シマネスク58号
知事対談・島根と東海地域との交流を語る

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澄田信義・島根県知事

澄田信義(すみた・のぶよし)

島根県知事
昭和10年島根県出雲市生まれ。
東京大学法学部卒。和歌山県警察本部長、
日本国有鉄道常務理事を経て、昭和62年より現職。
現在5期目。

下條正男・拓殖大学教授[島根県竹島問題研究会座長]

下條正男(しもじょう・まさお)

昭和25年長野県生まれ。
國學院大学大学院文学研究科博士後期課程修了。
同56年に韓国へ渡り、祥明女子師範大学講師、三星綜合研修院主任講師、韓南大学講師、市立仁川大学客員教授を経て、平成10年12月に帰国。平成11年4月より拓殖大学国際開発研究所教授。
現在、拓殖大学国際開発学部教授。著書に『ある日本人の発想』『日韓・歴史克服への道』『竹島は日韓どちらのものか』ほか。


竹島問題への取り組みと今後の展望 竹島問題への取り組みと今後の展望
竹島問題への取り組みと今後の展望 竹島問題への取り組みと今後の展望

竹島をめぐる日本と韓国の争いの発端は、1952年、韓国の李承晩大統領が一方的に海洋主権宣言(いわゆる李承晩ライン宣言)を発し、竹島もこの李承晩ラインの中に含まれると主張したことに始まる。その後、日韓両国は互いに領有権の主張をくり返し、問題解決が期待された日韓基本条約が1965年に調印されるが、「竹島問題」は棚上げされた。現在は、韓国が灯台、見張場、兵舎などを築き、警備員を常駐させて不法占拠を続け、わが国の主権が行使できない状態となっている。

竹島

 島根県が制定した「竹島の日」条例

知事■
  下條先生には、島根県が取り組んでいる竹島の啓発活動や島根県竹島問題研究会()の座長をしていただいており、心から感謝を申し上げます。
 さて、まずは先生が竹島問題に興味を抱かれたきっかけをお聞かせ願えますか。
下條■
 1996年、韓国側が竹島に接岸施設を作るということになり、時の橋本首相が反対を述べ、それから2週間ほど韓国側で竹島問題が燃え上がりました。そのとき私は、韓国におりましたが、私の娘が非常に怖がり、「日本は悪いことをしたの」と聞くので、娘に答えるために竹島問題を調べ始めたのです。いろいろと資料を調べた結果、韓国側は「竹島」について、これまでの文献を正しく読んでいないことが分かったのです。そこで韓国で論争をし、それがきっかけで私は韓国を出ることになりました。そして、ちょうど2年前、隠岐で北方領土と竹島問題について講演の機会があり、あのときから生き方が、少し変わりました。
知事■
 なるほど。さて、今年の2月定例島根県議会において、竹島の領土権早期確立を目指した運動を推進し、竹島問題について世論の啓発を図ることを趣旨とした「竹島の日」条例を制定してから、たくさんの反響がありました。
それまでも国に対して要望活動を行ってきたのですが、なかなか具体的な取り組みが行われず、このままではいわゆる「竹島問題」が風化してしまう恐れがあったわけです。そして、ちょうど今年、竹島を島根県に編入するという公示をした1905年の島根県告示から100周年ということもあり、島根県としてできることとして、この県の告示の日である2月22日を「竹島の日」とする条例の制定に至ったわけです。
下條■
 「竹島の日」の条例は高く評価されていますし、それ以後の知事の発言も好感を持って迎えられていると思います。
知事■
 条例について、国の内外から2700件ものメールや手紙、電話がありました。島根県が制定したことを評価しているという声が圧倒的に多く、勇気づけられています。
 

※「竹島問題研究会」竹島問題に関する歴史についての客観的な研究、考察、整理等・日韓両国の主張の体系的整理及び比較研究などを目的に島根県が2005年6月に設置。

 戦後の日韓関係の始まり

下條■
 今日は、韓国の歴史教科書を持ってまいりました。1ページにわたり、日本が竹島を侵略したと書いてあります。韓国側は、領土問題はないと言いながら日本が奪ったと教えています。これでは両国の関係がうまくいかないと思います。竹島は、100年前の1905年に「閣議決定」で日本の領土になりました。竹島は、もともと「リャンコ島」、後に「竹島」と呼ぶようになります。ところが、韓国では1900年「勅令第41号」によって石島という島が朝鮮領になり、その石島が独島(竹島)だと主張しています。でも、実際には石島と独島はまったく関係がありません。
知事■
戦後、日本は平和主義国家として歩んできましたが、竹島については1952年の李承晩ライン設定以降、韓国の実力による支配状態が続いたままになっていますね。
下條■
 李承晩ラインの設定前後に3929名がだ捕、抑留されて、長い方では3年以上、苦労されました。そういう人質をもって、戦後の日韓関係が始まるんです。
知事■
 ちょうど今年は日韓国交正常化40周年にもあたり、私どもとしても日韓が親善関係を保ち、仲良くしていくことが大切だと考えています。しかし、だからといって竹島問題について主張してはいけないということではなく、それを冷静な立場で議論しあうことが、本当の意味での日韓親善のためには大切なことではないかと思うのです。
下條■
 多くの方々は40周年を重視していますが、これは本末転倒で、竹島問題は、1952年1月18日に韓国が李承晩ラインを引いたことに端を発します。日韓国交正常化交渉の本会議は2月15日から始まりますが、その交渉が行われた13年の間、だ捕・抑留された日本人が外交カードに使われたんです。例えば朝鮮半島に残してきた個人資産の財産請求権を放棄するとか、漁業交渉で韓国側に有利にするなどです。今日、日韓友情年といいますが、その歴史が全く欠落しています。客観的な歴史事実を明らかにしていかないと、常に悲しむのは国民です。そういう意味で、「竹島の日」制定は、一つの歴史の見方を島根県が示したということだと思います。

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