しまねの百年 島根の北東アジア交流  

島根の北東アジア交流


 国際交流は、地域社会の活性化に重要な起爆剤として役立てられている。
 島根県下でもっとも早い時期に外国の地方自治体と交流をはじめたのは、ニュージーランドのワナカと姉妹提携した美濃郡匹見町みのぐんひきみちょうである。匹見町といえば激甚げきじん過疎地として全国的に知られているが、ワナカのメイズ(迷路)を導入して町おこしの中心施設にしていった。メイズから森林を生かした匹見町の過疎地域振興の本格的な取り組みがはじまったといってよい。

 雲州算盤うんしゅうそろばんの産地である仁多郡横田町にたぐんよこたちょうは、日本ではほとんど使わなくなった算盤を集めてタイ国に送り、タイの子供たちの数学教育に役立てる取り組みをしている。いまでは県をあげて応援する事業になり、全国から算盤が送られてくるようになった。いま横田町では、タイから国際交流員を受け入れて、算盤からはじまった交流をより豊かなものにしてゆくための異文化理解が進められている。

自治体主導の国際交流


 匹見町や横田町の例に見られるように、いま各地で取り組まれている国際交流は、地域が主体となり、自治体が主導して中心的役割を果すかたちが特徴となっている。


 外国とのおつきあいであれば、東京霞ヶ関の外務省を通してと考えがちであるが、実態は必ずしもそうではない。国と国の関係ならば公式の外交ルートを通じなければならないが、自治体レベルでの国際交流は、そんなむつかしいことをいわなくてもよい。だから鳥取県境港市のように、未だ国交が正常化していない北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の元山ウォンサン市と友好提携してゆく例も出てくることになる。

 地域が主体となり、自治体が主導して交流をはじめ協力関係をつくってゆくなかでは、必然の流れとして住民が参加してゆくことになり、相互に顔の見えるかたちでのキメ細かな交流に発展していっているのである。

 島根県においても、県という広域的自治体の立場で、世界に開かれた躍動する島根の県づくりをめざし、島根県の地理的条件を活かして、一衣帯水といわれている日本海の対岸に位置する朝鮮半島から大陸に及ぶ北東アジア地域との交流を積極的に進めてきている。北陸から北の各県が主としてシベリアの各地域や中国黒龍江省こくりゅうこうしょうと交流しているのに対して、山陰の島根・鳥取両県は、シベリアの沿海地方、中国吉林省きつりんしょう、そして島根県が韓国慶尚北道キョンサンプッド、鳥取県が韓国江原道カンウォンドと交流するなど、韓国との交流を重視しているところに特徴がある。

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北東アジア地域自治体会議'93
 それだけに、一般には「環日本海交流」といっていることについても、韓国では日本海のことを「東海トンヘ」、北朝鮮では「朝鮮東海チョソントンヘ」と呼んでおり、両国ともに国連地名会議に日本海の名称変更を要請していることなどを配慮して、島根県では「北東アジア交流」という名称を使っている。環日本海に対して北東アジアということになると、地域の範囲はより広いものになる。

 それはともあれ、島根県が国際交流を進めてゆくにあたっては、何よりも島根の特性、歴史、資源、技術などを活用して、様ざまな分野で世界の人々と交流し、相互に情報を通じることを通じて地域社会に新しい活力が生み出されてゆくことが期待されているわけである。そしてこのように国際交流を通じて、国際社会の平和と繁栄に地域から寄与してゆくことを、島根でもめざしているのである。

韓国慶尚北道との姉妹提携


 島根の国際交流の歴史は、対岸の朝鮮半島との間で古代からはじまっている。

 出雲を舞台にした神話には、新羅しらぎのソシモリから渡来してきたスサノオが、簸の河上で八岐大蛇やまたのおろちを韓鋤からさひ剣をもって退治したことが『日本書紀』に記してある。スサノオに従ったイソタケルが上陸したとされるところには「五十猛いそたけ」の地名があるし、韓神新羅からかみしらぎ神社が祀られている。また『出雲国風土記』には、新羅からの国引きによって島根半島西部がつくられたと記してある。このことからすれば、古代の出雲人にとって、はるかな対岸の地、新羅はよく知られていたところであったとしなければならないと思う。写真からくにいたて神を祀る神社は意宇いう郡と出雲郡に合わせて六社もあるし、韓竈からかま神社もある。これらが出雲に住みついた渡来人が祀ったものであることは明らかである。

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韓神新羅神社(大田市)
 出雲に固有な四隅突出型よすみとっしゅつがた墳丘墓の源流を高句麗こうくりに求める説もあるし、古墳から発掘された遺物には、韓式かんしき土器や渡来の写真てってい(鉄の素材)などがある。とりわけて最近では、弥生時代末期の鉄器の発掘が相次ぎ、その数量が北部九州に次ぐことから、鉄をめぐる加耶かやとの交流が注目されるようにになった。

 このように、古代からの深いかかわりをもっていたのが出雲と新羅であった。新羅が慶尚北道の慶州けいしゅうに千年にもわたって都をおいた古代国家であったことから、島根県と慶尚北道との間で1989年に姉妹結縁が実現する。したがって、その宣言では、「特に歴史に関する研究と情報の交換、研究団体の相互訪問等により友好親善活動の発展を期するものとする」と、歴史に関する研究について特筆しているのであった。

 両県道の間での交流は、行政、文化、芸能、経済、スポーツなど多方面にわたって行われてきている。その結果、確かなことは「近くて遠い」とされていた韓国が、島根の県民にとっては一番身近な外国になり、相互訪問を通じてお互いの信頼と友好を深めてきたといえる。

交流から協カへ


 韓国慶尚北道との姉妹提携につづいて、島根県は1993年に「中国寧夏回族ねいかかいぞく自治区と友好提携する。それより前の91年にはロシア連邦沿海地方、そして94年には中国吉林省と、それぞれ友好交流に関する覚書を交換して交流してきている。

 発展途上にある中華人民共和国との交流では、県民に国際協力という課題に対する理解が深まったといえる。中国からの技術研修生の受け入れは急速に進み、いまや島根県在留外国人数では、韓国・朝鮮人を上まわって中国人が第一位を数えるに至る。中国人を中心とするアジア各国からの留学生に対する市民の支援対策も、年とともに拡充強化されていっている。

 地球的規模の課題になっている環境問題についての国際協力も進展している。すでに島根県では、韓国慶尚北道との間で酸性雨調査を共同実施しているが、中国寧夏回族自治区との間でも、大気汚染および黄砂についての共同研究をはじめている。寧夏は石炭の産地であるだけに、産業も家庭もエネルギー源は石炭である。加えて黄土高原に立地する寧夏は黄砂の発生源でもあり、深刻な環境問題になっているのである。

 このため島根県では、砂漠化防止のために寧夏で進められている緑化事業を支援することにして、97年には「島根・寧夏友好林」造成に関する協議書を締結した。98年から4年計画で15ヘクタールを植林するこの事業には、多数の県民がボランティアで参加している。

 友好林造成の植林に参加した県民は、中国寧夏の人たちとの間で草の根レベルでの交流をつづけている。昨年は、松江市乃木地区住民有志が島根県全域に募金を募り、その力を結集して寧夏の海原かいげん県に「松江乃木希望小学校」と固原こげん県に「島根希望小学校」の校舎が新築された。寧夏から来ていた研修員の情報提供がきっかけになり、市民の善意が結実したすばらしい成果である。
(島根大学名誉教授/内藤正中)

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「松江乃木希望小学校」の校舎の一部
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「島根・寧夏友好林」での植林
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松江乃木希望小学校の授業風景。
机・椅子・学用品も寄贈された。