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実事求是〜日韓のトゲ、竹島問題を考える〜

第37回

「朝鮮東岸」のリアンコールト列岩は朝鮮領とは無関係

 

 10月に入り、韓国内では竹島(独島)に関連した報道が目立つようになった。島根県の「竹島の日」に倣って、韓国側でも10月25日を「独島の月」としているからだ。

 だが、歴史的にも国際法上も韓国領でなかった竹島をいくら韓国領と報じたところで、竹島が韓国領となるわけもなく、歴史の捏造は許されるものではない。従って、韓国側によるこの種の試みは、やがて徒労に終わる運命にあるといえる。

 10月7日付の聯合ニュース(ネット版)が報じた「朝鮮海域に独島を含む…19世紀、日本発刊の海図公開」も、その典型的な事例である。聯合ニュースによると、同記事は東国大学校対外交流研究院の韓哲昊教授の研究が基のようで、「1893年に日本の水路部が刊行した海図「朝鮮東岸」では、竹島を韓国領としている」のだという。その理由について韓哲昊教授は、「1893年版の海図「朝鮮東岸」は、1876年と1889年の二度の改訂を経て作図された」。そしてその日本の「水路部が海図を改訂しても、独島を朝鮮関連の海図にすべて含めているのは、水路部さらに日本政府が独島を韓国領と認識・認定していた重要な証拠」としている。

 だがその主張は、明確な根拠に基づいているのであろうか。1893年版の海図「朝鮮東岸」に、リアンコールト列岩(現在の竹島、韓国側呼称は独島)が描かれていても、それだけで日本政府が竹島を韓国領としていた証拠にはないからだ。「海図」は、船舶が航海するために必要な水路の状況を図にしたもので、水深、海底の底質、海岸の地形、海底危険物、航路の標識等を示しているだけだからである。

 それに1893年版の海図「朝鮮東岸」が刊行された翌年、日本の水路部が編纂した『朝鮮水路誌』(1894年刊)では、朝鮮の疆域を「北緯三三度一五分ヨリ同四二度二五分、東経一二四度三〇分ヨリ同一三〇度三五分ニ至る」と明記している。一方、竹島はリアンコールト列岩と表記して、その位置を「北緯三七度一四分、東経一三一度五五分」としているのである。

 この竹島の経緯度から見ても、東限を「東経一三〇度三五分」とする朝鮮の疆域に竹島が含まれていないことは明白である。『朝鮮水路誌』(1894年刊)で竹島を朝鮮領としていない以上、同じ水路部が編纂した1893年版の海図「朝鮮東岸」に描かれた竹島も、当然、朝鮮領ではなかったことになるのである。

 だが韓哲昊教授は、「当時、日本の水路部が刊行した海図と水路誌は広く配布・流通しており、日本の誰でもが独島が欝陵島の付属島嶼であることを認識することができた」としている。

 では実際の『朝鮮水路誌』の記述から、「日本の誰でもが独島が欝陵島の付属島嶼であることを認識することができた」のだろうか。そこで海図「朝鮮東岸」が刊行された翌年(1894年)、水路部が編纂した『朝鮮水路誌』(第四編「朝鮮東岸」「朝鮮東岸及諸島」)で確認してみると、そこには独島(竹島)を鬱陵島の附属島嶼とするような記述はないのである。

 1894年版の『朝鮮水路誌』(「朝鮮東岸及諸島」)には、リアンコール列岩の他に鬱陵島とワイオダ岩が挙げられているが、それはリアンコールト岩(竹島)が欝陵島の属島ということでも、韓国領だからという理由からでもない。

 それはリアンコール列岩等が記載されている箇所が、『朝鮮水路誌』(第四編「朝鮮東岸」「朝鮮東岸及諸島」)の「日本海」の項目の中だからである。『朝鮮水路誌』では、その日本海の範囲を「北北東至南南西ノ長、凡九〇〇里、東西ノ幅最濶ノ処六〇〇里、日本各島ヲ以テ東及南ノ海界トナシ、朝鮮及黒龍沿海州ノ海岸ヲ以テ西及北西ノ海界トナス故ニ四面皆陸ヲ以テ囲繞」された海域とし、リアンコール列岩・鬱陵島・ワイオダ岩の三カ所については、その日本海の中の「暗岩危礁」として載せているだけである。

 リアンコール列岩(竹島)が『朝鮮水路誌』に載せられたのは、リアンコール列岩が鬱陵島の附属島嶼でも、朝鮮領に属していたからでもない。「日本海」の中の「暗岩危礁」の一つという理由からである。これが「日本の誰でもが」知ることのできる事実である。

 それを東国大学校対外交流研究院の韓哲昊教授は、1894年版の『朝鮮水路誌』(「朝鮮東岸及諸島」)に、リアンコール列岩と鬱陵島が載っているという理由だけで、それを海軍水路部と日本政府が朝鮮領としていた証拠と曲解し、リアンコール列岩を鬱陵島の属島と決め付けていたのである。『朝鮮水路誌』を普通に読んでいれば、韓哲昊教授のような解釈は成り立たない。

 韓哲昊教授は、本当に『朝鮮水路誌』や『寰瀛水路誌』を読んでいたのだろうか。リアンコール列岩について、『朝鮮水路誌』と『寰瀛水路誌』では「此列岩附近水頗ル深キカ如シト雖モ其位置ハ実ニ函館ニ向テ日本海ヲ航行スル船舶ノ直水道ニ當レルヲ以テ頗ル危険ナリトス」としているからである。ここではリアンコール列岩(竹島)が、日本海を函館に向かって航行する際の危険区域として、記載されていたのである。これは鬱陵島とワイオダ岩の場合も同じで、リアンコール列岩・鬱陵島・ワイオダ岩の三カ所は、「左ニ記載スルモノヲ除ク外日本海内絶エテ暗岩危礁ナシ」とされた、日本海の「暗岩危礁」を示していたのである。

 それを韓哲昊教授は、「1893年に日本の水路部が刊行した海図「朝鮮東岸」では、竹島を韓国領としている」とし、「日本の誰でもが独島が欝陵島の付属島嶼であることを認識することができた」としているが、それは事実無根、牽強付会の臆説である。

 韓哲昊教授の主張を牽強付会の説とするもう一つの理由は、『朝鮮水路誌』には、リアンコール列岩と鬱陵島の外に、ワイオダ岩が記載されている事実にある。韓哲昊教授は、独島を韓国領とし、欝陵島の属島とすることに熱心なあまり、「暗岩危礁」の一つであるワイオダ岩の存在は無視してしまったようである。

 だが『朝鮮水路誌』に記載されたワイオダ岩は、「北緯42度14分30秒、東経137度17分」に位置し、北海道の奥尻島と黒龍沿岸州の間にあるとされている。これはリアンコールト列岩を欝陵島の属島とし、韓国領としたい韓教授にとっては、不都合な事実であった。『朝鮮水路誌』の「日本海」に記されたリアンコールト列岩を韓国領とすれば、同じ『朝鮮水路誌』に記載されたワイオダ岩も韓国領とし、欝陵島の属島としなければならないからだ。そしてもう一つの不都合な事実は、韓教授の論理では韓国領とすべきワイオダ岩が、1893年版の海図(「朝鮮東岸」)には描かれていない、という事実である。

 ワイオダ岩が描かれている「海図」は、明治26(1892)年版の『海図』(「北洲及北東諸島」)である。この事実は、海図『朝鮮東岸』や『朝鮮水路誌』に記載されているという理由だけで、それが朝鮮領であったことの証拠にはならない、ということの証左である。

 『朝鮮水路誌』に、リアンコールト列岩・鬱陵島・ワイオダ岩が載せられたのは、韓哲昊教授等が主張するように、リアンコールト列岩が朝鮮の領土であったからではない。リアンコールト列岩を含め、鬱陵島・ワイオダ岩の三カ所は、「日本海」の「暗岩危礁」として記載されていたのである。

 韓哲昊教授は、「1893年に日本の水路部が刊行した海図『朝鮮東岸』」を読図して、それを日本が韓国領としていた証拠としたが、その根拠とされたのが水路部編纂の『朝鮮水路誌』である。だがすでに明らかにしたように、『朝鮮水路誌』のリアンコールト列岩(竹島)は、「日本海」の中の「暗岩危礁」として記載されていただけで、鬱陵島の属島島嶼としてではない。それは同じく『朝鮮水路誌』に記載されたワイオダ岩が、海図『朝鮮東岸』ではなく、明治26(1892)年版の『海図』(「北洲及北東諸島」)等に描かれている事実でも明らかである。それは「北緯42度14分30秒、東経137度17分」に位置するワイオダ岩が、北海道の奥尻島と黒龍沿岸州の間の「日本海」の中にあったからである。

 韓哲昊教授は、海図『朝鮮東岸』に描かれているから、リアンコールト列岩は朝鮮領であったと恣意的に解釈し、欝陵島の付属島嶼であったとしたいようだが、それを証明する文言は『朝鮮水路誌』の中にはない。韓哲昊教授の牽強付会の試みも、結局、「徒労に終わる運命」にあったのである。

(下條正男)


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