島根の鼓動

広 瀬 町
歴史をひもとき、
わが町を見つめる。

写真

四季折々の豊かな自然と
ぬくもりのある風土

春はもえ出る草花の、秋は黄金色の稲やわら焼きの、そして、冬は鼻の奥をツンとくすぐる冷たい空気の香りがする。近くも遠くもなく、程よい位置に山並みが続き、そのふもとには田園が広がり川が流れる。人々は四季それぞれの、どこか郷愁を誘うその風景と香りに安どと懐かしさを覚え、この町を訪れるのだろう。
広瀬町は、戦国時代、山陰の中心地だったところだ。山林が約87パーセントをしめる緑豊かな土地の広さは県内5番目で、飯梨川に沿って開けた町や周囲の山村に人口約1万人が穏やかな暮らしを営んでいる。
この豊かな自然の恵みを受けて、町に伝えられてきた広瀬絣、広瀬和紙、陶器などの工芸品には、広瀬の人柄を思わせる素朴で温かい風合いがある。
その広瀬町に、この春、町営の専門学校が開校することになった。

全国で3例目
町営総合福祉専門学校の開校

今年4月、広瀬町に開校するのは、「少人数のゆきとどいた教育」を目指した島根総合福祉専門学校だ。町営としては全国で3例目という画期的な事業である。学校の設立は、3年前に策定された「第4次広瀬町総合振興計画」「広瀬町福祉医療10カ年計画」に盛り込まれている事業で、大阪のあおば福祉会の協力を得て開校の運びとなった。
現在、広瀬町には町立病院と特別養護老人ホームがあり、さらに、住民の高齢化率は26.9パーセントと高く、地域で生きた介護福祉を学ぶことができる。また、遠方から来校する学生のためにワンルーム型の寮を完備し、快適な学生生活ができるよう、配慮してある。
あおば福祉会に勤務していた事務長の美見照光さん(66)は、開校のために昨年の春から単身赴任で大阪から広瀬町に赴いている。広瀬町の自然や文化に魅せられている一人だ。
「学生と住民がお互いに学び合える関係で、常に地域に開かれ、地域に支えられる学校でありたいですね。そうした環境の下で、介護福祉とは何かをしっかりと身に付けた学生を育てることが大切だと思っています」と、理念を語る。
いよいよこの春、広瀬町という大きな学舎に、一期生としての誇りと希望を胸に30数名が訪れる。ここで彼らと町民が何を学び合うのか、新しい試みへの期待は大きく膨らんでいる。

NHK大河ドラマの影響と
地元住民の意気込み

写真 広瀬町の自慢は何よりも月山富田城の繁栄の歴史だ。
平成9年のNHK大河ドラマの主人公は、毛利元就。その最大のライバルだったのは戦国大名尼子氏だ。尼子氏は、現在の広瀬町の月山に居城を持ち、その月山富田城とその周辺の飯梨川一帯が城下町として栄えていたのである。
月山富田城は、文治元年(1185)に佐々木義清が出雲隠岐の守護となって入城してから、歴代城主が山名、京極、尼子、毛利、堀尾と幾度か変遷をたどった。中でも全盛を誇ったのは尼子経久の時代だ。大永年間(1521)には山陰山陽11カ国200万石の大守として、その勢力は近畿地方にまで響いていたという。しかし、永禄9年(1566)、毛利元就の前に屈し、その後は毛利氏によって治められたのである。全国各地で戦国時代の武勇談が語り継がれているように、月山富田城において主家再興のために獅子奮迅の働きをした山中鹿介幸盛の活躍は、今も住民をはじめ、出雲地方に暮らす人々に、感動と勇気を呼び起こす美談として伝えられている。
広瀬町の風土を形成しているものは、豊かな自然だけではなく、かつて山陰の中心として栄えた城下町としての歴史と、今なおしのばれる尼子時代の栄華が反映している。

尼子氏をテーマにした
住民の町づくり

写真 尼子、毛利の戦いがドラマ化されたことにより全国的に関心が寄せられている広瀬町では、「出雲尼子を興す会」が発足されるなど、尼子氏をテーマにした住民による町づくり活動が展開されつつある。それまでにも歴史を見つめ直し地域の活性化につなげようと、「尼子ロマンの里づくり委員会」が結成されており、尼子に付いての歴史書の発行や厚紙による鎧作成などが行われてきた。
写真 中でも「全国尼子一族集会」は平成元年に第1回目が開催され、5年ごとに全国から「尼子」ゆかりの人約250人を招き、合同法要や武者行列などを行っている。毎回、訪れた人々は広瀬町内に民泊し、今年も5月に行われる第3回目の集会をお互いに楽しみにしているという。同委員会の荒銀祐吉さん(63)は、
「どんなに遠く離れて住んでいても尼子の一族という共通の気持ちがあるので、交流もより深くなるようです。尼子氏をテーマにした活動で、町をより活性化したいですね」と、語る。
昨年9月、戦乱という時代の波間に消えていった人々の魂をなぐさめ、現在の平和に感謝をしようと、広島県吉田町の「毛利元就を甦らせる会」と協力をして月山富田城の山中御殿で尼子・毛利の和解式が執り行われた。
マップ 写真 この山中御殿は500年から600年前の中世に建築されたもので、石垣の遺構が残っている城としては全国的に珍しく、貴重な史跡だ。入念な発堀謂査により通路なども発見され、一部は復元されている。
作家の永井路子氏は、「歴史はいたずらに懐旧の思いにふけることではない。いや、見落とされている事実、忘れられている真実を堀りおこすことが歴史でなければならない」(本誌22号『月山名月』より)と、記している。広瀬町の史跡を保存し語り継いでいくことは、これからの町を担っていく町民の使命でもある。


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