私と島根
父の島―隠岐
 「佐渡は島でも隠岐(おき)は国」。いきなり佐渡の人にしかられそうな書き出しだが、かんべんしてください。これは私が言ったのではなく、21年前に亡くなった親父が私に言ってた口グセ、ですから父に文句言ってください。本当に隠岐の好きな人でした。世話好きで、金もうけが下手で、欲がなくてやさしい…手前ェの親をほめたって石に布団は着せられず。もうちょっと長生きしてほしかった。
 そんな父が私に残してくれた物より思い出は、何度となく連れて行ってくれた自分の生まれ故郷隠岐。一時はいやがる母をつれ、隠岐で焼肉屋と自分の趣味のしゃくなげの店をやっていた。あの頃が父の一番幸せな時期だったと思う。私がまだ前座なのに隠岐高校の体育館で一門会をやったとき、うれしそうに切符をさばいていた。(あの時売りつけられた皆さんごめんなさい。)
 円楽師匠も久々に羽をのばし、どこへ行っても宿から出ない人が、島後の塩浜、玉若酢命(たまわかすのみこと)神社宝物殿の駅鈴、壇鏡(だんぎょう)の滝、白島海岸、島前の国賀海岸、赤尾展望所、後醍醐天皇行在所と、これだけたくさんの見物をしたのは、弟子生活31年で1回しか見ていない。しかしいまだに隠 岐の話が出る。その位楽しかったらしい。笑点のメンバーはほとんど、その後行っている。立派なホールもでき、落語会も続けてくださっているらしい。
 父の親兄弟は、今や隠岐には一人もいない。オジ達も今は山梨にいる。父はいなくても父を知ってる人達が、私が隠岐へ行くとやさしく迎えてくれる。いまだに何年かに一度は都万目(つばめ)(西郷町)へ墓まいりをしている。血縁が生んでくれた、東京生まれ下町育ちの私の故郷が隠岐。東京にいると、もう少し便利ならなぁとか、こんな商売やれば、とか考えてしまうが、たまに行く隠岐は少しずつ良くなってきているし、このままでいてくれればと感じる。都会モンのわがままがいらない島かもしれない。人はやさしいし、自然はかっこいいし、歴史はあるし、これからの地方のあり方を考えるなら、人の手を加えるべき所と加えてはいけない所をきちんと持っている島だと思う。離島の不便さと大切さから、人のつきあいの楽しさと人間関係のわずらわしさが分かる。島根県隠岐郡西郷町、あと何回行けるかわからないけど父の縁でできた故郷、万歳!
三遊亭楽太郎
三遊亭 楽太郎
さんゆうてい らくたろう●昭和25年2月8日東京・両国生まれ。青山学院大学で落研に所属。在学中より三遊亭円楽師匠に入門、カバン持ちを務める。昭和52年より「笑点」に出演、若手落語家として注目を集め、56年真打ちに昇進。古典落語を現代感覚にアレンジしたり、テレビ番組や講演会でも活躍、“おもしろ落語”の異名をもつ。長年のテーマ「笑いとストレス・スポーツと健康・食事法」の研究により、平成3年博士号を受ける。税務大学校講師、栃木・中央福祉医療専門学校客員教授として「人間関係論」ゼミを担当。著書に「実践トーク術」、共著に「楽太郎と法人税を語る」などがある。
白い岩肌と松の緑、日本海の青さのコントラストが美しい白島海岸(西郷町)
白い岩肌と松の緑、日本海の青さのコントラストが美しい白島海岸(西郷町)

[ 三遊亭楽太郎 / 竹内海南江 ]

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