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実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜

第19回

文献が読めない韓国海洋水産開発院の島根県批判について

 

 韓国海洋水産開発院は2009年4月27日、島根県が竹島問題に関して偏向的な広報活動をしているとし、「日本島根県、有利な史料だけで‘独島'広報強化」(「独島・海洋領土ブリーフィング」09-60号)と伝えた。韓国海洋水産開発院によると、島根県のホームページは、「欝陵島と独島が韓国領であると認めた1696年の渡海禁止令や1877年の太政官指令のような官撰の文書を意図的に排除し」、「特に独島を韓国領と表記した『改定日本輿地路程全図』の1779年度版の原本を排除して、1846年度版を挙げ」、「史料の歪曲」をしているというのである。

 だがこの韓国海洋水産開発院の指摘は、竹島を不法占拠する韓国側が自らの侵略行為を隠蔽するための詭弁でしかない。島根県竹島問題研究会の「竹島問題に関する調査研究」最終報告書と、外務省が刊行した「竹島問題を理解するための10のポイント」では、竹島が島根県に編入される1905年以前、竹島が韓国領でなかった事実を実証しているからである。

 日本は明治38年1月28日、無主の地である無人島のリャンクール島を竹島と命名し、国際法に基づいて「本邦所属」としていた。それを韓国側は、于山島を日本の松島(現在の竹島)とする『東国文献備考』の分註に依拠し、古書や古地図に登場する于山島をことごとく竹島に読み替えるなど、「史料の歪曲」をしながら竹島は韓国領であるとした。そのため竹島は六世紀から韓国領とされ、『世宗実録地理志』や『東国輿地勝覧』に記載された于山島までもが今日の竹島にされてしまった。

 だが韓国側が依拠してきた『東国文献備考』の分註は、『東国文献備考』の編纂過程で、改竄された事実が明らかとなり、韓国側には竹島の領有権を主張する論拠が無くなってしまったのである。韓国側が是非ともしなければならないことは、『東国文献備考』の分註に代え、竹島が韓国領であった事実を実証することであった。

 それを韓国海洋水産開発院は、その致命的となる論争を避け、1779年版の長久保赤水の『改定日本輿地路程全図』や、1696年の渡海禁止令と1877年の太政官指令を取り上げ、「日本島根県、有利な史料だけで‘独島'広報強化」と、詭弁を弄したのである。

 だが歴史的に韓国領とは無縁の竹島を日本側がどう判断しようと、韓国側には一切関係のないことであった。それを韓国海洋水産開発院は、長久保赤水の『日本輿地路程全図』に描かれた欝陵島と竹島に、彩色がなされているかどうかだけを問題とし、彩色がなければそれを「独島を韓国領と表記した」と曲解したのである。しかし『日本輿地路程全図』を解釈する際のポイントは、彩色の有無ではなく、欝陵島の横に記された付記にある。

 付記には、斎藤豊仙が寛文七年にまとめた『隠州視聴合記』の国代記に由来する「見高麗猶雲州望隠州」の文言が記され、欝陵島を日本領としているからだ。その付記の文意は「欝陵島から朝鮮が見えるのは、ちょうど雲州から隠州を望み見るようなものだ」というもので、国代記ではその後に「そうであるから、日本の西北の境界は、この州(欝陵島)を限りとする」の一文が続いている。

 韓国側では、「この州」を隠岐島のことと解釈しているが、重要なのは、「この州」からは朝鮮が見えるという条件が付いていることである。隠岐島からは、朝鮮半島はおろか欝陵島も見えない。「この州」は、当然、欝陵島のことと解釈すべきなのである。

 それは斎藤豊仙が『隠州視聴合記』を編述した寛文年間当時、日本側には欝陵島を日本領とする認識があったからで、斎藤豊仙自身も『隠州視聴合記』の中で欝陵島渡海の事実を伝えている。それに寛文六年(1666年)、斎藤豊仙が『隠州視聴合記』を編述する前年には、欝陵島に出漁した鳥取藩米子の大谷家の漁民二十一名が朝鮮の長●(かみがしらに耆、き)に漂着するという事件が起こっていた。この遭難事件については、鎖国政策を布いていた江戸幕府も了解しており、鳥取藩米子の大谷家が欝陵島に出漁していた事実も承知していた。

 したがって長久保赤水の『日本輿地路程全図』に、その『隠州視聴合記』の国代記からの引用がある事実は、欝陵島を「日本の西北の境界」とした齋藤豊仙の地理的認識を長久保赤水が踏襲し、欝陵島を日本領としていた証左となるのである。

 それを韓国海洋水産開発院は付記の存在を無視して、「特に独島を韓国領と表記した『改定日本輿地路程全図』の1779年度版の原本を排除」したとし、島根県がさも不正な文献操作をしているかのごとき印象を与え、世論工作に腐心しているのである。

 だが歴史研究で欠かせないのは、論拠となる文献の存在である。斎藤豊仙の『隠州視聴合記』では欝陵島を日本の西北限とし、長久保赤水の『日本輿地路程全図』でも欝陵島を日本の西北限としている。その欝陵島を敢えて隠岐島に読み換えるのは、竹島が韓国領でなくなってしまう事実を隠蔽する偽装工作でしかない。

 韓国海洋水産開発院によるこの種の欺瞞的な文献操作は、「1696年の渡海禁止令や1877年の太政官指令」の解釈でも遺憾なく発揮されている。韓国海洋水産開発院が、「1696年の渡海禁止令や1877年の太政官指令」で、日本は「欝陵島と独島が韓国領であると認めた」とするのも、質の悪い「史料の歪曲」である。

 1696年の幕府による渡海禁止令は、江戸幕府が大谷・村川両家に与えていた欝陵島への渡海を禁じたもので、今日の竹島とは無縁であったからだ。それは1693年、江戸幕府の命を受け、対馬藩が朝鮮側と争ったのも、欝陵島一島であった事実からも明らかである。幕府が禁じたのは欝陵島への渡海で、竹島は問題となっていない。

 それを韓国海洋水産開発院が「韓国領であると認めた」と強弁するのは、江戸幕府が竹島(欝陵島)の帰属を鳥取藩に問い合わせた1695年12月、鳥取藩が「竹嶋は因幡・伯耆附属にて御座無く候」とし、「竹嶋・松島其の外、両国え附属の嶋御座無く候」と回答したからである。だが欝陵島への「渡海免許」は、江戸幕府が大谷・村川両家に与えたもので、鳥取藩とははじめから関係がない。そのため鳥取藩が欝陵島と松島を「因幡・伯耆附属にて御座無く候」とするのは当然のことで、それを「韓国領であると認めた」と拡大解釈するのは、封建制の日本と郡県制の朝鮮半島の歴史の違いを知らない者の言である。

 これは1877年、太政官が「竹島外一島本邦関係これなし」とした太政官指令の解釈も同じである。韓国側では、「外一島」にあたる松島を今日の竹島とし、日本政府が竹島を日本領でないとした根拠としたのである。それは1876年、島根県が提出した「磯竹島略図」に欝陵島と竹島が描かれ、提出された文書でも、欝陵島と竹島についての記述があることから、それだけで「外一島」の松島を今日の竹島と決め付けてしまったのである。

 だが1877年の太政官指令についても、文献批判は欠かすことができない。それは1840年、シーボルトの「日本図」によって竹島と松島の名が西洋に伝えられ、それが当時の海図や地図に誤って記されていたからである。シーボルトの「日本図」では、後にその存在が否定されるアルゴノート島を竹島とし、松島はダジュレート島(欝陵島)とされた。そのため日本で流布していた地図や海図でも欝陵島は松島とされていた。太政官指令で「外一島」とされた松島は、欝陵島(ダジュレート島)を指していたのである。

 一方、竹島と命名され、1905年に島根県に編入されるリャンクール岩の存在が確認されるのは1849年、フランスの捕鯨船リャンクール号によってである。そのため1864年版の英国海軍の海図では、竹島(アルゴノート島)と松島(ダジュレート島)の他に、リャンクール岩(現在の竹島)が描かれることになった。その内、所在未確認の竹島(アルゴノート島)が海図上から消えるのは1876年版の英国海軍の海図からで、以後、海図には松島(ダジュレート島)とリャンクール岩が描かれている。従って、1876年版以前の海図を参考に製作された地図には、今日の竹島は描かれておらず、竹島(アルゴノート島)と松島(ダジュレート島)が描かれた地図には、今日の竹島が描かれていないのである。

 この事実は、1877年に太政官が「竹島外一島本邦関係これなし」とした松島(ダジュレート島)は、今日の竹島ではなく、欝陵島を指していたということである。それは1880年、天城艦による欝陵島の測量によって確認されている。この時、天城艦は松島を欝陵島と確認すると同時に、欝陵島から東に約二キロの位置にある竹嶼も確認していた。この天城艦の測量結果は1881年、外務省嘱託の北澤正誠によって『竹島考証』と『竹島版図所属考』に採用され、朝鮮側では欝陵島の東約二キロにある竹嶼をこれまでの于山島に代えて、竹島と表記することになるのである。

 明治政府は北澤正誠の『竹島版図所属考』を根拠として、松島が欝陵島であった事実を確認したのである。韓国海洋水産開発院はその歴史事実を無視し、1877年の太政官指令に「竹島外一島本邦関係これなし」とあれば、その「外一島」の松島を竹島と決め付け、日本の最高決定機関である太政官は、今日の竹島を日本領とは関係がないとしたと、曲解したのである。

 日韓の領土問題が解決しないのは、韓国側が文献批判を怠り、プロパガンダと歴史研究を区別していないからである。韓国海洋水産開発院が、島根県のホームページを批判して「有利な史料だけで‘独島'広報強化」とするのも、史料が読めていなことが原因であった。韓国側が「史料の歪曲」を繰り返し、国際社会を欺瞞し続けることは、著しく韓国の国益を損なうものである。韓国海洋水産開発院がなすべきことは、これまでのように事実無根の歴史を捏造し、日本批判のプロパガンダを続けることではない。竹島が韓国領であると言うなら、それを文献によって実証することである。

(下條正男)

 


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