• 背景色 
  • 文字サイズ 

いにしえからの挑戦状_第3章_正解発表!!

挑戦状タイトル

 

 

※全問正解率は43.8%でした!出雲の白鳥は珍重されました(第22問)

※問題・正解・一言解説の一覧はこちら(PDFファイル

 

第1問_個性的な須恵器「出雲型子持壺」

出雲地域の古墳からは、「出雲型子持壺」とよばれる全国でも珍しい須恵器が出土することがあります。では、その「出雲型子持壺」は、次のうちどれでしょう?

第1問画像A第1問画像B第1問画像C

[A・Bは古代出雲歴史博物館、Cは県埋蔵文化財調査センター写真提供]

Aの写真
Bの写真
Cの写真

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

出雲型子持壺は底のない大型の壺に高い台座がつき、壺の肩部分には底のない小さな壺が付きます。底がなく、多くは古墳で出土する事から、実用品ではなく葬祭用の特殊な土器と考えられています。Aも装飾性の高い土器ですが筒型器台と呼ばれる須恵器、Cは古墳に並べられる埴輪のなかでも筒状の形をした円筒埴輪です。Aは松江市島田1号墳、Bは同市団原古墳、Cは同市大垣大塚古墳から出土しています。

 

第2問_不思議な楽器?土笛

島根県の弥生時代の遺跡からは、吹いて鳴らすと考えられている土笛が日本で最も多く出土しています。では土笛の写真は、次のうちどれでしょう?

第2問画像A第2問画像B第2問画像C

[Aは松江市所蔵、いずれも古代出雲歴史博物館写真提供]

Aの写真
Bの写真
Cの写真

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

Aは松江市前田遺跡で出土した琴、Bは雲南市加茂岩倉遺跡で出土した銅鐸、Cが松江市西川津遺跡・タテチョウ遺跡でみつかった土笛です。土笛は日本で118点見つかっていますが、そのうち半数以上の64点が島根県でみつかっています。他には福岡県宗像市や北九州市、山口県下関市、鳥取県米子市や鳥取市、兵庫県豊岡市、京都府京丹後市といった日本海側で見つかっており、日本海を介した弥生時代の交流を物語っています。

 

第3問_スサノオがよんだ最古の和歌

『古事記』のスサノオ神話で、オロチを退治したスサノオは須賀宮をつくったとき、ある歌をよみました。平安時代の『古今和歌集』(仮名序)で和歌のはじまりとも称されたその歌は、次のうちどれでしょう?

A.やつめさす出雲建がはける大刀黒葛さはまきさみなしにあはれ
B.八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を
C.飫宇の海の潮干の潟の片思に思ひや行かむ道の長手を

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

『古今和歌集』仮名序には「すさのをのみことよりぞ、みそもじあまりひともじはよみける」とあります。Aは『古事記』景行天皇の部分に記されている歌で、ヤマトタケルがイヅモタケルをだまし討った際によんだとされています。Cは『万葉集』に収録された門部王の歌で、出雲国司時代に娶った女性を想って贈った歌です。

 

第4問_石見国分寺・国分尼寺跡で出土した仏像

1988年、石見国分寺跡の発掘調査で、ある仏像が出土しました。実は同じ種類の仏像は、江戸時代に石見国分尼寺跡でも出土しています。国分寺・国分尼寺両方から出土しているのは石見国だけという、この仏像は次のうちどれでしょう?

A.聖観音菩薩立像
B.阿弥陀如来立像
C.誕生釈迦仏立像

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

石見国分寺跡から出土した仏像は、頭部などを欠いていますが体部の特徴などから釈迦の誕生の様子をあらわしたものと考えられており、浜田市指定文化財となっています。国分寺と国分尼寺の両方に誕生釈迦仏像が伝わっているのは石見国だけで、貴重な資料となっています。

 

第5問_後醍醐天皇が出雲大社に求めた神宝

鎌倉時代末期、幕府打倒に失敗し隠岐に流された後醍醐天皇は、1333(元弘3)年、再起を期して隠岐を脱出します。そして出雲大社に対して、所蔵するあるものを差し出すよう命じます。それは次のうちどれでしょう?

A.剣
B.玉
C.鏡

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

出雲大社には、宝剣(皇位の証となる神器の剣)の代わりに出雲大社の神宝の剣を差し出すよう命じた、後醍醐天皇直筆の文書(綸旨)が伝わっており、国の重要文化財に指定されています。

 

第6問_鉄穴流しの跡地利用

山を切り崩してたたら製鉄の原料となる砂鉄を採取した「鉄穴流し」の跡地は、土砂を流し込んで再利用されました。何に利用されたでしょう?

第6問の画像

A.植林
B.牧場
C.水田

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

鉄穴流しで山を切り崩した跡地に、土砂を流し込んで造成することで広大な「流し込み田」が作られました。造成のため土砂を運ぶ原理も、耕作に必要な水路も、鉄穴流しのものが転用されています。

 

第7問_石見銀山坑道を照らす貝殻ランプ

江戸時代、大森銀山の鉱夫が坑道を掘るために用いた携帯ランプには、ある貝の貝殻が使われました。それは次のうちのどれでしょう?

第7問の画像

[石見銀山_大久保間歩]

A.バイ
B.サザエ
C.カキ

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

江戸時代、大森銀山の坑夫たちは、坑道を照らす携帯ランプとして「螺灯(栄螺灯)」を用いました。栄螺の貝殻に菜種油や鯨油を入れ、灯芯に点火して用いました。大田市のマスコットキャラクター「らとちゃん」のモチーフにもなっています。

 

第8問_農家を救った広田亀治

明治時代のはじめ、安来市の広田亀治の活躍により多くの農家が救われました。では彼がおこなったことは、次のうちどれでしょう?

A.稲の品種改良
B.サツマイモの栽培
C.農業用語集の出版

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

広田亀治は、いもち病に強く、収量の多い品種「亀治」を数年がかりで確立しました。Bをおこなったのは江戸時代に大森代官としてやってきた井戸平左衛門で、「芋代官」とも呼ばれています。Cは明治時代から昭和時代戦前期の民俗学者田中梅治の業績で、当時の邑智郡あたりの農業の様子を詳しく雑誌や本に書きました。

 

第9問_西周と森鴎外は実は親戚

明治時代、日本で初めて西洋哲学を紹介し啓蒙活動にも尽力した西周と、「舞姫」「ヰタ・セクスアリス」などの著作で知られる森鴎外。2人は実は親戚関係にあり、それぞれの旧家は川を挟んで向かい合う位置にあります。ではその旧家のある、2人の出身地は、次のうちどれでしょう?

第9問画像

[森鴎外旧居]

A.津和野
B.松江
C.益田

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

明治時代、日本で初めて西洋哲学を紹介した西周は、英語の「フィロソフィー(philosophy)」を「哲学」と訳した人物としても知られています。「舞姫」などの著作で知られる森鴎外とは親戚関係にありともに生家は津和野にありました。そして西周は、上京してきた森鴎外を一時期自身の家に住まわせるなど、上京後も親交は続きました。

 

第10問_隠岐の特色ある習俗

隠岐の島町では、毎年夏から秋に、ある動物を突き合わせて勝負を行う民俗行事が開催されています。その動物とは、次のうちどれでしょう?

A.馬
B.牛
C.鹿

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

隠岐の牛突きは、この地に流された後鳥羽上皇を慰めるために始まったとも伝えられています。2頭の牛の頭を突き合わせ、どちらかが戦意を喪失し逃げると勝負がつくものとされます。隠岐の島町の壇鏡神社や一夜嶽神社では、神社祭礼における奉納行事という形で現在も行われています。

 

第11問_隠岐・竹田遺跡から出土したのは?

次の写真は隠岐・海士町の竹田遺跡で出土した破損した青銅器です。1968年に地元の中学生が開墾中の畑から採集したという、この青銅器は何でしょう?

第11問画像

[海士町教育委員会所蔵、古代出雲歴史博物館写真提供]

A.銅鐸
B.銅矛
C.銅剣

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

竹田遺跡の銅剣は隠岐諸島で唯一の弥生時代の青銅器の発見例です。竹田遺跡は環濠の一部と考えられる溝が見つかっており、地域の中心となるような大規模な集落が存在した可能性があります。

 

第12問_田和山遺跡から最古級の文房具

松江市にある田和山遺跡は三重の環濠がみつかったことで全国的にも有名ですが、日本で最古級のある文房具が見つかったことでも話題になっています。その文房具は次のうちどれでしょう?

A.はさみ
B.硯(すずり)
C.定規

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

硯は、丘陵の頂を三重に囲っていた弥生時代中期後半の環濠でみつかりました。朝鮮半島北部に設置された中国の出先機関である楽浪郡などで出土するものと似ています。日本では文字に関する資料が非常に少ない当時、田和山遺跡へ硯が伝わっていた事はとても重要な発見と言えます。

 

第13問_西ノ島の横穴墓から何が出た?

古墳時代の終わりごろ、隠岐では海岸沿いの斜面に穴を掘って埋葬したお墓(横穴墓)がたくさんつくられました。そのうち西ノ島町の黒木山横穴墓からみつかった珍しいものは、次のうちどれでしょう?

A.銀製の和同開珎
B.銅印
C.駅鈴

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

銀製の和同開珎は全国でも約50点しかみつかっていません。黒木山横穴墓でみつかったものは古代出雲歴史博物館で常設展示されています。島根県ではほかに松江市の出雲国府跡でも出土しています。B・Cはいずれも隠岐の島町玉若酢命神社の宮司をつとめる隠岐国造家に伝来するもので、Bの銅印は諸国に置かれた古代の倉の印、Cの駅鈴は古代の公的な使者が馬を乗る際に必要とされたものです。

 

第14問_国引き神話で杭とされた山

『出雲国風土記』には、各地の余った土地を八束水臣津野命が引っ張ってきて島根半島をつくったという、国引き神話が記されています。では、引っ張るための綱をつなぎ止める杭に見立てられた山「ではない」のは、次のうちどれでしょう?

第14問画像A第14問画像B第14問画像C

Aの山
Bの山
Cの山

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

Aは佐比売山、Bは火神岳と『出雲国風土記』の国引き神話に記されています。それぞれの山に向かって長く伸びる海岸線が綱に見立てられています。Cの十神山は『出雲国風土記』には砥神島と記され奈良時代には島でした。江戸時代には十神山とよばれるようになりましたが、いまだ海の中にあったようです。

 

第15問_843年に増えた石見国の郡

石見国は江戸時代の終わりまで6つの郡で構成されていましたが、郡の制度がはじまった奈良時代当初は5つでした。平安時代の承和10(843)年、美濃郡から分割されて新たに郡が成立し6郡となりましたが、それは次のうちのどれでしょう?

A.鹿足郡
B.安農郡
C.那賀郡

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

『続日本後紀』という歴史書に、承和10(843)年に美濃郡を分割し、鹿足郡を建郡したことが記されています。郡がいつできたかは全て記録があるわけではありませんが、那賀郡は天平7(735)年と記された木簡にみえ、安農(濃)郡は天平5(733)年成立の『出雲国風土記』の国外に通じる道の記述に登場しており、奈良時代には存在したことが確認できます。

 

第16問_「石州長浜住○○作」と記される…

室町時代の中国大陸や朝鮮半島との交易では、石見地域でつくられたあるものが数多く輸出されました。製品には「石州長浜住○○作」など、石見国長浜に住む職人の名前が記されたものもあります。それは次のうちのどれでしょう?

A.石見焼(はんど)
B.綿布
C.日本刀

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

長浜(浜田市)や出羽(邑南町)で刀匠達が制作した日本刀は、交易で数多く輸出されました。輸入されたものの一つが、国内でほとんど普及していなかった綿布です。石見焼は江戸時代・19世紀以降に石見地域でつくられ始め、現在もくらしの中で広く使われています。

 

第17問_出雲平野開発の偉人

江戸時代、水不足や水害に困った人々を救うため、多くの治水事業が行われました。このうち、斐伊川の水を出雲平野に引くため、長い用水路である「高瀬川」を作った指導者は、次のうち誰でしょう?

第17問画像

[現在の出雲平野(『写真集_出雲国風土記紀行』より)]

A.大梶七兵衛
B.周藤弥兵衛
C.清原太兵衛

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

大梶七兵衛は、用水路である高瀬川を開通させたほか、神西湖の水を日本海へ排水する「差海川」の開削にもかかわるなど、出雲平野の開発に尽くしました。周藤弥兵衛は意宇平野の水害を防ぐため、岩山を開削して意宇川の流れを変えました。清原太兵衛は宍道湖の洪水を防ぐため、佐陀川を開削して日本海に水が抜けるようにしました。

 

第18問_松江藩お抱えの史上最強力士

1788(天明8)年、松江藩のお抱え力士として召し抱えられたある力士は、初土俵以降、勝率9割6分という驚異的な数字を記録しました。史上最強力士とも称される、この力士は誰でしょう?

第18問画像

[古代出雲歴史博物館提供写真を加工]

A.雷電為右衛門
B.野見宿禰
C.陣幕久五郎

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

17世紀末ごろから、各地で相撲の興行が盛大に行われるようになりました。松江藩では有力な力士を多く召し抱えましたが、中でも1788(天明8)年に松江藩御抱え力士となった、信濃国(長野県)の人・雷電為右衛門は驚異的な強さを誇り、人気を集めました。引退後も諸国での相撲興行や後進の育成に取り組みました。野見宿禰は『日本書紀』に記された、相撲のはじまりに関する伝承に登場する出雲出身の人物です。幕末の力士・陣幕久五郎は、出雲国意宇郡(現松江市東出雲町下意東)に農家の三男として生まれました。幕内勝率は九割を越え、「負けず屋」の異名をもつ江戸時代最後の横綱としても知られています。

 

第19問_沈没したロシア船乗組員を救助した島根県民

1905年、日露戦争の日本海海戦の際にロシア艦隊の輸送船「イルティッシュ号」は島根県沖で遭難し、その後沈没しました。その時、船の乗組員を救助し保護したのは、「和木」の住民たちでした。ではこの「和木」は現在の何市にあるでしょう?

A.松江市
B.江津市
C.益田市

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

この出来事にちなみ、江津市和木地区では毎年ロシア祭りが開催されています。2019年には江津市の神楽団がロシアのウラジオストク市などで石見神楽を公演しています。イルティッシュ号は莫大な金塊を積んで沈没したと伝えられたため、1959年には大規模な引き上げ事業が実施され、マスコミをにぎわしましたが、機雷箱を引き上げただけに終わりました。ちなみに、益田市鎌手海岸にはロシア艦隊の撃沈した「ウラール号」乗員が漂着しています。

 

第20問_松江に滞在した白樺派の文豪

「暗夜行路」「城の崎にて」などで知られ、松江で過ごした1914(大正3)年のひと夏を「濠端の住まい」に描いた白樺派の文豪は、次のうち誰でしょう?

A.芥川龍之介
B.小泉八雲
C.志賀直哉

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

「小説の神様」とも称された白樺派の文豪・志賀直哉は、1914(大正3)年のひと夏を松江で過ごし、1925(大正14)年にそれを描いた「濠端の住まい」を発表しました。『怪談』を通じて日本の文化や風土を国内外に伝えた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1890(明治23)年に島根県尋常中学校に英語教師として赴任し、約1年3ヶ月を松江で過ごしました。その間、生徒や松江の人々には「へるん先生」と呼ばれ、親しまれました。

 

第21問_三輪玉はどれ?

古墳時代には様々な種類の玉が作られました。次の写真は松江市・堂床遺跡で見つかった玉の一部ですが、刀剣などの装飾に用いられた「三輪玉」は、A~Cのどれでしょう?

第21問の画像

[古代出雲歴史博物館提供写真を加工]

Aの玉
Bの玉
Cの玉

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

Cが三輪玉で、Aは管玉、Bは勾玉です。管玉と勾玉は孔(あな)に紐を通して装身具として利用された玉ですが、三輪玉は刀剣の柄に装着して刀剣の装飾に利用された玉です。なので三輪玉には紐を通す孔がありません。

 

第22問_神賀詞奏上の時に持参する鳥

奈良時代から平安時代のはじめ、出雲国造は新任の時などに都に上り、天皇に対し神賀詞(かんよごと)と呼ばれる特別な祝詞(のりと)を奏上する儀式を行っていました。このとき、出雲のいろいろな産物を持参しましたが、そこにはある鳥も含まれていました。それは次のうちどれでしょう?

A.白鳥
B.鷲
C.雉(きじ)

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

垂仁天皇皇子のホムチワケ皇子は大人になっても言葉を話せませんでしたが、空を飛んでいる白鳥を見て言葉を話せるようなりました。その白鳥を追いかけ、捕獲した場所が出雲でした(『日本書紀』による)。これにちなんで、神賀詞奏上の際には天皇に出雲の白鳥が献上されました。現在でも宍道湖・中海周辺に白鳥が飛来し、島根県の鳥はハクチョウです。

 

第23問_多治比県守が任命された山陰○○使

奈良時代の天平4(732)年、東アジア情勢が緊迫するなか、山陰道諸国の軍備を強化する目的で、ある使節が設置されました。石見国に駐在していたと考えられているその使節は、次のどれでしょう?

A.巡察使
B.節度使
C.検非違使

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

節度使は東海道(東海地方~関東地方の太平洋側)や西海道(九州地方)にも設置され、兵士の徴発や武器の管理など軍事的な任務を担いました。巡察使は国司の監察を主な任務として数度にわたって派遣された使節、検非違使は平安京の治安維持を目的に中央に設置された常設の官司です。

 

第24問_田の害虫を追い払う平家の武将

邑南町鹿子原のものが有名な、稲につく害虫を払う「虫送り」行事では、人形が作られることがあります。この人形のモデルとなった『平家物語』にも登場する平家方の武将は誰でしょう?

第24問の画像

[鹿子原の虫送りの人形]

A.斎藤実盛
B.那須与一
C.木曽義仲

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

斎藤実盛は田の中で討ち死にしたため、稲につく害虫に生まれ変わったという伝承があります。そのため、西日本を中心に害虫を追い払う行事で実盛の人形が作られ、島根県では「鹿子原の虫送り踊り」(邑南町)などで「実盛さん」が集落を練り歩く姿がみられます。

 

第25問_石見の南朝勢力の旗印○○直冬

南北朝時代、石見でも南朝方と北朝方で争乱が展開しますが、ある時期から石見の南朝勢力の中心的な存在になったのは、ある有名な人物の息子「直冬」でした。では、直冬の父親は次のうち誰でしょう?

A.足利尊氏
B.楠木正成
C.新田義貞

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

足利尊氏の子で、直義(尊氏弟)の養子となった足利直冬は、尊氏・直義兄弟が対立すると(観応の擾乱)、直義派として中国地方で転戦しますが、その後南朝方に転じて石見国に大きな影響を及ぼしました。楠木正成・新田義貞もともに南朝方として有名な武士です。

 

第26問_隠岐の黒曜石の産出層

隠岐は火山活動によって生成された黒曜石の産地として知られていますが、その黒曜石はある隠岐の地名がついた地層から産出します。それは次のうちどれでしょう?

第26問画像

[隠岐産の黒曜石]

A.那久層
B.八尾層
C.重栖層

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

隠岐の黒曜石は、およそ550万年前に島後で起こった火山活動で地表近くに押し出されたマグマが冷え固まったものです。その後、黒曜石は溶岩や火砕流とともに地上に噴出したり、地上で新たに冷却生成されて地層の一部となっています。この重栖層は島後北西部から南東部に分布し、黒曜石産出地は島の北部と南部に20か所以上の地点でみつかっています。

 

第27問_石州口の戦いで敗れ落城

幕末の幕府と長州藩との戦争において討ち死にした藩士の岸静江でも有名な、長州藩に対して徹底抗戦した藩は、次のうちどれでしょう?

A.津和野藩
B.浜田藩
C.松江藩

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

浜田藩は県西部で長州軍とぶつかり、徹底抗戦しました。特に石州口の戦いでは、藩境を固守して長州軍と戦い亡くなった岸静江の奮闘が有名です。津和野藩はもともと長州藩と関係が良好で、松江藩は徳川幕府側でしたが抗戦せず降伏しました。

 

第28問_興雲閣が建てられた目的は?

松江城二ノ丸に建つ興雲閣は、1903(明治36)年に建てられた県内に残る数少ない明治建築ですが、この建物は当初どのような目的で利用される計画だったでしょう?

第28問画像

[興雲閣]

A.舞踏場
B.博覧会場
C.明治天皇の行在所

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・C】

興雲閣は当初、明治天皇行幸のための御宿所として計画されましたが、天皇の巡幸は実現せず結果的には松江市工芸品陳列所として建設されました。なお、1907(明治40)年の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰道行啓の際には御旅館として利用されました。

 

第29問_日本を代表する木造和風駅舎

写真の駅は1924(大正13)年に改築されたもので、国の重要文化財にも指定されています。この駅は次のうちどれでしょう?

第29問画像

A.旧母里駅
B.旧大社駅
C.旧宇都井駅

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・B】

大社駅は1912(明治45)年に出雲市今市町から大社町を結ぶ大社線の開通に伴って開業しました。母里駅は日ノ丸自動車母里支線の終端駅で、1930(昭和5)年の開業からわずか14年間のみ利用されました。宇津井駅は2018年に廃線となった三江線にあった駅で、地上約20mに位置し日本一の高さでした。

 

第30問_隠岐の雑煮に入る意外な具材

島根県は地域ごとに多様な雑煮が食されることで知られていますが、隠岐地方の雑煮に入れられ、良いだしの出る意外な食材は、次のうちどれでしょう?

A.椎茸
B.干した鮎
C.貝

 

 

 

 

 

【正解は…

 ・・・A】

隠岐は海に囲まれていますが、椎茸の栽培が盛んで、これを入れた椎茸雑煮が伝わっています。干した鮎は石見地方の河川沿いの地域、貝は広島県との県境の山間部で見られる具材です。

 

 

 

 

 

 

【「いにしえからの挑戦状」のお問い合わせ】

TEL:0852(22)6727

FAX:0852(22)6728

E-mail:kodai@pref.shimane.lg.jp

 

 


お問い合わせ先

文化財課

島根県教育庁文化財課
〒690-8502 島根県松江市殿町1番地(県庁分庁舎)
TEL 0852-22-5880 FAX 0852-22-5794 
E-mail : bunkazai@pref.shimane.lg.jp

・文化財愛護協会のお問い合わせは、
 TEL  0852-22-6725
    E-mail : shimanebunkaaigo@pref.shimane.lg.jp    

・銃砲刀剣に関するお問い合わせは、
 TEL  0852-22-6612
    E-mail : juhoutouken@pref.shimane.lg.jp