私と島根
感性を育ててくれた町
冨士本 由紀ふじもと ゆき
コピーライター。昭和30年島根県松江市生まれ。関西女子美術短期大学卒業。広告製作プロダクション、広告代理店勤務を経てフりーのコピーライターとなる。平成6年には第7回小説すばる新人賞を受賞、作家としての実力を認められる。しばらくはコピーライターと作家活動の二足のわらじを決め込んでいる。
冨士本 由紀

宍道湖(松江市)
宍道湖(松江市)

小学校を卒業するまで宍道湖畔に住んでいた。さざ波がきらきら光るお天気の午後、よく友達とシジミやハゼを捕って遊んだ。あのころはまるまると太ったハゼが面白いように釣れて、夢中になった。そのうち、友達の顔を真っ赤に染めて太陽が沈み始める。燃えるような日没はいつも少しこわかった。豊饒と寂寛感を同時に味わうような、圧倒的な夕景を、子供心にも陶然となって眺めたものだ。
とっぷり暮れた道をバケツいっぱいのハゼを持って家に帰ると、祖母がまたかという顔をしながら、それでも焼いて食卓にのせてくれた。香ばしいお醤油の匂いが辺りに漂って、満ち足りた気分に包まれる。私はオタフク風邪みたいな顔のあのヘンな魚が大好物だった。自分の好きなオカズを自分で調達してくるけなげな子供だったわけである。
最近、東京であの味が懐かしくなり、やっと食べに出かけたら、出てきたのはハゼのひ孫かと思うくらいの大きさで、それがびっくりするほど高かった。ここ数年、新たなアナ場的観光名所として水郷松江の名を東京でも頻繁に耳にするようになったが、私には、かつてそこは日常的に自然と触れ合える恵まれた遊び場だった。四季折々に表情を変える宍道湖の陰影深い景色を眺め、味覚を味わい、私なりの情緒だとか感性だとかいったものを育んでもらったように思う。
中学から高校のころは、小泉八雲記念館の三軒隣に住んでいた。窓の外はお堀端で、特に冬の雪景色が忘れられない。川べりの木々が水面すれすれまで枝を伸ばし、それが全部真っ白い氷細工のようになる。幻想的な美しさだった。そうかと思うと市内にはウェザリポートやMGといった、当時の地方都市としてはかなり先進的なジャズ・バーやロックハウスがあり、多感な年ごろを、墨絵のようなお堀端や武家屋敷のしっとりした町並みでマリオン・ブラウンやダラー・ブランドやクリムゾン・キングの音楽を聴き、とてもハイブリッドな感覚で過ごせた。そんな、自然と伝統とある種の洗練が混在する町だった。
鉄砲玉のように故郷を後にしたきりの私が言えた義理ではないが、あまり観光化してほしくないなあ、というのが本音である。
でも、当時、ロックハウスで一緒に音楽を聴いていた長髪の学生が、今は地元に袖帥焼(そでしやき)の自分の窯を持ち、東京で作品展を開いていたりする。そんなふうに、郷土の文化はしっかり受け継がれていくものかもしれない。

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