【特集】

【特集】棚田の春
何世代もの手によって一枚ずつ耕されてきた棚田は
折り重なるように山肌に張り付く幾何学模様の大パノラマ。
生命を支える作物を育てかけがえのない郷土を守りながら
今、私たちの心までいやそうとしている。

大井谷おおいだにに広がる石積みの棚田
 国道187号から山あいの道に折れ、大井谷川沿いをさかのぼること約2キロメートル。突然谷間が開け、ごつごつした自然石で作られた石垣の群れが目の中に飛び込んできた。横に細長く整然と積み上げられた石垣は幾重にも重なり、両側の山肌を覆い尽くしている。

 中国地方でも有数の景観を誇る、鹿足郡柿木村かのあしぐんかきのきむら大井谷地区の六百数十枚の石積みの棚田である。

 棚田とは、中山間地の傾斜地に作られた階段状の田のことで、一般的に傾斜は20分の1以上。つまり、20メートル進んで高さが1メートル上がる傾斜地に作られた水田だ。

 平成11年7月、農林水産省は、全国的に少なくなっている棚田の、多面的な機能や歴史的文化遺産としての役割を広く理解してもらうため、「日本の棚田百選」を認定。島根県からは、益田市ますだしの中垣内なかがうち、大東町だいとうちょうの山王寺さんのうじ、横田町よこたちょうの大原新田おおはらしんでん、羽須美村はすみむらの神谷かんだに、旭町あさひちょうの都川つがわ、三隅町みすみちょうの室谷むろだに、柿木村の大井谷の7カ所が選ばれた。

 大井谷地区で開拓が始まったのは、今から600年ほど前の室町時代。平均傾斜5分の1という急斜面に、先人たちは汗や泥にまみれながら、ときには血を流すような労働の繰り返しの果てに、一枚ずつ棚田を作り上げた。土や肥料が流れたり水が漏れたりしないよう、あぜを強固にする石垣の一つ一つが、暮らしを守る砦のような存在であったに違いない。

 平成11年春、この大井谷に、自分の手で米や芋作りをするために、島根県内外の都市部から棚田のオーナーたちがやってきた。年齢や職業はまちまちでも、真剣に楽しく農業をしたいと思う人たちばかりだ。

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長い年月を経て耕され続けてきた大井谷の棚田。この一枚一枚の棚田から、安全でおいしい米ができる。
 このオーナー制度の試みが、その前年、棚田保全と地域振興のために大井谷地区に結成された「助たすけはんどうの会」という住民グループの人たちの気持ちに、新たな励みと自信を生み出すことになった。

 ところで、水がめのことをこの地方では「はんどう」という。大井谷地区の一番上にある家のその横に地下水が湧き出るところがあり、そこに据えられた石の名前は「助はんどう」と呼ばれている。直径1.2メートル、上部は深さ30センチほどに削られていて、昔、日照り続きで集落に水が無くなりかける大干ばつがあったとき、人々はこの石にだけたまるわずかな水を分けあって飲み、何とか生き延びたという。

 「助はんどうの会」の名前には、先人に対する尊敬の念と、大井谷地区自体が「助はんどう」的な存在となり、村全体の農業を活性化へと促す先導地域になるようにとの期待が込められているのだ。