【知事対談】
暮らしの中に息づく豊かな島根の文化
澄田 信義
(島根県知事)

島根県知事。昭和10(1935)年島根県出雲市生まれ。東京大学法学部卒。和歌山県警察本部長、日本国有鉄道常務理事を経て、昭和62年より現職。現在4期目。
澄田 信義 永 六輔
永 六輔
(作家)

昭和8(1933)年東京都生まれ。早稲田大学文学部在学中から、ラジオ番組や、創世期のテレビ番組の構成を手がける。その後、放送作家、司会者、歌手など多方面に活躍。作詞家として「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など多数のヒット作も生み出す。現在は、ラジオを中心に活動中。92年NHK放送文化賞、94年都民文化栄誉賞受賞。生活の大半は旅暮しで、そこで感じたことを語り、著す。著書は「大往生」「職人」「遠くへ行きたい」など多数。出西窯とそこに集まる職人たちに魅せられ、来県の折には必ずというほど出西窯を訪れる。

地域がそのまま職人大学

知事 永さんには、以前より島根県にたびたびお越しいただきうれしく思っております。
 印象深いのは、出雲市立浜山中学校(昭和63年開校)の校歌作りがとても楽しかったですね。新設する中学校の校歌を作って欲しいと頼まれたけれど、子どもたち自身が作るほうがいいと提案したんです。自分たちが歌いたい忘れない校歌を作ろうって。そしたら子どもたちは「忘れない忘れないこの歌を忘れない、忘れない忘れない故郷を忘れない、忘れない忘れない友達を忘れない」、これが繰り返し出てくる校歌を作ったんです。そしたら先生たちは「忘れない忘れない先生を忘れない」を入れて欲しいと。(笑)主導権は子どもたちにあるから、少しだけ妥協してできあがりました。(笑)結果的に僕の名前はなく、作詩・僕たち、作曲・私たち。それはとても話題になってマスコミも取り上げてくれました。
知事 子どもたちも本当にいい経験をさせていただきました。また、来県のたびに斐川町にある出西窯(しゅっさいがま)を尋ねて下さっていますが、最初の出会いはどんなことだったんでしょう。
 出西窯の皆さんは落語が好きでね。毎年、入船亭扇橋(いりふねていせんきょう)さんを呼んで落語会をしていたんです。その落語会は自分で漉(す)いた紙で入場券を作り、高座の燭台もそのために作り、回りは藍染めで飾るという、職人さんたちがプロデュースをして自分たちの作った物を持ち寄った高座なんです。扇橋さんがそのことに感動して僕を誘ってくれた20年ほど前が最初なんですよ。行ってみましたらね、そこには業種が違ういろいろな物を作る職人さんたちが生き生きとして仲間を作っていた。出西窯創立者の1人多々納弘光さんの人柄にもよるものと思いますが、そういう土地は他にあまりないんですよ。しかも最近、若い人たちが中心になって、落語会に限らずコンサートまでやっていますからね。
知事 土蔵を改造した売店「無自性館(むじしょうかん)」でですね出西窯の若手の方には、島根県内各地域で行なっているシマネスクふるさと会議のメンバーをしていただいていますが、なかなかいい意見を言っていただいています。
 埼玉にものつくり大学というのができましたけれど、僕、職人さんがいっぱいいる出雲は地域全体がそのまま職人大学じゃないかと思っています。その中でリーダーシップをとっているのが、出西窯の多々納さんと出雲民芸館だと。また、どれだけすごいことか出雲の人は知らないでしょうが、実際に人が住んでいて暮らしの匂いが感じられる民芸館は、日本中に出雲民芸館だけ。島根にはそういう人たちがいていい物を作っている、と外からは注目して見ているけれど、島根の中ではそれがすごいことだとは思っていない。
知事 そうですね。それがすごいことだとはあまり認識していないかも知れません。
 すごいと思わない島根がすごい。(笑)

島根が誇る雲州そろばん

 近々、工芸品としても品物の作り方としても全国でトップの雲州そろばんを作る横田町へ行こうと思っています。横田町には、元の通産省(現・経済産業省)が伝統的工芸品を作る人たちを認定した「伝統工芸士」が4人もいるんですよ。ところが、今、日本中からそろばんが滅びつつあるんですね。日本人の計算力というのは極端に下がっているのに、今度の教育改正で電卓を使ってもいいことになり、しかも、円周率は3でいいというように簡素化することでますます計算力が落ちていく。これを何とかしようと思ったら、雲州そろばんを何とかしなきゃしょうがない。計算力を高めるために、そろばんぐらい暗算力と集中力が育つものはないんです。僕もだけれど、知事も子どものときにそろばんをなさってました?
知事 ええ。そろばん学校へも通いましたよ。暗算するときでも、「1銭なり2銭なり」と言って、そろばんを頭に浮かべ、手をこうして動かしながらね。
 そう。そのことがとても大事なんです。つまり、視神経と筋肉に連動して指が動くわけでしょ。そういうことが最近ないんですね。
知事 そういう点で私も思いますのは、確かに電卓は便利ですが、「1たす1は2」という基本の計算や、それを頭の中で考えるということがなくなりますからね。私の子ども4人も、学校で算数を習ったときに、電卓でやれば簡単だからみんな使いたがりました。しかし、最初から電卓を使うのではなく、まずそろばんや筆算でやってみて、検算に電卓を使うのは許すと言ってきました。
 集中力がないと考えられないわけですからね。「読み書きそろばん」ということをもう一回見直すべきだと思うんです。
知事 そうですね。島根県では、今、タイ王国とそろばん交流をしています。もともと横田町とタイ王国の交流が基礎で、タイ王国が義務教育にそろばんを取り入れるという方針を決めたことを機に、島根県としても協力を始めました。私も3年ほど前にタイ王国へ行きましたし、全国へ呼びかけてタイ王国へそろばんを送ろうという運動をしております。1回目に約4千5百丁、2年目も約4千丁送りました。さらに、島根県からタイ王国へそろばんの先生を派遣したり、タイ王国から研修生が来たり、横田を中心にしてそろばんの大運動を起こしています。
 僕は少し詳しいんですけれど、タイ王国の前にシンガポールと台湾がそろばんを義務教育に取り入れたから、今、計算能力のコンテストをやるとシンガポールと台湾が常にトップを争うんです。日本の子どもたちは最近10位にも入らない。そろばんを捨てちゃったからですよ。逆に、アメリカでは集中力と計算力を高めるそろばん塾が増えています。
知事 私も、雲州そろばんを最初に親に買ってもらったときには本当にうれしかったですね。今でもあの音は懐かしいし、玉が動かなくなると米びつの中へ入れて、米ぬかによって滑りが良くなったことを思い出しますね。
 そうです、そうです。母親がそろばんを入れる袋を作ってくれて、学校へ行くときに走るとカチャカチャ音がする、あの懐かしさを大事にしたいんです。今は全体の流れがIT革命だから、そろばんは古いものとして片づけられちゃうところがありますからね。
知事 懐かしいということでは、島根の中山間地に住んでいて都会へ出られた方からそろばんを寄贈していただきましてね。「たいして豊かではなかったけれど、両親が私たち4人の子ども全員に買ってくれた思い出のそろばんが、今は空き家になった故郷の家にあったので、これをタイ王国の子どもたちに使わしてください」と手紙付きでいただきました。玉をはじいて両親や故郷のことを思い出したと書かれてあって、私もジンときましたね。
 それはいいお話ですね。僕ね、そろばんの博物館が日本のどこかにあるだろうと思って随分捜したんですよ。でも、名古屋にあるということで行ってみたら集めてた方が亡くなってすでに四散してた。そうやってそろばんは滅びていくんだと暗たんとする気分だったんです。ですから、横田の町にはそろばんの資料館がありますし、島根県が日本の文化であるそろばんを使って、日本中、世界中にもう一回認識させる旗頭になっていただきたいと思っています。

写真
183もの製造工程を経て完成する雲州そろばん
  写真
日本海からの季節風を防ぐ「築地松」

[ Next ]

知事対談
[ Index ]