コラム 梅のシソ巻 銀山を支えた坑夫たちの
暮らしをしのぶ名産品
大森町は、銀の採掘現場だった仙ノ山を中心とした「山内さんない」と、行政や経済の中心だった代官所周辺の「山外さんがい」に区分される。箱寿司が山外に起源を持つ郷土料理だとすれば、梅のシソ巻は山内で働いた坑夫たちの暮らしに関わりの深い、もう一つの銀山名物だ。
江戸時代、銀の採掘はすべてのみを使った手作業で行われた。狭く曲がりくねった坑道は、掘り進むにつれて通気が悪くなっていく。そのため、立ちこめる鉱塵こうじんを吸って肺を侵される坑夫が絶えず、その劣悪な環境は、「4年で無病の者なし」といわれるほどだった。
「けだえ」とよばれるこの鉱山病の予防に、大きな効果を発揮したのが梅である。大森代官所が招いた備後国びんごのくに(現在の広島県東部)の医師・宮太柱みやたちゅうは、鉄の枠に梅肉を挟んだ薄絹を張ったマスクを考案し、坑夫たちに着けさせた。マスクは、梅の酸の効果で鉱塵を寄せつけず、24時間たっても汚れることがなかったという。このマスクは、「福面ふくめん」と呼ばれ、生野、佐渡、足尾など全国の鉱山に伝えられて、各地の坑夫たちをけだえから守ることになる。
梅のシソ巻は、梅の効用を知った坑夫の妻たちが、やがて弁当のおかずとして作るようになったのが、その始まりと伝えられる。今から約20年前に復元され、大森町の名産品として商品化されている。
主な素材は地元産の梅と赤ジソで、添加物は一切使用しない。一見単純だが、その工程は二段階に分かれ、でき上がるまでに1年半もの時間を要する、手間暇の掛かった食べ物だ。まず、6月に収穫した青梅を1カ月間塩漬けにし、1週間干してから種を取り除く。これに砂糖をまぶした後、冷暗所に置いた樽の中で1年間寝かせ、梅の酸味と砂糖の甘さをじっくりなじませる。
樽の中の梅が外に出されるのは、翌年、赤ジソが出回る5月だ。砂糖漬けにした梅を生の赤ジソで一つ一つ丁寧に巻き、樽の中に並べては砂糖をまぶしてゆく。ここで、さらに半年の期間をかけて熟成させ、ようやく商品として店頭に並ぶ。程よい梅の酸味と爽やかなシソの香りはお茶うけとして喜ばれ、県内だけでなく広島県にも出荷されている。
坑夫たちを鉱山病から救うために欠くことのできなかった梅。この梅を使い、丹念な手作業を経て作られる名産品の向こうには、過酷な環境で働いた坑夫たちや、彼らを支えた家族など、山内で暮らす人々の姿を垣間見ることができる。

◎問い合わせ先/大田市観光協会 TEL08548-2-2555


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