大森の町並みと石見銀山 石見銀山物語 4

写真 石見銀山の銀産出量のピークは17世紀初頭であったというから、その後の300年弱は緩やかな下降線をたどった歴史であるということもできる。「銀山七谷家数1万数千軒」と評されたものが、大森に限っていうと人口約550人にまで減少したのである。2020年に人口のピークを迎え、その後は緩やかに衰退すると予測されている今後の日本の国情を、すでに数世紀前から予告していたかのようなまちなのである。
しかし、そのまちが意外と元気がいい。人口下降モデルのひとつの見本ともなりえるように思えるのだ。その理由はいくつかある。
第一に建物がそれほど傷んでいないこと。これは、町並み景観の優れている全長2.8キロメートル約33ヘクタールに国や市の補助全が投入され、周囲にあった建物が保全されあるいは新築されているからだ。伝統的建造物群保存地区という長たらしい名前であるが、要は歴史を生かしたまちづくりが進められているということである。また、細長いまちなので中央の道路が拡幅されてしまっていたら、すべてひとたまりもなかっただろう。うまくバイパスが建設され、通り抜けだけのクルマから守られたことも大きかった。
第二に周囲の自然がよく残されていること。代官のいた行政町という性格上、銀山、すなわち山内に入る手前の山の縁に立地し、平地と山林との両方の環境を満喫できるという条件がたくまずして揃っていたといえる。都市化の波からもうまく守られ、銀山川の清流や山の緑をすぐ間近に楽しむことができる。
写真 第三に住んでる人が元気であるということ。これにはわけがある。ブラハウスや中村ブレイス、石州セラミカなどというユニークな企業が育っているのである。ブラハウスは女性の楽しい田舎暮らしをテーマとしたコットンにこだわった生活雑貨を作って売る店、中村ブレイスは義肢装具づくりの企業、石州セラミカはこの地域の特産である石州瓦を製造している協業組合である。大森町は過疎で職場が無いと嘆いているだけではなく、都会に負けない企業を興している面々が住んでいるまちなのである。これを私は生き方産業と呼んでいる。
大森は過疎によって結果的に魅力ある町並みが残されたまちである。大森はまた、過疎の可能性に賭けているまちなのである。大森に根を下ろした生き方産業がそれを側面からしっかりと支えている。
 (文/西村幸夫 東京大学都市工学科教授)


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