明治から昭和の初期に至るまで、浪漫派歌人として多くの足跡を残した与謝野鉄幹・晶子夫妻。この著名な歌人夫婦が、但馬(たじま)・城崎(きのさき)温泉に端を発する山陰東部への吟行旅行に訪れたのは、昭和5年5月23日。鉄幹57歳、晶子52歳のことであった。旅先での人々との出会いや、素晴らしい景観に感受し、多くの歌を残したこの山陰吟行(ぎんこう)で、とりわけ夫婦の思い出に残ったのが、玉造(たまつくり)温泉で宿泊し詠み楽しんだ奥出雲吟行であったようだ。 与謝野鉄幹・晶子

鬼の舌震で遊ぶ与謝野夫妻(昭和5年)
鬼の舌震で遊ぶ与謝野夫妻(昭和5年)
玉造温泉「瑠璃(るり)の湯」
 昭和5年5月15日の夜汽車で東京を発った夫妻は、城崎から鳥取へと移動し、玉造温泉に着いたのが同25日のこと。玉湯町の玉造温泉を旅の宿としたのは、城崎から案内役として今回の吟行に参加していた夫妻の門弟で、松江市在住の三島祥道氏の粋な計らいからであった。
 「私は次の湯町驛で下車して玉造温泉の瑠璃の湯旅館に泊つた。此村は出雲風土記にある玉作川に臨み、古の玉作部の住んだ里で、今も山から出る碧色の瑪瑙で種種の工藝品を造ってゐる。」
 晶子は、この山陰吟行に寄せて記した『山陰遊記』の中で玉造温泉をこう説明している。
 現在も山陰を代表する温泉地として有名な玉造温泉だが、夫妻の泊まった「瑠璃の湯旅館」という名の温泉旅館を知るものはいない。
 「瑠璃の湯よ水晶の湯よ思へらく千顆(せんか)の玉に温泉(いでゆ)は勝(まさ)る」晶子

 「松江市から來られた若い人達と共に夜の更けるまで歌を詠んでゐるとけんと、杜鵑(とけん)がしばしば啼き渡つた。」
 その夜、三島氏を含む若い3人の道中客と共に楽しんだ様子が『山陰遊記』に書かれている。杜鵑とは、漢名でホトトギスのこと。風流な鳥の声を肴に、宴は夜半まで続いた。


玉造温泉の朝景色。整備された川べりの至るところから湯気が立ち上がっている
玉造温泉の朝景色。整備された川べりの至るところから湯気が立ち上がっている

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