シマネスク55号

「私と島根」

  • 先生とクラスメートたちに見送られ−アニマル浜口
 
アニマル浜口 [あにまるはまぐち]
 元・プロレスラー。アニマル浜口トレーニングジム代表。浜田市生まれ。昭和43年ボディービルで準ミスター兵庫に選ばれ、昭和44年国際プロレス入り。IWA認定世界タッグ、アジア・タッグ選手権を獲得。昭和56年新日本プロレス、ジャパン・プロレスで活躍する。昭和62年引退し、東京・浅草にアニマル浜口トレーニングジムを開設。平成2年にプロレス復帰。ジムでは長女・浜口京子をはじめ、大森隆男、小島聡ら多くのレスラーを育てる。平成16年“気合だー!”のフレーズが流行語トップ10に選ばれる。著書に『最後は勝つ!』『一瞬の喜びのために、人間は泣くんだ。』『娘にもらった金メダル』がある。
アニマル浜口さん
 私が生まれた浜田市は海、山、川、田んぼと大自然に囲まれた清く美しいところ。子どもの頃、春は小川でメダカとり、夏は海で泳いでサザエとり、秋はトンボを追いかけ、冬はクロダイ釣りと遊びが豊富。楽しい少年時代でした。
 ところが、父が事業に失敗。小学5年生の時、母と妹とともに親戚を頼って大阪へ出ることとなりますが、その道中には忘れられない思い出があります。列車を乗り継ぐために降り立った出雲市駅でのこと。3人寄り添ってベンチに座っていたところ、見知らぬお兄ちゃんがやってきて「僕、スイカを食べな」とスイカを手渡してくれたのです。真っ赤なスイカのなんと甘かったこと。今でもその味とスイカのお兄ちゃんのことは忘れられませんね。
 中学2年生の時、長兄夫婦を頼って単身で浜田へ戻ってきました。おいと散歩の道すがら足が向くのは以前住んでいた家。ある日、煙突から立ち上る煙を見上げながら「家族一緒に住みたいなあ。なぜ、僕だけが苦労するんだ」と思ったと同時に、長兄への感謝の気持ちも込み上げてきたのです。食べさせてもらい、住まわせてもらっているんだと。そこで小遣いぐらいは稼がなければと牛乳配達を始めますが、学校は遅刻の連続です。しまいには担任の松本先生に呼び出されます。でも遅刻の理由を聞いた先生は私の手を握り締め「つらいことがあったら何でもいいなさい」とオイオイと泣いてくださったのです。 
 その後、大阪へ戻ることとなります。転校のあいさつをしていざ出発という時、浜田駅までクラスの男子生徒が見送りに来てくれました。感激と寂しさが込み上げる中、汽車が発車。汽笛とともにみんなの手を振る姿が見えなくなり窓を閉めようとした、その時です。前方の丘の上で女子生徒と松本先生が一列に並んで懸命に手を振っているのです。この時、一度我慢した涙があふれ出てきました。「なんていい人たちに巡り合えたんだろう、浜田っていい所だな」と、皆さんの思いやりが身にしみました。
 それ以後、人生のさまざまな困難を乗り越えられたのも、周囲の皆さんや両親、そして浜田の大自然が育んでくれた健全な肉体と精神のおかげだと思います。浜田に生まれて今の私がある。これからも感謝の気持ちと少年のような純粋さを忘れず、気合を入れ、家族一体となって夢をかなえていきたいですね(談)
 
波の浸食によってできた不思議な造形美の畳ヶ浦、国の天然記念物に指定されている(浜田市)
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