私と島根

人生のターニングポイントで
訪れた島根

◎鈴木 光司

すずき こうじ
小説家。昭和32年静岡県浜松市生まれ。慶応義塾大学文学部仏文科卒。高校時代はロック少年。大学時代から演劇の世界へ進み、シナリオセンターと劇団未来劇場に所属。昭和63年劇団を旗揚げ、シナリオ執筆、演出を手がける。平成2年日本ファンタジーノベル大賞を受賞した「楽園」で作家デビュー。同年「リング」が第10回横溝正史賞の最終候補に残り、ホラー小説家としても活躍。他の著書に「光射す海」「生と死の幻想」「らせん」「仄暗い水の底から」「ループ」「バースデイ」などがある。10年「リング」「らせん」が映画化、11年「リング」「らせん」がテレビドラマ化され、ホラーブームを巻き起こす。
鈴木光司

津和野城跡から町を臨む(津和野町)
 津和野城跡から町を臨む(津和野町)
 1994年の夏、ぼくは、妻と娘ふたりを連れ、故郷の浜松を車で出発、天橋立から鳥取を経て米子に入り、大山、出雲大社と見て回った。全行程4泊5日。取材を兼ねた夏休みのドライブ旅行である。
 山陰の、のんびりと穏やかな風土をぼくの家族は大いに気に入ってしまった。また次の年も家族旅行は山陰ということになり、三瓶山(さんべさん)から日本海側の大田(おおだ)にでて、益田(ますだ)から津和野(つわの)まで走った。1995年、8月末のことである。
 1995年は、ぼくにとって思い出深い年である。それまで売れない部類の作家であったぼくが、『らせん』の大ヒットでブレークし、ようやくベストセラー作家の仲間入りを果たしたのだ。
 父の車を借り、旅の宿を公営の宿舎と決めたドライブ旅行は、いかに旅費を切り詰めるかという課題が常に頭にあった。生活費にも事欠く状態で、旅行する余裕はなかったのだが、子供たちにより多くの、かけがいのない経験を積ませようと敢えて旅に出て、贅沢はできなかった。
 そんな貧乏一家に、8月の初め、『リング』と『らせん』が爆発的に売れ始めたという吉報がもたらされた。印税が入るというあてはあっても、それは3か月も先のこと、旅行の形式はいつもと変わらぬ質素なものだ。
 津和野では、車を駐車場に入れ、親子4人で3台のレンタサイクルを借りた。長女は自転車を運転できたが、次女はまだ幼く、ぼくの自転車の後ろに乗せるほかなかった。
 森鴎外と西周の旧居を訪れてから、津和野城跡に登った。小高い丘の上から眺めた古都は、蝉の声を背景にして、晩夏の趣に溢れていた。ぼくは万感の思いで、この光景を脳裏にとどめた。人生の転機が訪れたためか、風景の輪郭はよりはっきりと、陰影深く、心に染み渡ってきた。初めて自分の本が売れたという喜びが風景を際だたせ、これを印象深く胸に刻んでいったのである。
 人生のターニングポイントで訪れた島根……、ぼくたちの家族にとって、思い出深い地である。

[ 鈴木光司 / 椋木美羽 ]

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