私 と 島 根
三浦 朱門 私は島根県というところには、ほとんど足を踏み入れる機会はなかった。最初は文芸春秋社の講演で、山口県のほうから、益田あたりを経て島根に入った記憶があるが、こういう旅では宿と交通機関、講演会場以外は素通りするのである。国の文化財保護委員をしている時代に、松江のお城に行った。しかしそんな島根、つまり松江の城に代表される島根など、ここの本領ではない。出雲は何といっても古代のロマンの土地である。 ここと並ぶのは奈良県、つまり大和の国だが、こちらは中世、近世、現代と、歴史の舞台−といっても次第に脇舞台になる傾向がありはしたものの−となってきて、古代を物語る遺物の上に、新しい歴史が積みかさねられすぎた。その点、出雲は大国主の命が国を大和政権に譲り渡してから、大社を中心にひっそりと長い眠りに入った。それだけに、ここには日本の古代について証(あかし)するさまざまなものが、山河と共に今も眠っている。いや、眠っていた、というべきだろうか。今や次々にこの国の古代が目覚めつつある、と言えよう。
出雲は心のまほろば 最近、加茂町かもまちとかかわりができた。ここは、近年、39の銅鐸が発掘された土地として全国に有名となった。その前にも隣の斐川ひかわ町では300をこす銅剣が出土して、人々を驚かせた。また松江市の郊外で、海の見張り所とも、城ともとれる遺跡の発掘が行われている現場も見せていただいた。島根には豪華な古代遺物の修理研究施設と収蔵庫があって、将来、どのような形の研究や一般への公開にも対応できる体制が整っている。 ここの10年ほどの間に全国各地で、次々に日本が成立する時代の発見があいついでいる。 青森県の縄文遺跡、北九州の彌生遺跡。そして出雲である。加茂町の山の上のお寺に泊めていただいた翌朝、縁側から平地を見下ろしていると、山々の沢から雲が湧き、海に流れてゆく様が眺められて、八雲たつ出雲の国といった実感と、その雲と共に沸き起こる、この土地への関心を実感した次第であった。
[ 三浦 朱門 / 杉浦 日向子 ]
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