シマネスク55号
知事対談 「島根の国際化と人づくり」について語る
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芦田昭充(あしだあきみつ)
商船三井社長
昭和18年島根県大原郡大東町(現雲南市大東町)生まれ。
大東中学校、松江高校(現松江北高校)から京都大学教育学部入学。42年卒業後、大阪商船三井船舶(現商船三井)入社。サンフランシスコ駐在、欧州・アジア部長などを経て平成8年取締役企画部長。以後、常務、専務を歴任し15年6月代表取締役副社長、16年6月から現職。
芦田昭充さん
島根県知事すみたのぶよし
澄田信義(すみたのぶよし)
島根県知事
昭和10年島根県出雲市生まれ。
東京大学法学部卒。和歌山県警察本部長、
日本国有鉄道常務理事を経て、昭和62年より現職。
現在5期目。

進取の気性と文武両道を育てたふるさと

知事
 昨年6月の社長ご就任、まずはお祝いを申し上げます。ご出身の大東町(だいとうちょう)が合併によって雲南市(うんなんし)になるということで、10月の閉町式の際にはご講演をいただきましたが、芦田さんのふるさとへの思いやお帰りになってのご感想をお伺いしたいと思います。
芦田 
 私が生まれ育った大東町の名が消えることには一抹の寂しさがありますが、新しい一歩を踏み出すことだと思い割り切っております。講演前日に出雲空港に着きまして、大東町までタクシーに乗って40分間ぐらい運転手さんと話をしましたが、海運のことを大変よくご存じでびっくりしました。現在日本籍の船が少なく、パナマ籍やリベリア籍にしていることに対して「外国籍にしているのはなぜか。乗組員は日本人ではだめか。利益はパナマの国にいくのか」など、いろいろな質問をされ、たまたま中学時代の1年先輩だったことも分かり話が弾みました。また、その夜同期が集まって歓迎会を開いてくれましたが、皆さんの頭の中がとても国際化されていて、今後グローバルにどう展開していくのかと質問されるんです。皆さん大変インテリジェンスが高いという印象を受けました。
知事
 その運転手さんのように海運に関心を持つ人は少ないんでしょうね。
芦田
 少ないと思います。ただ大東町は山に囲まれた盆地なので、私もそうでしたが、どうしても山の向こうが見たいという気持ちが強く、外へ向かう気概、気風があると思っています。
知事
 いわゆる中山間地域で、進取の気性があったということでしょうね。ところで、芦田さんは若いころからスポーツに堪能だと聞いております。
芦田
 どちらかというと運動ばかりやっておりました。中学時代は野球部で、ピッチャーで4番。2年のときに県で準優勝しました。でも肩を痛めてしまい、3年のときに全国放送陸上大会の走り幅跳びで2位になったこともあり、陸上に転向しました。その後、大東陸上という競技会で松江高校(現・松江北高校)の選手がどの種目も1位を取るのを見て感動し、その松江高校に越境入学したんです。2年のときに中国大会の800メートルリレーで1位になり、神戸で行われた全国大会に出場して決勝に残りました。大学時代ももちろん陸上部でした。
知事
 まさに文武両道の活躍をされたわけですね。私もスポーツは大好きで、昭和20年小学5年のときには、出雲市立今市(いまいち)小学校の代表として全山陰陸上選手権大会に400メートルリレーのスターターとして走り優勝。個人でも100メートルで2位になりました。中学ではあまり強くはなかったけれど野球部でしたから、年代は違いますが芦田さんとは共通のスポーツをやったんだなと思って聞いておりました。

合理化と経営革新を経て

知事
 芦田さんが商船三井へ入られたのはどんな思いからですか。
芦田
 私は大学は教育学部で、就職は適当な時期が来たらどこかに決まるだろうとのんびり構えていました。そんなころ某重工会社に勤めている先輩と就職の話になり、「日本が貿易を飛躍的に伸ばしていくために、うちの会社は船をどんどん作っている。これからはその船を動かす船会社の時代だ」と言うんです。実は船会社も、大手といわれた12社が昭和39年に合併して6社になり株式市場でももてはやされていました。当時の私には株価や出来高がすごいという程度しか分からなかったですし、海運といえば国際性があるから割と面白そうだと、あまり深く考えないで入ったんです。
知事
 入社されてから今日に至るまでには大変な時期もあったと思いますが。 美しい棚田の田園風景がひろがる大東町山王子(さんのうじ)地区(雲南市)
芦田
 私が入社した昭和42年ころはこれからもっともうかるという感じでした。ところが、昭和46年のニクソンショックで金とドルの交換を断ち切ったために円高ドル安が始まり、それ以降は苦しい思いばかりだった感があります。欧米向けの荷物は日本が輸出の拠点でしたが、ドル安が始まってからはアジアの力が急速に伸び、これに昭和60年のプラザ合意が追い打ちをかけました。このとき、日本で物を作っても競争力がないからとアジアに進出されたメーカーさんを追いかけて我々もアジアでのサービスを強くしなければならなくなり、併せて円コストを小さくするために昭和62年ころから日本人船員を4割カットしたんです。それがなかったら今の日本海運はあり得なかったというほど大変厳しい時期でした。しかも、会社の一歩外へ出ると他産業はバブル景気で本当に好調でしたから、落差の激しさに何と運の悪い業界に入ったんだろうという感じでしたね。会社の合理化は昭和49 年ころから継続して進み、生田正治(いくたまさはる)・元社長は平成6年からコストの合理化、会社の構造を変えていわば筋肉質にし、平成12年からは鈴木邦雄(すずきくにお)・元社長のもと船を増やす拡大路線となり、昨年私は非常にいいタイミングでバトンを受けました。生田・元社長時代から特損処理したものが2000億円、コスト合理化したものが1000億円。今年1680億円経常利益が出ますが、1000億円のコスト合理化がなければ680億円の利益しかないとも言えます。
知事
 バブル景気の時代に歯を食いしばり、世の中の動きに合わせて努力されたお話を伺いますと非常に参考になります。かつて私は国鉄に勤務しておりまして職員局長という立場で民営化に取り組み、そして18年前に知事に就任しました。当初の島根県予算約3300億円を年々増やして6000億円台が数年続きましたが、だんだん国の財政状況が悪くなり自治体の財政運営も難しくなってきました。昨年三位一体の改革が叫ばれ、ある意味では地方分権を進めなければならない時代ですが、平成17年度には5500億円くらいにまで落とさざるを得ません。それには職員の給与も今までの事業費も削減し、必要な施策を進める過程において県民の皆さんには痛みや負担をある程度お願いしなければなりません。非常につらいものがありますが、体質を改善し、県財政自体を安定軌道に乗せるまで歯を食いしばって努力し、その上で次なる飛躍をと思っております。
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