私と島根◎皮膚から染みこんでいる<出雲>
縁側のある風景

伊藤ユキ子 写真
伊藤ユキ子
伊藤ユキ子(いとう ゆきこ)
紀行作家。
島根県出雲市生まれ。立教大学文学部卒業後、RKB毎日放送(株)アナウンサー、英国遊学を経て、文筆の道へ。現在は、主にPR誌や旅の分野で活動。著書に『紀行・アラン島のセーター』など。1998年『紀行・お茶の時間』(晶文社)で第7回JTB紀行文学大賞を受賞。また、オペラ歌手、森本ミユキのパーソナルマネジャーをつとめる等多方面で活躍中。
  生っ粋の出雲人である。視界にはなだらかな稜線の山々があるのを当然と思って育った。田んぼ道では四季折々の詩情を手づかみするがごとく味わったものだ。が、郷愁を帯びて語るほどには故郷いまだ遠からず。自由業の強みで、夏はお盆をはさんで1カ月ほど、冬は年末年始の2週間ばかりを実家で過ごす。
帰省のとき、出雲行きの飛行機に乗ると、言葉のスイッチが切り替わる、見事に。出雲弁を耳にとらえてなお標準語を使うなんぞ、気恥ずかしくて。もちろん、実家でもズーズーニャーニャー訊って話す。ひょっこり<保存会もの>の方言が口から飛び出し、家族がのけぞることもしばしば。そんなときは、時代とともに変化するものは遠隔地においてこそ温存されやすい、などと言って煙に巻く。ことさら出雲弁を使うことで、郷里にいることを確かめ、愉しんでいるようなところがあるのかもしれない。
3歳になる親戚の女の子とままごと遊びをしたときのこと。お母さん役の彼女にお願い事をしたら、「ええ、いいわよ」と返され、ぷっと吹き出してしまった。ままごと遊びは標準語で行うのが全国的<法則>だそうな。テレビの影響恐るべし。この頃の、出雲弁とも標準語ともつかない半端な言葉を聞くたび、白黒はっきりせよ、とむず痒くなるけれど、それも致し方なしというところか。
言葉と同じように皮膚から染みこんでいるものが、もうひとつ。のんびり、あるいは悠々たるのを心地よしとするような感覚である。出雲のお茶のひとときなど、まさにその極みであろう。大根漬けや煮しめを茶うけに、ゆるりゆるりと時間が流れていく。世間話に興じつつも、空茶碗を見逃さず、<わんこそば状態>で急須を傾けながら。
おおいなるお茶飲みたちと共有する時間は、まことに深呼吸的だ。それがとても豊かで、賛沢なことだとは、多忙の渦に巻かれるまでまったく気づかなかった。
羽を休めたくなったら、一切の飾り気を取り払い、一瞬にして溶けこめる出雲へ。帰るところがある幸せを、しみじみと思う。


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