温泉津町
石見銀山を中心とする銀山街道の
発着点として栄えた温泉津。
温泉街を歩くと、なまこ壁や土蔵が
昔のにぎわいを今に残している。
現在、石見銀山は
世界遺産登録へ向けて整備が進む。
また、町では交流を目的に
歴史と温泉を生かした
様々な挑戦を試みている。
温泉のある港(津)から名付けられたという温泉津町。かつては銀の搬出港としてにぎわった
温泉のある港(津)から名付けられたという温泉津町
かつては銀の搬出港としてにぎわった

江戸時代後期以降の様々な民家が仲良く軒を並べる温泉街
江戸時代後期以降の様々な民家が仲良く軒を並べる温泉街
歴史と自然の町づくり
 温泉津(ゆのつ)の港は江戸時代、石見銀山で採掘された銀の積み出し港と、銀山に住んでいた多くの人が消費する物資の陸揚げ港の役割を担っていた。温泉津町では、この歴史と海と山という恵まれた自然を生かし、「全町歴史・自然フィールドミュージアム構想」を進めてきた。
 この構想のひとつとして現在、石見銀山の外港だった沖泊(おきどまり)港、毛利元就が石見銀山防衛のために配置したといわれる矢滝(やたき)城跡・矢筈(やはず)城跡が国史跡への指定を待っている。また昨年は、石見銀山の世界遺産暫定リストヘの掲載が決定。町では正式な世界遺産登録を目指し、沖泊港から続く銀山街道の整備に努めている。
 「全町歴史・自然フィールドミュージアム構想」のもと、町民の動きも活性化してきた。温泉街の女将さんたちが中心となって、「温泉津の町並みを保存する会」を発足。シンポジュウムの開催など、積極的な活動を展開している。
 町でも今年3月「温泉津町伝統的建造物群保存地区保存条例」を制定。温泉街の街灯を昔風デザインのものに統一するなど、温泉街としては全国初の伝統的建造物群保存地区の指定を目指し、町並みづくりを進めている。

交流人口の拡大への挑戦
 温泉津町では、町の人口を「定住人口」「交流人口」「ふるさと人口(主に都会地に住む温泉津町出身者)」の3つと考えている。この中で特に力を注いでいるのは「交流人口」の拡大である。
 今秋、町は広島市民をターゲットとして、県央地域と隠岐を観光する2泊3日のツアーを企画実施。温泉津港と隠岐を結ぶ大型高速船を走らせた。3年目となるこの観光ツアーは好評で、今年は約240名が温泉津町を訪れた。
 また昨年、町出身で直木賞作家である難波利三氏を称えた文芸賞が創設された。「私の心のふるさと」をテーマにしたエッセイを募集したところ、全国から応募があり、応募総数は364編を数えた。
 町内で開かれた受賞式には難波利三氏をはじめ、全国各地から受賞者が訪れ、式典後は温泉津町の町並みと温泉を満喫したという。この文芸賞は今年も開催され、11月末まで作品を募集している。今後も毎年、開催する予定で、年を追うごとに交流が広がっていくことが期待される。
 安田増憲町長は「心の過疎にはしたくありません。すべてを見直し、町にあるものを生かすことで、交流人口を増やしたいと思います」と語る。
 石見銀山との結び付きにより、温泉津町は昔から物と人、人と人との交流によって栄えてきた。21世紀を迎え、希有な歴史と良質の温泉を持つこの町は、新たなスタイルによる交流の歴史をさらに刻もうとしている。


TOPICS
酒仙蔵人・五郎之会 ◎酒仙蔵人・五郎之会
 自分たちの手で稲を植えて米を収穫し、酒を仕込み、とびきり旨い酒を飲む。そんな夢を実現させたのが「酒仙蔵人・五郎之会」。4年前に世話人10名でスタートし、地元の栽培者、酒造会社とともに酒造りに取り組んだ。こだわったのは酒米で、幻の酒米といわれる「亀の尾」に挑戦。苦労しながらも温泉津町ならではの酒に仕込み、純米吟醸酒「亀五郎」を完成させた。
 幻の酒米のうわさを聞きつけ、現在の会員は全国に約150名。料理の旨みを引き立て、食中酒として最適な「亀五郎」が届くのを、毎年楽しみに待っている。
 今後の夢は「亀五郎」と相性のいい肴となる食材開発、酒と肴とコンサートの開催など、町の活性化につなげていきたいと世話人たちの心意気は熱い。酒造りを通じて、おいしい交流は広がりをみせている。

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