私と島根◎踏ん張る力
日御碕(大社町)

21才でカープに入団してから、広島で過ごした年月の方が長くなってしまいました。でも、いつでも「僕は出雲人なんだ」という誇りが胸の中にあります。特に、試合で都市を転戦する慌ただしさの中に身を置いていると、都会にはないゆったりとした時間だとか、豊かな自然や出雲大社に代表される歴史に囲まれた「味のあるところ」で育てられて良かったなと、しみじみ思います。
僕が生まれ育った家のそばには海も山も川もあって、子供のころはとにかく日が暮れるまで外で遊んでいました。野球は、田んぼや砂浜で三角ベースボールです。年上の人が相手でも「打ってやろう」「抑えてやろう」と一生懸命でした。闘争心とか下半身もそうやって自然と鍛えられたのかもしれません。バットだって竹を切ったり木を削ったりして自分たちで作ったものです。自分たちで遊びの道具や遊び自体を作ったり、周りの人に教えられて工夫していくうちに育っていった自分で判断する力や知恵。そうした少年時代の体験を通して身に付いたものは、マウンド上でとても心強い支えでもありました。
粘りとか辛抱強さといった大事なものも、知らない間に身に付いていたんじゃないのかな。それがあったからこそ、勝負の世界で22年間もやってこれたのでしよう。
ところで、出雲は魚貝類がおいしいんですよ。冬のカニはもちろん、アワビとかサザエとか。広島のサザエを初めて見たとき、「これはサザエじゃない」って驚いたことがあるんです。穏やかな瀬戸内海のサザエはトゲがなくてつるっとしてますから。日本海のサザエは、たくさんトゲを伸ばして踏ん張っているでしょう。それを見て、「ああ、僕も日本海の荒波にもまれたサザエのように踏ん張っているんだ」と、思ったものでした。
僕が長く現役生活を続けることができたのは、そうした踏ん張りと「信用組合時代の名刺を大切に持ってるよ」と言ってくださる、温かい心を持った地元の方々に応援していただいたからだと思います。その島根に出雲に、何かご恩返しをしなければと考えているところです。 (談)
  大野 豊写真
大野 豊
大野 豊(おおの ゆたか)
広島東洋カープ1軍投手コーチ。1955年島根県出雲市生まれ。出雲商業高校卒業後、出雲信用組合に入社。'77年ドラフト外で広島東洋カープに入団。広島投手陣の要として活躍し、沢村賞、最優秀救援投手、最優秀防御率(2回)などのタイトルを獲得。特に'97年42才での最優秀防御率は史上最年長。記録にも記憶にも残る投手として'98年引退。通算707試合に登板し、148勝100敗138セーブ。


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