ジェームスみき
profile

ジェームスみき…作家。昭和10年、旧満州生まれ。13年間の歌手生活を送る。昭和42年シナリオ誌のコンクールに1位入選後、野村芳太郎監督に師事し脚本家となる。主な作品は、映画脚本「さらば夏の光りよ」、テレビドラマ「澪つくし」(第7回日本文芸大賞脚本賞受賞)、「独眼竜政宗」(プロデューサー協会特別賞受賞)など。ほかに舞台演出や映画監督、小説、エッセイなども手がける。

斐川町のこと ジェームス・三木

人口2万5千の斐川町から、町民ミュージカルの脚本を依頼されたのは、平成6年の秋である。なにしろ島根は遠いし設備のない公民館で1日だけの上演だし出演者はみなシロウトだから、最初は気が進まなかった。
やがて生涯学習課の青木真理子さんが私の仕事場を訪れた。人生意気に感ずというのか、私は彼女のけなげさと熱意にほだされ、脚本どころか、演出、作詞、音楽、録音まで請け負ってしまった。
不安材料はたくさんあった。アマチュアだから土曜と日曜しか稽古ができない。歌って踊って芝居ができる人が果たしているのか。私はこれらを勘案して、稽古をやりやすいように、出演者を演技班、合唱班、ダンス班に分けた。場面も4つに区切って、それぞれの負担を軽くした。
プラス面といえば、斐川町が合唱の盛んな町であること。また出演者はノーギャラなので、オーディションの参加者はすべて採用した。何と小学生から60歳まで、オペラなみの90数名。
私は何度も島根へ飛んだ。出雲空港は斐川町の敷地内にあるので、遠いとは思わなくなった。上演直前の1週間は、現地に滞在して総合稽古をした。
斐川町は日に日に盛り上がった。装置や照明は松江の県民会館から応援がきた。音響は斐川町出身で帝劇の助手をしている青年が、わざわざ帰郷して受け持った。演技指導は島根医大の演劇部の諸君が手伝ってくれた。小道具は役場の人々が総出で作った。足りないものは町民に広報で知らせて借り集めた。衣装は出演者のお母さんたちが徹夜で縫った。文字通り手づくりの舞台である。
平成7年11月23日。この日の舞台成果を、私は一生忘れないだろう。最後に全員で[斐川に生まれて]を合唱したときは、出演者も客席も裏方も、震えるような感動の涙に包まれた。
人間はいかに生きるべきか。どんな理想を持つべきか。いかに人生を充実させるか。これが文化の原点である。そして政治や経済は文化を支える手段に過ぎない。斐川町の人々は、町ぐるみでそのことを証明したのだ。

斐川町民の手作りミュージカル「希望のバトン」(H7.11上演)
斐川町民の手作りミュージカル「希望のバトン」(H7.11上演)

私・と・島・根

和田淑弘/ジェームス・三木/矢追純一柳楽節雄


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