやセリフが異なっていたりすることがあります。活気あふれる太鼓囃子(たいこはやし)、豪華絢爛(ごうかけんらん)な衣裳、大蛇が火や煙を吹くリアルな演出などが観客を魅了し、県外や海外での公演も増え、ファンを増やしています。
6.出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~
たたら製鉄では、山を切り崩し、土砂を水路に流すことで砂鉄と土砂を選別する「鉄穴(かんな)流し」が行われていました。鉄穴流しの跡地を田んぼとして活用したことから、奥出雲町には独特な棚田の景観が生まれました。また、大量の土砂が河川に流され、出雲平野や安来平野は大きく拡がったのです。
7.石見の火山が伝える悠久の歴史~“縄文の森”“銀(しろがね)の山”と出逢える旅へ~
三瓶山(さんべさん)の北のふもと小豆原(あずきはら)には、約4千年前の噴火によって火山灰などに埋もれた木々が、大地に根を張ったままの姿で残っています。また、世界に膨大な量の銀をもたらした「石見銀山」の銀鉱石も、三瓶山の西にある大江高山(おおえたかやま)の火山活動によって生み出されたものです。
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