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冶金研究のパイオニア 俵国一 明治5年(1872)〜昭和33年(1958) |
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当時、各所で稼動されていた「たたら操業」の実地調査を実施。砂鉄サンプルを採取、分析を行いました。さらに日本刀を切断して化学成分を分析。日本で初めてドイツから金属顕微鏡を導入して、鉄鋼の組織的研究を開始。日本の金属組織学の進歩に貢献しました。また、日本古来の匠技を近代の科学的手法によって解明していきました。それらの研究成果を『鉄と鋼・製造法及び性質』『古来の砂鉄精錬法』『日本刀の科学的研究』に著しています。 大正4年、日本鉄鋼協会を結成。昭和7年、東京帝国大学退官後も、日本学術振興会の活動に力を注ぎ、日本の製銑製鋼技術の発展に尽くしました。その功績を称え、文化勲章、文化功労者、正三位勲二等に叙せられています。また、和鋼博物館(安来市)の前進である和鋼記念館建設にも指導力を発揮しています。 たたらに魅せられ、鉄鋼研究に打ち込んだ博士。その素顔は人格高潔で厳格、人間味豊かな教育者でした。東大工学部長在任中に単位制を採用するなど教育界でも幅広い活躍をしています。 一生の研究課題であった「和鋼」。実はこの用語を生み出したのは博士自身だったといわれます。たたらで造られた世界でも類のない優れた和(日本)国の鋼という意味合いを持たせたといいます。故郷島根から世界へ発信。「たたら」と「日本刀」へかけた博士の思いの深さは、和鋼博物館で垣間見ることができます。
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